2020年06月28日

『理科教育』を弁理士が考えてみた(その9)理科教育は愛と創意と工夫の精神を伝えるべきだ

 商品とサービスを顧客に提供する事業者は(大企業でも中小企業でも)、
 顧客の抱える課題を解決するための技術・システムを、
 知恵を振り絞り、創意と工夫と愛情を注いで開発し、
 常に愛情のこもった新しい商品・サービスを顧客に提供します。

 産業の意義とは、そのような事業者の事業活動の過程で、
 新たな技術・システムが生まれ(必要であれば知的財産権を取得して)、
 それらを組み込んだ新たな商品・サービスが普及して、
 その結果、国民と事業者の人生の豊かさが実現すると考える点にあります。

 翻って、政府のコロナ禍対策事業をみると、
 ●アベノマスク配布事業における、商品(マスク)及び顧客(国民)への、
  愛情の欠片もない単に「物」をばら撒くだけの
  (厚労省・経産省・総務省の官僚寄せ集めマスクチームの)事業者感覚、
 ●消毒液配布事業における、顧客ニーズを無視した、
  創意・工夫の欠片もない機械的作業感覚、
 ●持続化給付金事業における、ただひたすら委託を連鎖させて、
  国税から手数料を引き抜くという、
  何か新しいシステムを開発する知恵の欠片も見いだせない、
  自動引落感覚を見せつけられると、

 経産省が、実施事業(原発・クールジャパン・官製ファンド・コロナ禍対策事業・・・)の
 ほとんど全てで失敗する理由がよくわかり、
 経産省の事業に引き摺られる我が国の学術・技術・産業の水準が、
 絶望的なまでに低下してしまったことは必然と言わざるを得ません。

 持続化給付金事業では電通が話題になっていますが、
 ベネッセが話題になった民間による共通テスト問題で大混乱を招き、
 学術研究費を削り続けた文科省も、経産省と同罪です。

 ******

 アベノマスクは、布とゴムでできたマスクですが、
 布が合成繊維であったとしても、
 元を辿れば生物の堆積物(化石)が液化した石油を原料としているのですから、
 文科省の理科教育の理念からみれば「自然を愛する心情」に繋っており、
 その延長で「顧客(国民)・商品(マスク)を愛する心情」をもって、
 政府マスクチームの官僚達がアベノマスク配布事業に携われば、
 結果はまた違ったであろうし、
 学校関係者の戦前のままの思考停止もなかったのではないでしょうか。

 このような状況下で、経産省・文科省不要論が説得力をもつのも
 致し方ないように思います。

 理科教育は、教科間の縦割・縄張・蛸壺状態を解消し、
 合理的に暗記して理解して考えることができる教科体系の下で、
 児童・生徒に愛と創意と工夫の何たるかを追体験させて、
 児童・生徒が、
 日々ネット動画で見せつけられる政治家・官僚のようにならぬように
 育て上げるべきです。

■理科教育は愛と創意と工夫の精神を伝えるべきだ■

 村上先生の論文をきっかけに『理科教育』に理科ついて考えきましたが、
 教科として理科に直接関係しそうなことは(その1)〜(その6)で語り終え、
 前回の(その7)(その8)では番外編として、
 暗記を強いる教科体系は何とかならんのかと吠えてみました。
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その1)
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その2)』 
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その3)算数で鶴亀算をきちんと教えるべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その4)物理は数学で考えるべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その5)化学は実学に徹すべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その6)理科教育は『技術・家庭』を入口とすべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その7)番外編:徒に暗記を強いる教科体系は見直されるべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その8)番外編:体育はルールをきちんと教えるべきだ

 今回は、締めくくりに、村上先生による、
 愛と創意と工夫に溢れた理科教育の素晴らしい教材であり、
 特許発明でもある、〈気体分子運動論〉可視化装置についてお話をします。

●村上先生が博士号を取得した研究テーマ●
 私が広島大学理学部の修士課程に在籍していたときに、
 村上先輩は博士課程に在籍していていろいろと面倒をみていただきました。

