2017年03月20日

TV時代劇ベスト10(第1位)

 いよいよ、今回は、第1位を報告します。

第1位 『素浪人 月影兵庫』(1965〜1968)

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〔月影兵庫と花山大吉〕

 『素浪人 月影兵庫』は、
 戦後最高の剣豪スターである近衛十四郎の晩年を飾る代表作であり、
 二枚目時代劇俳優である品川隆二の名を後世に残すであろう、
 TV時代劇を超えてTVドラマ史上に「伝説」として輝く傑作です。

 ここであえて「伝説」というのには理由があります。

 『素浪人 月影兵庫』(1965〜1968年)が放映され、その最終回の次の週に、
 主演・スタッフ・ストーリーがほぼ瓜二つの
 『素浪人 花山大吉』(1969〜1970年)が放映され、
 ネット上で、ある年齢層の多くのファンが、この2つのドラマに熱く言及しています。

 しかし、実際は、カラーの『素浪人 花山大吉』をリアルタイムで見た方が多く、
 その前にもよく似たモノクロの『素浪人 月影兵庫』が放映されていたらしいが、
 残念ながら記憶がない、と『素浪人 月影兵庫』を伝説的に語る方が多いのです
 (本体ブログの投稿者であるMr. RollinとMs. Cendrillonもその世代)。

 君たち、ほんの少し遅く生まれた不幸を呪いたまえ。

 ここに大きな優越感をもって言わせていただきますが、
 ネット上で皆様が懐かしく褒めちぎっているように
 『素浪人 花山大吉』は稀代の傑作TV時代劇と思いますが、
 『素浪人 月影兵庫』をリアルタイムで見た私にとっては、
 『素浪人 月影兵庫』の方がもっと面白かった!

 衛星放送やケーブルTVで何度も放送され、
 そのたびに新たなファンが生まれるのも当然と思います。

〔近衛十四郎と品川隆二〕


 時代劇は、我が国における映画の発祥以来、
 日本映画の一大潮流として今に至っているのですが、
 映画産業が凋落する1960年代までは、
 歌舞伎界に何らかの由来をもつスターが幅をきかせており、
 歌舞伎界とは縁もゆかりもない近衛十四郎は、
 戦前戦後を通じて不遇をかこつ時代が長く続きました。

 一方で、近衛の殺陣捌きは、
 戦前からの時代劇の大スターを凌駕し他の追随を許さず、
 三船敏郎と並ぶ戦後最高の剣豪スターとして高く評価されていました。

 近衛は、その群を抜く殺陣捌きが評価されたにもかかわらず、
 格下の映画会社のモノクロ時代劇でしか主演ができず、
 ついに時代劇の象徴たる東映時代劇において主役を張ることができませんでした。

 しかし、近衛が演じた 『柳生武芸帳シリーズ』、 中でも、
 大友柳太郎と死闘を演じた『十兵衛暗殺剣』を代表とする多くのモノクロ時代劇は、
 アクション映画として極めて質が高く、今見ても全く古さを感じません。

 近衛自身、脇役に回った場合ですら、
 あの座頭市の勝新よりも強くみえた『座頭市血煙り街道』のように
 ドラマ全体を引き締めることができた稀有の存在でした。

 近衛十四郎については、永田哲明の名著『殺陣 チャンバラ映画史』(現代教養文庫)
 に詳しいので、私に騙されたと思って死ぬまでに是非一読することをお奨めします。

 そして、品川隆二も、映画界では近衛とほぼ同時期に、
 やはり格下映画会社の若手の二枚目時代劇スターとして、
 多くのモノクロ時代劇で近衛と共演していたのでした。

 ******

 TVドラマの黎明期には、近衛十四郎や品川隆二のような、
 二線級といわれた多くの時代劇俳優、監督、脚本家が、
 斜陽の映画界に見切りをつけ、新天地であるTV時代劇に活躍の場を移しました。

 近衛十四郎は50歳にしてTV版『柳生武芸帳』の主演を、
 品川隆二は30歳過ぎでTV版『忍びの者』の主演をして後、
 1965年、TV時代劇『素浪人 月影兵庫』において、
 近衛十四郎演じる「月影兵庫」と、品川隆二演じる「焼津の半次」として、
 私は運命的な出会いをするのでした。

〔ドラマの面白さ〕


 『素浪人 月影兵庫』を最初に見たときの印象は、
 なんと真面目で面白くないチャンバラ映画なのだ、というもので、
 当然に真剣に見てはいませんでした。

 子供向け(といっても大人の視聴にも耐えた)『隠密剣士』に熱中した後なので
 なおさらでした。

 第1シリーズは、平日の夜8時から放映されており、いつ終了したかも定かではなく、
 第2シリーズが、土曜日(まだ、休日ではなく半ドン日でしたが)の夜8時から
 放映されたのも気が付かなかったほどでした。

 それが、土曜日の夜10時30分から始まった
 『スパイ大作戦』第1シリーズを見るまでの時間潰しに、
 夜8時からの『素浪人月影兵庫』でも見てみるかと思ってたまたま見たら、
 何と、あのくそ真面目な本格時代劇が、
 底が抜けたようなおバカ珍道中ものに様変わりしていたのでした。

 ******

 私が見たのは、おそらく第2シリーズが始まって数か月たってからですが、
 何の目的で旅をしているかもわからない素浪人で、
 酒を呑むことだけが楽しみの月影の旦那と、何故かその月影の旦那が好きで、
 博打で稼いだ金を月影の旦那の酒代に貢ぎ続ける焼津の半次との珍道中設定
 が既に固まっておりました。

 二人は、立ち寄った宿場で必ず事件に巻き込まれ、その事件も、
 いたいけな町娘か、わけありの年増美女が、
 その土地のやくざか代官に絡まれるというワンパターン。

 ヒョンなことから事件に関わった二人が、やくざを全て成敗した後、
 月影の旦那がやくざの用心棒(天津敏とか戸上城太郎とか、ど迫力満点)
 を一騎打ちの末に倒して一件落着、
 また次の旅にでるというマンネリも極まれるストーリーでした。

 この時間帯の遥か後の後継番組が、
 大マンネリ時代劇『暴れん坊将軍』であることを思えば、
 この時にマンネリ時代劇の伝統はしっかり築かれていたことになります。

 なお、『素浪人 月影兵庫』『素浪人 花山大吉』を通じて、
 各話のサブタイトルが『〇〇が△△していた』のスタイルで統一されていたのも
 毎度のお楽しみで、おバカぶりが徹底されていたともいえます。

 このサブタイトルは、『素浪人 花山大吉』になってからますます冴えわたり、
 私が一番好きでサブタイトルだけでお腹がよじれたのは「渦まで左に巻いていた」
 でありました。

 ******

 『素浪人 月影兵庫』が、おバカ珍道中ものだけで100話以上制作され、
 最終回にいたるまでワンパターンを貫いたにも関わらず面白かったのは、
 いろいろと理由があります。

 最大の要素は、月影の旦那と焼津の半次の、
 おそらく映画・テレビのコメディ・バラエティ史上空前絶後の底抜け罵り合いの場面
 にあります。

 月影の旦那の酒の呑み方は決して上品ではなく、
 呑めば呑むほど意地汚く下品になり、
 それも半次の懐を鼻からあてにしてのことなので、
 半次も絶えず堪忍袋の緒を切らして、月影の旦那を罵ります。

 半次も、女に見境がなく、事件のからくりなどはサッパリなので、
 月影の旦那に『この馬鹿たれが!』と常に罵られており、
 あれだけ罵られれば切れるのが当然で、「この旦那野郎が、言わせておけば!」と
 月影の旦那が毛嫌いする猫をなすりつけて逆襲するのですが、
 多くの場合、半次の毛嫌いする蜘蛛が目の前に現れて気絶しそうになり、
 蜘蛛を手づかみする月影の旦那からさらに「ちっ、しょうがねえ奴だなあ」と、
 軽蔑丸出しに諌められる、というやりとりを延々と繰り返します。

 酷いときには、この罵り合いが、
 ドラマが始まってから30分以上続いたりするのですが、
 月影の旦那は正義漢溢れる剣の使い手で、
 最後は一瞬にして正気に戻って敵を一刀両断、
 半次も曲がったことが大嫌いで反りのない真っ直ぐ刀を抜いて、
 結構やくざよりも強かったりします。

 このような空前絶後の底抜けおバカシチュエーションと、
 迫力満点の正統チャンバラシーンの落差の大きさが、
 何ともいえないカタルシスになっていたのだと思います。

 このようなカタルシスに結びつく大きな落差は、
 時代劇俳優として高度な技術に裏打ちされた演技力と、
 それを全て破壊するほどの飛び切ったコメディセンスに裏打ちされた
 演技力が兼ね備わっていることが必要不可欠ですが、
 二人が共にそれを持っていたというのは奇跡的なことです。

 ******

 『素浪人 月影兵庫』では、映画時代の正当な剣豪スターと、
 正当な二枚目時代劇スターの雰囲気が色濃く残っており、
 その二人がいったい、どうしたらこうなるの!?という落差の大きい面白さがあります。

 当初から底抜けおバカシチュエーションが組み込まれていた
 『素浪人 花山大吉』では、
 その落差が希薄になってしまっていた、ということになります。

 『素浪人 月影兵庫』では、確か、
 月影兵庫は焼津の半次を「半次!」と気安く呼び、
 半次は月影兵庫を「月影の旦那」又は切れたときでも「この旦那野郎が!」
 と若干の敬意をもって呼んでおり、二人の愛ある親密ぶりが伝わったのですが、

 『素浪人 花山大吉』では、一応、月影兵庫とは別人物という設定であったため、
 花山大吉が焼津の半次を「焼津の!」とやや敬意をもって呼び、
 半次の方が花山大吉を「このおから野郎!」と言い捨てる場合が多く、
 若干の距離を置いた間柄であったことも、
 ちょっとだけ水臭いようで一抹の寂しさを感じたものです。

 なお、一応説明しておきますが、
 月影兵庫が酒に意地汚かったのに対して、
 花山大吉は「おから」無しでは酒が飲めないほど「おから」好きで、
 その食べ方がこれ以上なく下品なので、
 あきれた焼津の半次が「このおから野郎!」と罵るのが常であったのでした。

 『素浪人 月影兵庫』の最終回は、
 月影兵庫が実は家老の息子で、国に帰らなければならないことが
 何故か番組が終わる直前に知らされ、突然に訪れた月影の旦那との永久の別れに、
 半次が悲しみのあまり河原で号泣するという切ない場面で終わっています。

 私も思わずもらい泣きしてしまいました
 (次週から『素浪人 花山大吉』が始まることは勿論承知していたのですが)。

〔時代背景〕

 『素浪人 月影兵庫』の始まった1960年代後半、
 我が国は、映画産業は斜陽でしたが、TV業界が、
 TV時代劇の黎明期から全盛時代への移行期にあたったばかりでなく、
 『鉄腕アトム』に始まる質の高いSFアニメが次々と制作され、
 ビートルズに始まる欧米ポップスと、
 いしだあゆみ、森進一、ブルーコメッツ等に始まる歌謡曲・グループサウンズとが
 黄金時代に移行する時期でもありました。

 ベトナム戦争、公害、大学紛争・・・と問題は多かったのですが、
 我が国は、それでも、高度経済成長の波に乗り、東京オリンピック〜大阪万博と続く、
 明日は今日よりも良くなるはずであることを素直に信じられる、
 世界史をみても稀有な時代を迎えていたと思います。

 1967年のある土曜日の我が家の夜のテレビの時間割は以下の通りでした:

  7:00  『悟空の大冒険』(4年続いた『鉄腕アトム』の後継アニメ)
  7:30  『グーチョキパー』(和製ホームコメディ)
  8:00  『素浪人 月影兵庫』(第2シリーズ)
  9:00  『かわいい魔女ジニー』(米国製ホームコメディ)
  9:30  『土曜劇場』(良質なホームドラマ、後に『キイ・ハンター』に乗り換え))
 10:30  『スパイ大作戦』(第1シリーズ)

 当時、日本はまだまだ高度経済成長時代の真只中にあり、
 私の父もエコノミックアニマルといわれた世代でしたが、
 夜8時には茶の間にいて、家族とTVを囲んでチャンネル争いをしていたものです。