 村上先輩が当時取り組んでいたのは、
 水溶液内で、色素が生体高分子にどのように吸着し脱着するかを、
 反応速度論的に解析するという地味な研究でした。

 この研究は以下の流れの中で進められます:
 @過去の文献といくつかの実験結果に基づき、
  生体高分子に対する色素の吸脱着機構を説明しうる
  素反応の組合せ(モデル)を仮定する;
 A色素と生体高分子の水溶液系の電導度、吸光度、誘電率・・・等の
  時間変化(動的物性)を計測する;
 B上記@の中から、
  上記Aの動的物性を説明できる最適な素反応の組合せを選択する;
 C上記Bで選択した最適な素反応の組合せを用いて、
  各素反応における反応速度定数kを決定する。

 このような村上先生の研究アプローチが、教育の分野で、
 実に斬新な教材を生み出す原動力になったのです。

●〈気体分子運動論〉可視化装置●
 村上先生が広島大学で理学博士号を取得した後に、
 山口大学教育学部で、理学とは全く異なる教育分野で、
 大学教員の道を歩まれたことは、
 私が企業勤めしていた頃に耳にしていましたが、
 村上先生とは、年賀状のやり取りをした以外は、
 ほとんどお付き合いがありませんでした。

 ところが、私が弁理士になってから、ひょんなことで、
 広島県周辺の知財状況を調査する機会があり、
 そのときに、懐かしい村上先生の勤務する山口大学を訪問して、
 20年ぶりに村上先輩と再会を果たしたのでした。

 村上先生は(学生の頃から老け切ってということもあり)、
 学生の頃と全く変わらず、
 にやにやっとしながら、柴君に面白いものをみせてあげる、
 と言いながら、〈気体分子運動論〉可視化装置を見せてくれたのです。

 〈気体分子運動論〉可視化装置の外観は、
 たくさんのスーパーボールが入ったただの木製の箱なのですが、
 底の突起を激しく振動させると、箱内で、
 スーパーボールがぽんぽこ、ぽんぽこ弾け飛ぶという
 訳の分からない代物で「何だこれは!?」というのが私の第一印象でした。

 ******

 風船に詰められた気体の圧力P・温度T・体積Vが、
 気体状態方程式(PV=nRT)
 (ボイルの法則とシャルルの法則の組合せ)に従うことはおなじみです。

 ここで、気体は、
 微小な剛体球とみなされる気体分子で構成されていると仮定し、
 気体の温度Tを、
 n個の剛体球の運動エネルギーの平均値として計算すると
 気体状態方程式(PV=nRT)が理論的に導かれます。

 従って、気体状態方程式に従う気体は、
 多数の微小な剛体粒子が空気中で運動している状態であると
 イメージしてよいことになります。

 このような考え方を『気体分子運動論』と呼びます。

 ******

 実際には、気体の分子など誰も目で見た人はいないわけで、
 このようなあたかも見てきたような話を聞かされても、
 高校生が初めて聞いたときはなかなかピンときません。

 そこで、村上先生は、
 微小な剛体球(分子)を、弾力性の高いスーパーボールに置き換え、
 n個のスーパーボールを、大きな箱の突起のついた底に置き、
 底の突起を激しく往復運動させて、
 スーパーボールを箱の中で弾き飛ばしながら、
 スーパーボールが当たる箱の側壁に仕掛けた感圧センサーで、
 スーパーボールが当たった壁の圧力Pを測定し、
 スーパーボールの平均運動エネルギーを気体の温度T、
 箱の体積を気体の体積Vとして、