 北島三郎が、『函館の女』もまだ耳に新しい、あの高らかな澄んだ声で、
 
 ♪ は〜な追い風が吹いていた、し〜ろい雲が呼んでいた、
 ♪ うわさ訪ねて来た町は、真っ赤な渦が巻いていた、
 ♪ ま〜え触れなしにく〜る男、ろ〜にん一人、旅をゆ〜く

 と歌い上げる主題歌『浪人独り旅』を背景に、
 オープニングの月影兵庫の殺陣が始まると、気持ちが引き締まったものですが、
 その後に続く下品極まるおバカやりとりに、家族揃って笑い転げ、

 我が家は、世にもおめでたい時間を過ごしたのでした。

 その後に『スパイ大作戦』、明日は『ウルトラマン』が控えており、
 お楽しみはこれからであったTVドラマ黄金時代の開幕です。

 ******

 今、ネットで『素浪人 月影兵庫』と『素浪人 花山大吉』を語る方々が、
 その楽しさを懐かしむことはあっても、
 「いくらなんでもあれは下らなすぎてどうしようもない番組だった」
 などとネガティブに評価するのを読んだことがありません。

 おそらく、当時、日本中の多くの家庭で、
 あのおめでたくも幸せな時間を共有していたのだと思います。

 また、月影兵庫の酒の呑み方や、花山大吉のおからの食べ方がいくら下品で、
 二人の罵り合いが、今では放送できないであろう言葉でなされていても、
 愛すべき俗物ぶりを楽しめることはあっても、あのおバカシチュエーションに、
 生理的嫌悪感を催したり、毒々しい差別感情を感じたりするようなことは
 なかったと思います。

 二人の主演俳優の叩き上げらしい誠実さと、
 本来は『新撰組血風録』『俺は用心棒』等のシリアスなドラマで知られる
 結束信二の脚本が、ドラマの品格を担保していたといえるでしょう。

〔素浪人シリーズは再現できるか〕

 『素浪人 月影兵庫』『素浪人 花山大吉』は、戦後の日本の社会状況の中で、
 様々な日本人の才能が奇跡のような出会いをして初めて生み出しえた、
 あまりにもTV的なドラマであり、TV時代劇ベスト10の2位以下のドラマが、
 オーソドックスな文学・映画の文脈の中でいかに優れていても、
 到達することができない時代の産物であったように思います。

 ましてや、現代の俳優とスタッフで制作することは絶望的なように思います。

 一方、従来は、
 品川隆二以外に「焼津の半次」を演じることができる俳優はありえない、
 といわれたものですが、
 私は、今であれば、片岡愛之助に可能性があるように思います。

 その代わりに、あれだけ多かった時代劇俳優がいなくなってしまい、
 今度は「月影兵庫」を演じることができる俳優が思いつきません。

 貫禄ある中年のおっさんで、酒を呑むと果てしなくだらしなくなるが、
 いざとなると剣の達人って、誰をイメージすればいいのでしょうか?

 北大路欣也がもう少し若かったら・・・。

 歌舞伎の坂東三津五郎さんであれば、と思いましたが、亡くなってしまったし・・・。

 今の中堅の時代劇・アクション俳優はかっこよすぎて、
 中年のおっさん要件をなかなか満たせないように思います。

 例えば、真田広之や渡辺謙あたりが、
 年齢と殺陣の実力の観点ではピッタリなのですが、
 いかんせん、かっこよすぎます。

 強いて挙げれば、2017年現在で、
 NHK金曜時代劇『はんなり菊太郎』で好演した内藤剛志はどうでしょうか。

 内藤剛志は風格があり(183cm)、殺陣はまずまず、豪放磊落で、
 年齢(61)も片岡愛之助(44)と合うように思います。

 片岡愛之助版「焼津の半次」は、若干おねえがかるので、
 内藤剛志版「月影兵庫」に惚れていながら、
 いい男がいるとそちらにすぐ浮気するような設定かな?
 と暇に任せていろいろと妄想しています。

 ******

 実は、最近、DVDで若村麻由美主演『夜桜お染』(2003)を見る機会があり、
 若村麻由美の美しさにボーっとなって見ていたのですが、
 ここで、何と、内藤剛志と片岡愛之助が共演しているのです。

 やはりイメージ通りというか、まだ真面目時代劇であった頃の、
 月影兵庫と焼津の半次を彷彿とする組合せであることが嬉しかったです。

 『夜桜お染』は、愛すべき埋もれた時代劇の傑作で、
 また稿を改めて報告したいと思います。

******

 何はともあれ、焼き直しではありましたが、
 無事『TV時代劇ベスト10』が完結しましたので、最後に、
 ベスト10一覧表を付して、幕締めとします。

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posted by Dausuke SHIBA at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | TVドラマ

2017年03月18日

TV時代劇ベスト10(第2位)

 前回までで、第10位から第3位までをまとめました。

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 今回は、第2位を報告します。

第2位 『清左衛門残日録』(1993)

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〔背景〕
 当時、NHK及び民放共に連続時代劇枠が消滅又は激減していました。

 NHKの時代劇担当スタッフは強い危機感の下、
 まだドラマ化がされていなかった藤沢周平の原作に目をつけ、
 『腕におぼえあり』(1992)を皮切りに、2000年代半ばに至るまで、
 TV時代劇だけでなく広くTVドラマ史に残るであろう傑作が制作され続けました
 (NHKアーカイブスに人情時代劇枠の歴史サイトがあったのですが、
 削除されてしまったようですが、NHK殿、それはないでしょ)。

 『腕におぼえあり』は、藤沢周平の『用心棒日月抄』を原作に、
 海坂藩らしき東北の小藩の内部抗争に巻き込まれた青江又八郎(村上弘明)が、
 最愛の妻(清水美沙)を置いたまま脱藩。

 その後、青江又八郎は、江戸に出て用心棒稼業をしながら、
 藩の追っ手(必ず、技をもった剣客が含まれる)と死闘を重ねたり、
 藩の美人隠密(黒木瞳)と情を交わしたり、
 と『腕におぼえあり』は非常に面白い本格時代劇でした。