 箱の底の往復運動を一定にして、
 Vを変化させてPとVの関係をプロットし、
 圧力Pを一定にして、
 Vを変化させてTとVの関係をプロットしてみたのです。

 そうすると、何と、
 P∝1/V(ボイルの法則)とV∝T(シャルルの法則)
 が成立するというのです。

 これらが成立すれば、気体状態方程式PV=nRTが成立し、
 気体定数Rが計算できることになります。

 即ち、村上先生は、
 目に見えない気体分子の運動と、
 箱の中のスーパーボールの運動とが全く等価であることを、
 目に見える形で証明してくれたわけです。

 ******

 最初にただの箱にしか見えなかったのですが、
 考え方と仕組みがわかった私には「Oh! My God!」でありました。

 これが箱の中身です(特許4552012号公報より)
気体分子運動論可視化モデル.jpg
 
 そして、村上先生が、
 〈気体分子運動論〉可視化装置を開発するにあたり行った、
 @気体分子運動論に基づくモデル(気体は微細剛体球の集合体)を仮定し、
 A上記@の仮定に基づけば、
  スーパーボール集合体も気体と同じ挙動をするはず、と考え、
  スーパーボールの集まりが示す物性(P、V、T)を測定し、
 B気体分子運動論に基づくモデルが、
  上記Aのスーパーボールの挙動を説明できることを示し、
 Cスーパーボール集合体の気体定数Rを求める、
 という一連の作業は、よく考えてみると、
 村上先生が学生の頃に行った研究アプローチと全く同じであり、
 三つ子の魂百までというか、自身の開発した手法に拘り続ける、
 一本筋の通ったぶれない学者魂(信念)に触れた思いでした。

●理科教育に愛と創意と工夫を●
 〈気体分子運動論〉可視化装置は、
 児童・生徒のために愛を込めて創意・工夫をした末に完成したものす。

 現状の理科教育では、ともすれば、上記@だけを授業すれば
 (授業内容を工夫するにしても@に留まる授業だけで)終わり、
 となりますが、〈気体分子運動論〉可視化装置は、
 上記Aの研究的思考を経由して、
 上記Bの技術・家庭の実技的要素を駆使して、
 研究における実験装置を自作して、研究的思考の検証を行うという、
 高度な研究プロセスを追体験できるだけでなく、
 実験装置を自作するという技術・家庭の創作的な面白さを伝え、
 温度・圧力という抽象的な熱力学的概念が、
 スーパーボールの弾け方を通して身体感覚で実感できる
 という点で、非常に優れた教材です。

 〈気体分子運動論〉可視化装置は、特許(特許4552012号)も取得しており
 物を作る創意・工夫を評価する知的財産権とどう関係しているかも、
 理科教育の過程で教えたり学んだりすることができるでしょう。

 〈気体分子運動論〉可視化装置を学術的に説明するとこのようになり↓
科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)研究成果報告書(H25-5-20)
 〈気体分子運動論〉可視化装置を特許的に説明するとこのようになります↓
特許4552012号公報
 これらをみると、学術と特許の観点の違いがわかり面白いと思います。

 〈気体分子運動論〉可視化装置を村上先生が生み出すことができたのは、
 理学研究から教育分野に転進したことで、
 現状の理科教育の縦割・縄張・蛸壺の教科体系に拘束されず、
 理学研究の自由な発想をストレートに教育に持ち込むことができた
 ためと思われます。

 これだけ面白い理科教材である〈気体分子運動論〉可視化装置は、
 残念ながら、中学・高校で普及しているという話が聞こえてきません。

 理科教育の関係者は、縦割・縄張・蛸壺活動をしていないで、
 〈気体分子運動論〉可視化装置の自由な発想を積極的に評価して、
 教材として取り入れて欲しいものです。

●おまけ●
 〈気体分子運動論〉可視化装置は、
 原子から高分子を含む分子が形成される過程の可視化装置としても機能します。

 この場合、原子は「手(原子価)の生えた質量の異なる微小な粒子」であるという、
 化学史の初期の原初的仮説に基づいて、以下のように装置を構成できます。
 
 1個のスーパーボールに磁石を1つ付けると、この磁石が原子価の役割をし、
 たくさんのスーパーボールが弾け飛ぶ中で、
 2個のスーパーボールが磁石で結合(原子と原子が結合して2原子分子を形成)
 するようになります。

 1個のスーパーボールに磁石を2つ付けると、
 たくさんのスーパーボールが弾け飛ぶ中で、
 スーパーボールが磁石を介して連鎖して結合して、
 長鎖のスーパーボール(原子が長く連鎖した高分子)を形成します。
ポリグリシンモデル.jpg
 (『科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)研究成果報告』より)

 スーパーボールに角度を変えてさらに複数の磁石を付けると、
 らせん状高分子やシート状オリゴマーなどの、
 複雑な生体高分子も形成できます。
高分子:らせん状高分子鎖.jpg
 らせん状高分子(『科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)研究成果報告』より)
高分子:シート状オリゴマー.jpg
 シート状オリゴマー(『科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)研究成果報告』より)

 これらの2原子分子や高分子鎖は、
 たくさんのスーパーボールが弾け飛ぶ中で、ある一瞬に形成され、
 他のスーパーボールの衝突で一瞬に崩壊したりしますが、
 スーパーボールの衝突が弱い、あるいは磁石の結合力が強い場合は、
 次第に安定に存在するようになります。

 地球の原始状態において、
 原子から分子が(さらに高分子が)形成され生命の誕生に至る、
 その最初の瞬間を見ることができたような感覚になります。
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2020年06月20日

『理科教育』を弁理士が考えてみた(その8)番外編:体育ではルールをきちんと教えるべきだ

 21世紀も板についてきた筈の今日この頃に、
 教育界は戦前のまま思考停止しているのではないか、
 というような出来事が起きています。
 ●『埼玉の公立中学校で「アベノマスク着用」とプリントを配り、
   批判の声 市教委は「遺憾」

 ●『【対談】アベノマスク着用強制について
   (3)原口一博衆議院議員 山井和則衆議院議員

 ●『200616 子供たちを動員して「感謝の拍手」

 埼玉県は、東京都のベッドタウンで、
 『八つ墓村』ほどの時間が止まった田舎ではないと思うのですが。
 
 校長先生を含めて、皆さん、私よりも年下で、
 戦後教育をたっぷりと受けている筈ですが、
 やはり戦後教育は間違っていたと考えた方がよいようです。

******

 村上先生の論文をきっかけに『理科教育』に理科ついて考えきましたが、
 教科として理科に直接関係しそうなことは(その1)〜(その6)で語り終え、
 前回の(その7)では番外編として、暗記を強いる教科体系は何とかならんのか
 と吠えてみました。
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その1)
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その2)』 
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その3)算数で鶴亀算をきちんと教えるべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その4)物理は数学で考えるべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その5)化学は実学に徹すべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その6)理科教育は『技術・家庭』を入口とすべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その7)番外編:徒に暗記を強いる教科体系は見直されるべきだ

 今回も番外編で、世界史と体育について勝手なことを書き散らしてみます。

■世界史の読み方■
●世界史と日本史の追体験●
 私は、中学・高校の世界史・日本史が全く暗記できず、
 予備校で、ベトナム史まで覚えなければならないことにショックを受け、
 結局、世界史・日本史を選択する必要がなかった広島大学を受験しました。

 かといって、それきり世界史・日本史と無縁だったというわけではなく、
 社会人になってからですが、今から20年近く前に、
 当時、各出版社が競って出していた世界史・日本史の全集を読みました。

 世界史は、当時既に文庫本だった河出書房新社版『世界の歴史』全24巻
 日本史は、もう図書館でしか読めない集英社版『日本の歴史』全21巻/別巻1

 河出書房新社版『世界の歴史』は初版が1979年頃、文庫入りが1989年、
 集英社版『日本の歴史』は初版が1991年です。

 社会人になって、世界史・日本史を題材にした
 小説・ドラマ・映画をふんだんに読んだり見たりしていて、
 典型的には、
 小説では『三銃士』、『三国志』、ドラマではNHK大河時代劇
 映画では『クレオパトラ』『ワーテルロー』などで、
 飛び飛びのある地域・期間のことだけ詳細に知っていたので、
 上記の世界史・日本史を読んだときは、頭の中の点が繋がって、
 世界・日本と自分がようやく地続きになった気分でした。

 そして、何と言っても、暗記することに迫られずに、
 歴史の流れに身を委ねて人類の営みを追体験することは
 生まれて初めての快感でもありました。

●中国通史から読み始める●
 河出書房新社版『世界の歴史』全24巻は、
 第1巻は、全地域共通ということで最初に読みましたが、
 残りの巻は、巻の番号順ではなく、国・地域の通史になるように、
 そして、中国の通史から以下の順で読みました:

(1)第1巻:人類の誕生    (今西錦司)
(2)第3巻:中国のあけぼの  (貝塚茂樹・他)
(3)第7巻:大唐帝国     (宮崎市定)
(4)第11巻:アジアの征服王朝 (愛岩松男)
(5)第14巻:明と清      (三田村泰助)

 ここまで読んで、今度は地中海沿岸地域の通史に転進しました。

(6)第2巻:古代オリエント  (岸本通夫・他)
(7)第4巻:ギリシャ     (村田数之亮)
(8)第5巻:ローマ帝国とキリスト教(弓削 達)
(9)第9巻:ヨーロッパ中世  (鯖田豊之)
(10)第12巻:ルネサンス    (会田雄次)
(11)第13巻:絶対君主の時代  (今井 宏)
(12)第15巻:フランス革命   (河野健二・他)
(13)第16巻:ヨーロッパの栄光 (岩間 徹)
(14)第22巻:ロシア革命    (松田道雄)