 が、村上弘明のあの長身から刀を振り下ろす大根切り剣法(今は違いますが)
 に目を覆い、黒木瞳の時代劇演技もぎこちなく、
 主演の2人は顔だけが取り柄で(それで十分なほどの美男美女ですが)、
 ひたすら脇役(渡辺徹、風吹ジュン、坂上次郎)の芸達者に支えてもらっていた印象
 が残っています(繰り返しますが、それでも、本作は面白い)。

 『腕におぼえあり』に引き続いて、平岩弓枝原作『はやぶさ新八御用帳』(1993)を、
 私は楽しく観ていたと記憶していたのですが、
 実はこの両作の間に藤沢周平原作『清左衛門残日録』(1993)が放映されたことに
 長い間気が付きませんでした。

 当時、何故、『清左衛門残日録』だけ見ていなかったのか思い出せません。

 『腕におぼえあり』は、主演の殺陣と演技が前述したような状況でしたが、
 それなりにカッコよかった村上弘明と若く美しい黒木瞳のコンビが、
 時代劇としては新鮮で楽しめたところ、
 『清左衛門残日録』は新鮮味の全くない仲代達矢では食指が動かん
 ということであったのかもしれません。

 しかし、後日、
 『清左衛門残日録』が実によくできた時代劇であるとの評判を知り、
 いつか『清左衛門残日録』を見てみたいと思っていました。

 そして、10年以上たってから、
 ようやくDVD化されたのを機に見たところ、完全に嵌ってしまいました。

〔物語〕
 これも海坂藩らしき東北の小藩で、
 先代藩主のころから長年、御側御用人(おそばごようにん)、
 今でいえば、社長の秘書室長を務めていた三屋清左衛門(仲代達矢)が、
 先代の藩主の死去を契機に、家督を息子の又四郎に譲り、
 藩が用意した、こじんまりしながらも瀟洒な屋敷で、
 息子一家と共に隠居するところから物語は始まります。

 清左衛門は、愛妻は数年前に亡くしたものの、
 まじめ一筋の又四郎、美しく明るい嫁の里江(南果歩)と
 孫に囲まれ悠悠自適の余生を楽しむつもりでした。

 しかし、まだ町奉行として現役で頑張る盟友、
 佐伯熊太(財津一郎)が持ち込む庶民の喜怒哀楽溢れる種々事件に一汗かき、
 藩の保守勢力の朝田筆頭家老(鈴木瑞穂)と、
 藩の改革勢力の中老の遠藤治郎助(御木本伸介)との対立による
 内紛に巻き込まれるという落ち着かない日々が続きます。

 それでも暇な日々、清左衛門は、己の人生を振り返り、
 かけがえのない何人もの友(河原崎長一郎、佐藤慶、他)に対する
 悔いの残る記憶が悪夢に蘇り、毎度後悔の念に苛まれます。

 その清左衛門に、佐伯熊太が
 行きつけの料亭『涌井』の女将であるみさ(かたせ梨乃)を紹介しますが、
 2人は互いに一目ぼれするも、身分の違いもあり、
 思いを伝えられないままの淡くも煮え切らない想いのやり取りが続きます。

〔スター達〕
 本作は、キャストを一人ずつ全員紹介したいほど、レギュラーだけでなく、
 毎回のゲストも含めて俳優陣が非常に素晴らしいと思います。
 
●仲代達矢
 ドラマのタイトルの背景に毎回かぶる、
 仲代達矢の朗々とした端正で力強いモノローグ

 「日残りて昏るるに未だ遠し

 は、聞いていて気持ちが清々とし、
 まるで、俗世にしがみつく自分のことを言っているのか、
 と勘違いしながら聴き入ってしまいます。

******

 主演の仲代達矢が素晴らしい。

 仲代達矢は、『七人の侍』(1954)の通行人の浪人役でデビューした後、
 同じ黒澤明監督の『用心棒』『椿三十郎』『天国と地獄』『影武者』『乱』、
 小林正樹監督の『人間の条件』『切腹』、
 山本薩夫監督の『華麗なる一族』『不毛地帯』『金環食』等の
 最も良質な日本映画の大作で主役・準主役を張ってきた、
 押しも押されもしない名優として知られています。

 仲代達矢は一見演技派のようですが、
 『人間の条件』『切腹』の汗まみれで匂わんばかりの兵隊や浪人役
 に代表されるように、どちらかといえば体臭がむせ返るようなワイルド派、
 演技といえば『用心棒』『人間の条件』の頃からほとんど全く変わらぬワンパターンで、
 私は長い間、何故、仲代達矢が名優として評されるのかよくわかりませんでした
 (『影武者』は勝新太郎で見たかったと今でも思います)。

 しかし、『清左衛門残日録』を見て、
 仲代達矢は演技派俳優ではなく、魅力ある稀代のスターであることがよくわかり、
 私は仲代達矢を見直しました。

 清左衛門は、今で言えば、定年にはまだ少し間がある時期に隠居しており、
 完全に老成しているわけではなく、御側御用人という要職を務めあげ、
 知性と良識を併せ持つ文人系武士としての魅力に加えて、
 数年前に妻を亡くしたまじめ一徹の男やもめながら、
 男としての魅力もまだまだ十分に残っており、
 嫁の里江(南果歩)、女将のみさ(かたせ梨乃)、みさの叔母の類(浅丘ルリ子)
 その他清左衛門の人生に関わる美女たちが惹かれていきます。

 また、清左衛門は、武芸のたしなみは人並み以上にあるものの、
 寄る年波もあり、あまり強いわけではないという設定がよく、
 それでも筋を通さねばならないときは、
 不安を押し隠して堂々と立ち向かうという男気をもっています。

 かつての手練れが、寄る年波と長年のブランクによって、
 腕がめっきり衰えたことを自覚しながらも、敵に立ち向かうという設定は、
 藤沢周平原作のおなじみの設定ですね。

 例えば、加藤剛の代表作『残月の決闘』(1991)(音無美紀子さん良かったです)
 が典型です。

 このように清左衛門は、役者にとっては非常に難しい役どころです。

 仲代達矢は、既に60代で、かつての荒々しいむき出しの野性的な雰囲気が後退し、
 落ち着いた初老の雰囲気を地で醸し出す一方、
 それらが絶妙に入り混じって男としての品のある色気が漂っており、
 このドラマでは、他の俳優にはないオーラを発散しています。