 次にインド・イスラムの通史に転進しました。

(15)第6巻:古代インド    (佐藤圭四郎)
(16)第8巻:イスラム世界   (前嶋信次)
(17)第19巻:インドと中近東  (岩村 忍・他)

 ここで、辺境地域史に入ります。

(18)第10巻:西域       (羽田 明・他)
(19)第18巻:東南アジア    (河部利夫)
(20)第17巻:アメリカ大陸の明暗(今津 晃)

 そして近・現代世界史として各国・地域史が合流します。

(21)第20巻:中国の近代    (市古宙三)
(22)第21巻:帝国主義の開幕  (中山治一)
(23)第23巻:第二次世界大戦  (上山春平・他)
(24)第24巻:戦後の世界    (桑原武夫・他)

 以上から、
 近代前の中国と地中海沿岸地域の通史は同程度の期間ですが、
 中国(5冊)の方が地中海沿岸地域(9冊)よりも内容が少ない
 ことがわかります。

 これは、中国の通史では、地中海沿岸地域の通史よりも、
 登場国・地域の関係がシンプルで、
 帝国の興亡の因果関係がほとんど同じであるためです
 (読んでるとよくわかります)。

 従って、中国史を通読すると、暗記することを意識しなくても、
 記憶に残り易いということになります。

 私が、前回のブログで、世界史は、中国史をまず学習して、
 中国史を世界史の地域的・時間的座標軸にして、
 他の国・地域史を学習すると、暗記の負荷が大きく軽減する
 と主張しましたが、上記がその根拠であり実践結果です。

 ******

 河出書房新社版『世界の歴史』は、著者として、歴史専門の学者だけでなく、
 第1巻が京大霊長類研(河合雅雄さん)、京大理学部系の研究者、
 第22巻が医師(松田道雄さん)、第24巻が仏文学者(桑原武夫さん)
 第23巻が哲学者(上春平さん)など、当時の著名文化人が参加しており、
 教科書的な歴史の記述と異なる、とてもユニークな世界史になっています。
 
●日本史を読んだ感想●
 集英社版『日本の歴史』は、たまたま書店にあったものを買ったのですが、
 日本史は元々が通史なので、
 当初はどれを読んでも大差ないかと思っていました。

 しかし、集英社版『日本の歴史』は、中世・近代になるに従って、
 いわゆる左翼史観が強くなるのがよくわかりました。

 左翼史観とは、政治的支配層中心の視点ではなく、
 百姓のような庶民階級が歴史の原動力であるという視点を重視します。

 当時(1990年代)は、
 左翼史観がNHK大河時代劇にも反映されだした時代のように思います。

 しかし、左翼史観の歴史の何が残念かと言えば、面白くない、
 ということに尽きます。

 例えば、戦国時代は武将の時代で、
 最後の東西対決で雌雄が決し、徳川家康が天下統一するまでの、
 ダイナミックな日本全体の動きが面白いのですが、
 集英社版『日本の歴史』は、百姓・町民の頑張りの記載が多く、
 今一つ乗り切れませんでした。

 日本映画で、日本の百姓を最もリアルに描いたのは黒澤明監督の『七人の侍
 と言われていますが、評論家の佐藤忠男さんが、百姓の
 「卑屈さ、貧相さ、へっぴり腰、臆病、無智、へつらい顔、だらしなさ
 (日本人が百姓を演じると、演じているように見えないほど嵌まる
  と言われるせいもあるのですが)
 があまりにリアルに描かれすぎて、率直に楽しめなかったのだが、
 それでも、この映画の面白さには抗しがたいものがあると言っています
 (『黒沢明の世界』第十章(佐藤忠雄、三一書房、1969年)。

 『七人の侍』の侍たちは、
 軍略家・武術家としてのプロの軍人的な要素だけでなく、
 教養・礼儀・規律・包容力ある人間としての魅力を備えており、
 これらが総合して魂を揺さぶるダイナミックな時代活劇を織りなすのですが、
 リアルな百姓には魂を揺さぶる面白さを見出しようがない、
 ということなのかもしれません。