 女将のみさが、佐伯熊太を差し置いて清左衛門に一目ぼれするのも無理はなく、
 それを知った嫁の里江が嫉妬するという
 上記したキャラクター設定にドンピシャリ嵌っています。

 『清左衛門残日録』は、仲代達矢の生涯の代表作であり、
 このドラマで彼の名は後世に残るのだろうと思います。

●財津一郎
 清左衛門の気の置けない幼友達であり、
 隠居後の清左衛門にとっては藩の内実を知るための情報源であり、
 さまざまなエピソードにおいて盟友となる、
 現役の町奉行の佐伯熊太を財津一郎が演じており、仲代達矢以上に素晴らしい。

 「やめて、チョーだい」の昔から変わらぬ財津節が、
 ともすると聖人君子じみる本作全体に俗社会の空気を流し込み、
 しみじみとしたユーモアと味わい深い俗物ぶりを滲み出しています。

 藩の実権が反改革派の朝田筆頭家老から改革派の遠藤家老に移ろうという
 藩内の大騒動の中、ラインにあと一歩で乗り切れず、
 このまま万年町奉行で終わってしまうかもしれないというやりきれなさに、
 悠悠自適の清左衛門への尊敬とささやかな嫉妬も混じる、
 定年間近の中間管理職の複雑な心情を、絶妙な悲哀感を伴って演じています。

 この仲のよい初老の二人が、東北の寒さ厳しい夕刻、「涌井」で、
 女将のみさが作る愛のこもった料理で(ふろふき大根がおいしそう)
 みさを交えた三人で酒を酌み交わす場面が毎度の見どころで、
 こんなトリオで酒盛りできたら本当に楽しい人生になるだろうと思ってしまいます。

 また、この見どころの毎度の場面が、最終回の清左衛門の深い哀しみを、
 見る側の心の底にまで伝えるための伏線にもなっています。

●南果歩
 嫁の里江を演じるのが可憐で美しい南果歩でした。

 里江は、まじめ一徹の夫を愛し、夫からも愛されながら、
 その出世を願い甲斐甲斐しく家事をこなす一方で、
 元御側御用人でダンディな舅の清左衛門に、
 夫がときどき焼きもちを焼くほど惹かれており、
 亡き清左衛門の妻に対抗するかのように行き届いた世話をします。

 清左衛門も、そんな嫁の里江には頭が上がらず、
 里江に小遣いを渡されながら『涌井』通いをします。

 里江は、清左衛門がときどきみせる孤独な心の影に強く興味をもち、
 清左衛門の日記(残実録)をしっかり盗み読みしているのですが、
 肝心の清左衛門が、
 心の相談ごとは全て女将のみさに委ねてしまうのを知り激しく嫉妬します。

 という、これもなかなか難しい役どころを、南果歩は軽やかに演じています。

 里江が、清左衛門に、
 夫の出世のためにその上司に口添えをすることを願い出るエピソードがあります。

 そのような口添えはたとえ何人からの頼みといえども引き受けないこと
 を信条とする清左衛門が、他でもない里江からのたっての頼みということで、
 渋々引き受けて、雪がちらつく寒い夜に、
 上司の屋敷の前を行ったり来たりの逡巡をします。

 そうこうするうちに、清左衛門の心を決定的に痛める出来事が起こり、
 結局、里江の願いは思ったように運ばないのです。

 しかし、里江はその出来事を知ったとき、
 無理を押し通した自分の我儘を詫び、清左衛門の胸に泣き崩れます。

 清左衛門に対する里江の思いに、見ている方も感極まってしまいました。

 南果歩、素晴らしいです。

●かたせ梨乃
 「涌井」の女将のみさを演じたかたせ梨乃、これまた素晴らしい。

 田舎から女中奉公にでて、奉公先の主人に見初められて嫁いだものの、
 若くして後家となり、自ら料亭『涌井』を切り盛りする孤独な苦労人です。

 「涌井」の常連客となった佐伯熊太が、
 みさを見せびらかすために清左衛門を連れてきたことが、
 みさにとって清左衛門との運命の出会いになってしまいます。

 佐伯熊太にとっては清左衛門を連れてきたことを後悔することになるのですが、
 里江の厳重な管理下にあることもあり、
 清左衛門とみさの関係はプラトニックで煮え切らないまま続きます。

 ある冬の豪雪が吹きすさぶ晩、
 清左衛門は、昔の友に対する悔悟の念から屋敷を飛び出し、
 すれ違いで屋敷に戻った里江と佐伯熊太が心配するのも知らずに、
 『涌井』に倒れこみます。

 みさの介抱を受けて回復した清左衛門と、
 みさは、願ってもない二人だけの、幸せな酒盛りの夜を過ごします。

 その晩、清左衛門は「涌井」に泊まります。

 清左衛門が疲労で寝静まったのち、その寝床にそっと入り添い寝するみさと、
 寝たままの清左衛門との濃密な心の交錯が何とも切ない余韻を残します。

 『清左衛門残日録』は、実は、
 清左衛門とみさとの美しくも哀しいラブストーリーであるともいえます。

 かたせ梨乃は、不幸の影を持ちながらも、きっぷがよく、
 身分違いの清左衛門を思いながら、人生の荒波に翻弄されるみさそのもの、
 としかいえないほどに嵌り切っていて素晴らしいとしかいえません。

●佐藤慶●渡浩行
 清左衛門の若いころからの友でありながら(と、清左衛門は思っていた)、
 朝田筆頭家老側についたために、出世の道が閉ざされ、
 隠居後も零落したままの金井奥之助を、佐藤慶が演じています。

 金井奥之助は、己の生き方に筋を通す一方で、
 今も、友として訪れる清左衛門に対して、狂おしいほどに嫉妬します。

 この二人の、それぞれの人生を賭けた心の葛藤と、その葛藤を引き継いだ
 金井奥之助の息子の金井祐之進(渡浩行)と、
 清左衛門の息子の又四郎(赤羽秀之)との対立が、
 本作の太い縦糸を構成します。

 佐藤慶は出番が少なく、
 妻(中原ひとみ)も出てしまった薄暗いあばら家で寝たきりになる
 という動きのない役まわりなのですが、
 佐藤慶の、過去の人生の苦渋がにじみ出る、
 重厚かつ繊細な演技があって初めて本作の縦糸を構成しえたと思います。

 息子の金井祐之進を演じた渡浩行も、
 腕が立つが故に朝田筆頭家老側の暗殺者に成り下がったうえ、
 逆に始末されそうになるという、
 俗世の流れに翻弄される若侍を凄烈に演じています。

 奥之助は、自分と同じ道を歩み始めている祐之進に心を痛め、
 清左衛門に「せがれを頼む」と遺言を残します。

 清左衛門は、自らをも暗殺しようとする祐之進を、亡き友の遺言通り守り抜きます。

 金井親子と清左衛門親子の間の人生を賭けた葛藤と、
 最後にお互いを受け入れるまでの、
 山あり谷ありのエピソードも、見る者の心を打つことになります。

 このエピソードは、
 本作の番外編『清左衛門残日録 仇討ち! 播磨屋の決闘』の伏線となっています。

●鈴木瑞穂

 長い間、藩の実権を握り、
 改革派に追いつめられる朝田筆頭家老を鈴木瑞穂が演じています。

 鈴木瑞穂は、滝沢修、宇野重吉らと劇団民藝を支えてきた、
 バリバリのリベラル系俳優で、
 誠実な弁護士役などがぴったりなのですが、どういうわけか、
 権力欲に凝り固まった大物の悪役も重厚に演じることができる名優です。

 朝田筆頭家老は、清左衛門の正義の鉄槌によって失脚するのですが、
 権力に未練たらたら、復活するためにさまざまな悪あがきをします。

 仲代達矢のこれまた重厚に振り下ろす正義の鉄槌は、
 このくらいの名優を悪役に据えないと受けきれないと思います。

●山下真司

 藩で随一の使い手であり、
 清左衛門の護衛役でもある平松与五郎を山下真司が演じています。

 平松与五郎は、隠居後の清左衛門が通う道場の師範代でもあるのですが、
 剣のたしなみ以外は、何の趣味もないまじめ一徹のほとんど人がいいだけの好漢で、
 清左衛門に仲人をしてもらい、出戻りの多美(喜多嶋舞)と夫婦になります。

 互いに女心、男心のわからないカップルで、
 それが原因の山下真司ならではのユーモア溢れる夫婦ものエピソードがある一方で、
 朝田筆頭家老側の放つ暗殺者から清左衛門を幾度も助け、
 番外編『清左衛門残日録 仇討ち! 播磨屋の決闘』では、
 男平松の重要かつかっこいい見せ場が用意されています。

 私が山下真司を見たのは、『清左衛門残実録』が初めてでしたが、
 その後、『富豪刑事』で演じた鎌倉警部も面白く、とてもいい役者だと思います。

〔プロデューサー(菅野高至)〕
 『清左衛門残日録』は、軽重のバランスのとれたキャスティングが見事ですが、
 これを実現したスタッフ、特に、プロデューサーの菅野高至は、
 映画では到達できなかったTV時代劇を確立した人物として歴史に残ると思います。

●第一の功績

 菅野高至の第一の功績は、藤沢周平の原作を初めてドラマ化したことです。

 従来、映画及びTVの時代劇は、
 滝沢馬琴(南総里見八犬伝)、中里介山(大菩薩峠)の古典や、
 海音寺潮五郎、子母沢寛、山岡荘八、山本周五郎、南條範夫、司馬遼太郎、
 池波正太郎、松本清張といった大家の原作によっていたのですが、
 映画時代劇の衰退と、TV時代劇の定番原作の安易なドラマ化の流れの中で、
 藤沢周平の原作は映画化又はドラマ化されないままでした。

 天下レベルの権力者に繋がる枠組みをもつ従来の原作に比べて、
 東北の小藩を舞台に、藩に仕えるが、
 剣の使い手としてプロ意識みなぎる下級武士(清左衛門が最高位の官僚経験者か)
 の人生の機微とミステリーの骨格を物語の主体とする藤沢周平原作は、
 映画化するには地味すぎるとの映画サイドの判断があったのかもしれません。

 『腕におぼえあり』『清左衛門残実録』を見ると、
 企業勤めを中心とする今を生きる日本人の心情に近い舞台設定で、
 結構際どい男女関係など、従来の原作では描き切れなかった現代性があり、
 むしろTV時代劇の原作として好適だったことが理解できます。

 また、主人公が剣の達人で、その剣の達人が身につける《秘剣》は、
 文字では想像することしかできないところを視覚化する楽しみがあること、
 ミステリーの骨格は時代劇との親和性が高いことなど、
 従来ながらの時代劇としての面白さは引き継がれています。

 藤沢周平原作を先にTVでドラマ化されたことで、
 本家としてTV時代劇を引っ張ってきた映画時代劇は、
 TV時代劇の後塵を拝する状況に追い込まれたといってもよいと思います。

 菅野高至は、『清左衛門残日録』以降も、
 藤沢周平原作の『蝉しぐれ』『秘太刀 馬の骨』『風の果て
 をドラマ化し、さらに、
 北原亞以子原作『慶次郎縁側日記』(TV時代劇ベスト10の第5位)
 もドラマ化しました。

●第二の功績

 菅野高至の第二の功績は、新しい時代劇ドラマの型を作り上げたことです。

 主人公だけでなく、
 他の登場人物を主人公以上に丹念に描写して群像劇化することで、
 ドラマ全体を俯瞰する視点が設定されているように思います。

 この手法は、『慶次郎縁側日記』でも踏襲しており、
 『清左衛門残日録』と『慶次郎縁側日記』のドラマ構造はほぼ同じです。

 TVドラマ化から遅れること10年、2002年に至って、
 ようやく山田洋次監督が藤沢周平の『たそがれ清兵衛』を映画化しましたが、
 山田洋次監督は、菅野高至の創造した以上のことは何も生み出していません。