 おそらく庶民階級に重きを置く左翼史観も同様で、
 左翼史観では、日本史を面白く描くことが難しいのかもしれません。

■体育はルールをきちんと教えるべきだ■
 私が中学・高校の頃は、体育の授業は、
 体操着に着替えてグランドに出ると、体育の教師が、
 「今日は、野球をやるぞ〜」
 「今日は、サッカーをやるぞ〜」
 「今日は、ハンドボールをやるぞ〜」
 とか言って、クラスをチームに分けて試合を始めるのですが、
 きちんとルールを教えてもらった記憶がありません。

 私は、将棋・映画が好きなインドア派でしたので、
 卓球以外のスポーツには全く興味がなく、
 上記の野球・サッカー・ハンドボールなど集団スポーツのルールが
 いまだによくわかりません。

 例えば、サッカーで、敵方が蹴飛ばしたボールがライン外に出ると、
 味方はスローインできるのですが、
 味方の誰が、どこからスローインできるのかが、
 どういう理屈で決まっているのかについて、私はいまだに知りません。

 ******

 ルールをよく知っているクラスメートにくっついて、
 何となく45分が経過して体育実技の時間は終わり、
 特段問題が生じるわけではないのですが、
 困った問題が起きるのは中間・期末試験においてです。

 中間・期末試験では保健体育もペーパー試験がなされ、
 各スポーツのルールを知らないと解けない問題が出たりするのです。

 中間・期末試験は、当然に、英国数理社を中心に勉強し、
 保健体育などは一夜漬けの最後の2時間程度しか勉強しないので、
 各スポーツのルールなど全く頭に入りません。

 体育の授業で実技ばかりしていないで、
 実技するスポーツのルールを座学で授業して、
 中間・期末試験で生徒に保健体育に時間を費やさせるべきではありません。

 スポーツのルールは、そのスポーツの歴史とも密接に関係するので、
 スポーツのルールを学習することは、
 スポーツの歴史を学習することに等しいともいえ、
 私のようなインドア派には、そちらの方が興味がもてるというものです。

 ******

 社会は法的ルールに則って運用されるべきで、
 その典型でありモデルとなるのが、ルールに従ってスポーツすることだ、
 ということはよく言われますが、教育の現場が、
 スポーツのルールをきちんと教えずに実技中心の授業をすることは、
 上記のスポーツの意義を生徒に全く教える気がないということにもなります。

 冒頭に紹介した、戦前のまま思考停止しているような教育の現場の在り方と
 相通じているように思えます。
posted by Dausuke SHIBA at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育

2020年06月14日

『理科教育』を弁理士が考えてみた(その7)番外編:徒に暗記を強いる教科体系は見直されるべきだ

 国会では、「「募る」であって「募集」ではない」などという議論を
 平気でなさる立法府の長がいるのを観ますと、
 やはり、戦後教育は全面的に見直さなければ、我が国は滅びると思います。

******

 村上先生の論文をきっかけに『理科教育』について考えきましたが、
 一応、教科として理科に直接関係しそうなことは語り終えました。
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その1)
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その2)』 
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その3)算数で鶴亀算をきちんと教えるべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その4)物理は数学で考えるべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その5)化学は実学に徹すべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その6)理科教育は『技術・家庭』を入口とすべきだ

 ずいぶんと長期にわたり語っていた間に、
 事務所のガリレオ温度計のガラス球は1個を残して全て沈み、
 暑い季節に突入したことを改めて実感します。
KIMG0109.JPG

 今回は、理科教育に限らず、初中等教育において避けて通れない
 暗記について考えて見ます。

●徒に暗記を強いる教科体系は見直されるべきだ●
 かくいう私は暗記が全くできず、理科・社会科を習うに際して苦労しました。

 社会科に至っては、
 義務教育として学ぶ権利を放棄させられたような思いがします。

 その代わり、
 暗記する必要がない現代国語、公式の導出法だけ覚えた数学、
 理科・社会の中でも、
 暗記が最小限で済む物理と政経はそれほど苦になりませんでした
 (政経は憲法を暗記すれば制度を論理的に理解すれば足ります)。