 なお、『たそがれ清兵衛』は、真田広之、宮沢えり、田中泯の好演により、
 名作一歩手前までいきながら、
 ラスト5分で山田史観のようなものが突然提示されシラケ切ってしまいました。

 映画監督ってなんで客の求めるものを率直に提示しないのでしょうね。

 ということで、
 菅野高至プロデューサーはTV時代劇に新しい道を切り開いたという意味で、
 黒澤明監督の『七人の侍』に匹敵する創作を行ったと思います。

〔NHKの撮影技術〕
 菅野高至の描いたTV時代劇のイメージを実現する上で、
 NHKの時代劇における撮影技術の高さは大きく貢献していると思います。

 モノクロビデオ撮影から出発したNHKの人情時代劇シリーズは、
 『清左衛門残日録』に至って、
 時代劇に不可欠な自然描写(NHKの自然ドキュメンタリーの雰囲気)や、
 室内撮影におけるセットデザインを実に美しくカラービデオ撮影しており、
 おそらく様々なノウハウの蓄積が生かされているものと思われます。

 このあたりの技術的解説をどなたかにしていただきたいと思っています。

******

 4年前(2013年)、仲代達矢へのインタビューを書き起こして、
 仲代達矢の映画人生を本にした『仲代達矢が語る日本映画黄金時代
 (PHP新書)の出版記念として、仲代達矢と著者の春日太一の対談が、
 新宿紀伊国屋ホールで行われたのを聞きに行きました。

 舞台では、若手の春日太一がことの経緯を説明した後に、
 仲代達矢が舞台の対談席に登場したのですが、
 登場したとたんに、スターのオーラが燦然と輝き、
 スターとはなんと神々しいものかと感激してしまいました。

 さすがに真っ白でしたがふさふさの髪の毛と、
 新作映画のために伸ばしたぼうぼうのこれも真っ白な髭がダンディで、
 80歳を超えているとは思えないシャキッとした姿勢とガッシリとした体躯、
 声を発すれば、昔ながらのあの朗々とした仲代達矢の明瞭な語り口で、
 入れ歯による発声の衰えなどとは無縁でありました。

 対談終了後に、客との質疑応答があったのですが、
 50〜60歳台と思われるご婦人方が、仲代達矢を前にぽーっとしてしまい、
 上ずった声で質問していたのが記憶に残っています。
posted by Dausuke SHIBA at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | TVドラマ

2017年03月17日

TV時代劇ベスト10(第4〜3位)

 前回までで、第10位から第5位までをまとめました。

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 今回は、第4位及び第3位をまとめます。

第4位 『新撰組血風録』(1965〜1966)

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 船橋元(近藤勇)が池田屋に突入し、
 飛び散るモノクロの血しぶきが想像力を刺激して、
 どれだけ血なまぐさく恐ろしかったか、
 子供の私には怖くてみることができないTVドラマでした。

 その後、『俺は用心棒』や『風』(土田早苗さんに憧れました)の栗塚旭がかっこよく、
 よく共演していた左右田一平と島田順司の3人が
 『新撰組血風録』でも同じイメージの役をやっていたという話をよく聞き、
 いつか『新撰組血風録』をきちんとみてみたいと思っていたのです。

 そして『新撰組血風録』がビデオレンタルされ始めたのを機に、
 毎週末1巻ずつ借りて、TVとほぼ同じペースで見たところ、
 毎回の感動と滂沱の涙で困ってしまいました。

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 各隊士に焦点を合わせたエピソードを丹念に積上げ、
 これらのエピソードにレギュラーの斉藤一(左右田一平)と沖田総司(島田順司)
 がさりげなく絡み、
 土方歳三(栗塚旭)が渋い語り口(クールの極み)のナレーションで話を進行させていく
 という構成で、ドラマ全体が、
 各隊士の死に向かう物語を客観的に突き放しながらも、暖かく包み込むという、
 計算し尽くされた素晴らしい脚本でありました。

 脚本の結束信二と、多くのエピソードを監督した河野寿一は、
 東映娯楽時代劇でならしており、
 このコンビがTV時代劇の基礎をつくったともいえます。

 現在の太秦映画村と違い、当時の東映のセットをそのまま使用していると思われ、
 広々とした屋内での殺陣は、ダイナミックで迫力があります。

 また、春日八郎のアナクロムードに溢れた「新撰組の旗が行く」(渡辺岳夫作曲)も、
 ドラマの前半では、若き新撰組の立ち上げへの応援歌、
 ドラマの後半では、落ち延び追い詰められる新撰組の葬送歌として、
 これ以上ぴったりの曲はないといえます。

 隊士の中では、
 徳大寺伸演じる原田佐之助の控え目ながら筋を通す生き方が印象に残っています。

 しかし、なんといっても、栗塚旭が演じる水も滴る「土方歳三」、
 島田順司が演じる透明で切ない「沖田総司」、そして、
 左右田一平が演じる新撰組の最後をみとり生涯その供養をする「斉藤一」
 の主役3人の死と背中合わせの若さが情熱的で、それぞれが、
 ついに最後の別れを迎える場面では涙を抑えることができませんでした。

 土方歳三、沖田総司、斎藤一の3人は、栗塚旭、島田順司、左右田一平の3人
 以外が思い浮かばなくなるほどのはまり役で、
 1998年のテレビ朝日版の村上弘明の土方歳三、
 2011年NHK版の永井大の土方歳三(おいおいおい『特命係長 只野仁』の・・・
 だいぶ違うだろ)などは、やはりは笑いがこみ上げてしまい、
 敬遠してしまいました。

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 映画が斜陽になりだした頃、
 映画の仕事がなくなりつつありTVに活動舞台を移さざるをえなかった
 若手俳優、悪役俳優、優れた脚本家・監督その他のスタッフが、
 撮りたいものを撮るという熱気があふれた多くのTV時代劇がつくられましたが、
 『新撰組血風録』は、その中でも際立って情熱的なTV時代劇です。

 『新撰組血風録』は、
 我が国の高度成長時代の始まりと共にTV産業が急速に立ち上がっていった
 あの頃でなければ制作しえなかった奇跡のTV時代劇であるといえましょう。

 もし、特に女性で、
 この栗塚旭版『新撰組血風録』を観ていない方がいらっしゃるようでしたら、
 この時代に生まれてこれを観なければ甲斐なし、と思いますので、
 ご鑑賞いただくことを強くお奨めします。