 しかし、大学入試では私が苦にならない学科で受験できるところは限られ、
 探しに探して広島大学を受験したというのが実情です。

 ちなみに、当時、広島大学理学部は、
 現国・数学・物理・化学・政経・英語で受験できたのです。

 私の場合、その後すぐに導入されたセンター試験制度では、
 合格は無理だったと思います。

 ******

 それから数十年後に弁理士試験を受けたわけですが、
 司法試験受験者には笑われると思いますが、
 知的財産制度の中核の特許・実用新案・意匠・商標・著作権の
 わずか5法域について、まずは頭に詰め込むのに苦労しました。

 しかし、知的財産制度は非常に論理的で、
 規則的に暗記できる側面が強く、一度覚えてしまえば、
 あとは論理を駆使することが本質なので、私には合っていたと思います。

 特許法は、重要な特許要件が、発明該当性・新規性・進歩性の3つで、
 特に暗記する必要もなく、専ら手続要件を暗記すればよかったのです
 (特許要件と手続要件を組み合わせた論文筆記試験自体は難しいですが)。

 商標法は、暗記しなければならない登録要件が20前後あり、
 しかも、これらの要件の間に脈絡がなく個別に覚えなければならず、
 苦労しました(トイレに貼って覚えたものです)。

●無駄な暗記を強いる不合理な教育体系●
 前回までの考察を振り返ると、理科の教科体系は、
 数学・物理・化学・生物・地学・技術・家庭が、
 相互に参照しあう関係を遮断して個別独立しているので、
 論理の筋道が切れて論理的な「理解」が妨げられて、
 生徒に無駄に暗記することを強いています。

 これは、日本史・世界史・地理・政経・倫社の間でも同様で、
 特に、ほぼ全頁の暗記を強いられるとしか思えなかった、
 日本史・世界史・地理の教育体系は縦割・縄張・蛸壺ぶりは異常であり、
 このような異常な教科体系を放置する教育関係者の罪は大きい。

●世界史は中国史を座標軸にすべきだ●
 おそらくは教育の現代化のような趣旨と思いますが、
 公教育では、世界史は各国通史の体系になっておらず、
 同時代の全世界の状況を並行して学習する体系になっています。

 何故、このような残酷な体系を生徒に強いるのでしょうか。

 世界を横断的に俯瞰しなければ理解できないようになるのは、
 近代以降の現代史の話であって、それまでは、日本も含めて、
 各国・地域の歴史はそれぞれの中でほぼほぼ完結しているので、
 その個別の国・地域の歴史の流れに沿って通史を学習すれば、
 因果関係を理解しながら、最小限の暗記だけで、
 その国・地域の歴史は理解できる筈です。

 それを、数千年を100年毎くらいの期間に区分して、
 その期間の間の各国の状況をばらばらに教えるので、
 その期間の各国・地域の状況について、
 通史の流れの中での因果関係が理解できなくなり、
 その結果、その期間の各国・地域の状況をひたすら覚え、
 次の期間についても同様にひたすら覚えるしかないということになります。

 ちなみに、歴史教科書で定評のある山川出版の「詳説世界史-B」
 の目次を以下に引用しました。
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 例えば、「第1章 オリエントと地中海世界」は「ローマ世界」で終わですが、
 その続きは「第5章 ヨーロッパ世界の形成と発展」で、
 その間にインド・内陸アジア・イスラムの古代史が入るので、
 第1章のことなど完全に忘れてしまい、第5章は何の続きだったのか?
 ということになってしまいます。

 また、中国史も、
 「第2章 アジア・アメリカの古代文明」の「中国の古代文明」の続きが、
 「第3章 内陸アジア世界・東アジア世界の形成」の「東アジア文化圏の形成」
 で、その間に、なんと南北アメリカ古代史や北方民族の話が入るので、
 中国通史としての因果関係が解らなくなってしまいます。

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 中国は、世界最古の歴史発生地域であり、
 現代に至るまで、ほぼ同じ地域で一貫して文明が継続し、
 日本史と密接不可分に関係するのですから、
 世界史は、中国通史を入り口にすべきと思います。

 中国は、広大な中国大陸の北方、中原、南方の諸民族が、
 中原における覇権を巡り争い、漢民族をはじめとする幾多の民族が
 帝国の勃興・滅亡を繰り返しますが、他の地域の歴史に比べて、
 他の地域からの影響が相対的に少なく、
 勃興・滅亡の因果関係がどの帝国もそれほど大きく違わないので、
 帝国の名前を時代順に覚えれば、後は、
 帝国毎の政治・社会制度を理解しながら暗記をすることができます
 (従って、中国通史はそれほど時間を要しないのではないでしょうか)。

 こんな覚え方があるようです
 (中国王朝は歌(ゴロ)で暗記!10分で勉強は終わる! )
 
  殷、周、秦、漢、三国、晋 (もしもしかめよ、かめさんよ)
  南北朝、隋、唐、五大   (せかいのうちにおまえほど)
  宋、元、明、清、中華民国 (あゆみののろいものはない)
  中華人民共和国      (どうしてそんなにのろいのか)

 そして、何といっても、歴史に題材をとった、娯楽作品としての
 秦の始皇帝の物語『項羽と劉邦』、三国時代の英雄談『三国志』
 を代表とする、とてつもなく面白い小説・ドラマ・漫画が多くあり、
 生きた歴史を疑似体験できるというのが中国通史の強みです。

 小説では、司馬遼太郎『項羽と劉邦』、柴田錬三郎『三国志 雄ここにあり
 ドラマでは、中国ドラマ『項羽と劉邦』、『三国志』、
 漫画では、横山光輝『項羽と劉邦』、『三国志』等があり、
 春休みにでも徹夜して読んだり見たりしたらよいと思うのです。

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 重要なことは、古代から近代の前の世界史の時間的・空間的座標軸として、
 中国史が頭に入っていれば、他の国の通史も、
 同時代の中国の動向を参照して理解しながら暗記ができるということです。

 我が国は、欧米・インドに比べれば、
 極めて長期にわたり中国の影響を受け続けているのですから、
 世界史の方で中国史がきっちり頭に入っていれば、
 日本史の中国と関係する部分の理解・暗記負担が相当に軽減できる筈です。

●「日本現代史」と「地理」は「世界現代史」に統合すべきだ●
 世界史も、さすがに近代以降は、各国通史に拘る意味がなく、
 グローバルな関係性を理解せざるをえません。

 そうであれば、日本史の近代以降も世界史の近代史に統合して、
 よく言われる、日本史の授業が現代史の前で終わってしまう、
 という状況を解消する必要があります。
 
 また、地理は、各国の歴史(地政学)と密接に関係しますから、
 世界史の各国通史では各国地理も必然的に学習することになり、
 さらに、世界現代史は、
 グローバルな資源の分布、産業・文化交流と密接不可分ですから、
 地理の大部分は世界現代史に統合できてしまう筈です。

 さらに、政経・倫社の基礎となる近代合理思想も、
 その萌芽は、世界現代史の中で語られるべきなので、
 その部分は世界現代史に統合しておけば、
 政経・倫社の歴史部分の理解・暗記負担は減る筈であり、
 政経・倫社では、負担が軽くなった分、
 憲法をしっかり理解するため、行政法や民法レベルの法教育も行うべきです。

 そして、「「募る」であって「募集」ではない」「私は立法府の長」
 などと、国会で総理大臣が義務教育レベル以下の議論をしてしまう、
 我が国の恐るべき状況の、教育の視点からの解消を目指すべきです。

●無駄な暗記を強いる不合理な教育体系の最大の弊害●
 上記した無駄な暗記を強いる不合理な教育体系で、
 最も有利な立場にたつのが、東大頭の方々です。

 東大頭とは、いくらでも暗記することができるが、
 その代わりにロジカルな思考がほとんどできない頭の構造をいい、
 官僚・法曹・士業にも多くいらっしゃいます。

 このような方々は、我が国にとって不要というわでではないのですが、
 このような方々ばかりですと、
 連日報道される行政機関の無責任な状況に行き着いてしまいます。

 教育関係者の皆様には、国会で未来の総理大臣が
 「「募る」であって「募集」ではない」「私は立法府の長」
 などと聞いてる方が恥ずかしくなるような議論をしないように、
 未来の官僚が責任をもって政策を運用するようにするために、
 徒に暗記を強いる不合理な教科体系は、
 我が国が滅びかねない深刻な問題であると強く認識して、
 合理的な教科体系に改善する努力をして欲しいと思います。
posted by Dausuke SHIBA at 15:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育