第3位 『必殺仕掛人』(1972〜1973)

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 市川崑監督の演出がモダン、上条恒彦の歌がモダン、
 主演で新人の中村敦夫がこれまでの時代劇俳優とは異なりモダン、
 とモダンずくめの『木枯し紋次郎』(フジテレビ)でしたが、
 同じ時間帯にTBSが仕掛けた本格時代劇『必殺仕掛人』に力負けしました。

 大映時代劇の奇才で、当時、
 大映時代劇の最後の光芒を放っていた若山富三郎主演の『子連れ狼』(勝プロ)
 を演出した三隅研次監督と、
 東映のやくざ映画のエース監督で、
 残酷場面を品よく描くことができる深作欣二監督とが、
 多くのエピソードを演出しました。

 NHK歴史時代劇『太閤記』(1965)と『源義経』(1966)の主演級を経て、
 油が乗り切っていた稀代の個性派かつ演技派俳優である緒方拳が主演であり、
 『木枯し紋次郎』に比べれば遥かに正統派本格時代劇であったといえます。

 私は、『木枯し紋次郎』を初回から欠かさず観ていたのですが、
 新番組の『必殺仕掛人』の第1回だけは見ておこうと思ったのが運の尽きで、
 それきり、乗り換えてしまいました。

******

 『必殺仕掛人』は、殺し屋が主人公で、依頼人に悪行の限りを尽くした悪の権化を、
 依頼人の人生と引き換えに仕掛人が暗殺する、
 というストーリーの斬新さが話題にもなり物議を醸したものですが、
 本作はTV時代劇あるいはTVドラマとして、
 映画では味わえないリズム感を創造した点に
 他のドラマにはない面白さがあったのだと思います。

 悪の権化に人生のどん底に突き落とされた依頼人が、
 身売り、破産等の己の人生と引き換えに百両は下らぬ仕掛依頼料を懐に、
 仕掛人元締めである音羽屋半衛門(山村聡が貫禄たっぷり)に
 悪の権化の殺しを依頼し、音羽屋が、針医者の藤枝梅安(緒方拳)と
 同僚のわけあり浪人である西村佐内(林与一)に仕掛けを命じるところまでは、
 言ってしまえば毎度お決まりのワンパターンストーリーでもあります。

 しかし、本作はここから先の展開、即ち、三隅研次と深作欣二の、
 アップ気味のシルエットに由来する光と影が交錯するシャープな映像、
 地獄の底で弾けるようなベース音と、依頼人の暗黒の背景物語とは真逆の
 軽快な主題歌「荒野の果てに」(唄:山下雄三/曲:平尾昌晃)をバックに、

 藤枝梅安の指の間に針を構えてから唇に挟み込むという、
 何ともかっこいい、従来にない様式的な殺陣と、
 西村佐内の歌舞伎調正当派の殺陣が美しく舞う仕掛けによって、
 悪の権化の息の根を止めるところまでのプロセスを、
 胸がわくわくするようなリズム感で一気に見せ切ってしまうところに、
 『木枯し紋次郎』を含めた従来の時代劇にはない、
 力強いカタルシスを伴う何とも言えない爽快感があります。

 この爽快感、「指令→ミーティング→仕掛け→任務達成」までのプロセスを、
 ラロ・シフリンの軽快な音楽と共に見せる、
 全体がリズミカルな音楽の体験とでもいえるような『スパイ大作戦』に
 共通するものがあります。

 『必殺仕掛人』は『スパイ大作戦』を多分に意識しているものと思われます。

 優れたTVドラマの多くは、
 このような観る者の音楽的生理に訴えることに成功しており、
 だから、毎回楽しみでもあり飽きがこないともいえます。
 (『ドクターX』もそうですね)。

 実際、田宮二郎主演の映画版『必殺仕掛人』も面白かったのですが、
 映画の横長の大スクリーンでは、
 TVサイズだからこその詰め込まれた密度の高いリズム感は生じ得ず、
 軍配はTV版に挙がると思います。

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 仕掛人たちは、仕掛けた後、決して後味が良いわけではなく、
 稼業がばれれば獄門磔の刑になるのは必定、
 日常には二度と戻れない精神的ストレスを金で解決するしかなく、
 依頼人の用意しなければならない金は、毎度、百両はくだらない額でありました。

 依頼人の多くは、
 悪の権化に全財産をむしり取られたり、体を奪われたりした挙句に依頼するのであり、
 百両の金は、さらに自分の人生と引き換えで工面するしかなく、
 仕掛人が悪の権化を倒しても、依頼人にとって何の救いもないままとなります。

 この少なくとも百両という額の設定が、このドラマに強い説得力を与えています。

 この設定は、脚本というよりは、
 原作のリアリティによるところが大きいのだと思います。

 池波正太郎の原作を離れた『必殺仕掛人』の後継ドラマである中村主水シリーズは、
 同じ脚本家が執筆していたにも関わらず、
 依頼金額がわずか数両、ひどいときには小判1枚にも満たない依頼金額を、
 仲間で分け合うという設定で、そんな少額で命を張って仕掛などするわけないだろう、
 と突っ込みたくもなり、目を覆わんばかりにドラマの質が大きく低下します
 (「ムコ殿!」は面白かったですが)。

 毎回の悪の権化も、
 遠藤辰雄、小池朝雄、金田龍之介、戸浦六弘、神田隆、内田朝雄、安倍徹といった、
 殺されて当然の悪役スター達の渋さも味わい深いですが、
 大友柳太郎、松橋登、小坂一也、近藤正臣といった、
 悪役とは縁がなさそうな俳優たちが嬉々として殺され役を引き受けているのも
 TVならではの面白さでした。

 また、毎回のオープニングの睦五郎の渋さ全開のナレーション:
 「はらせぬ恨みをはらし、許せぬ人でなしを消す、
 いずれも人知れず仕掛けて仕損じなし、人呼んで仕掛人。
 ただしこの稼業、江戸職業づくしには載っていない。」は、
 ハードボイルドの極みともいえ、
 このドラマのリズム感を決定づける絶品でありました。

 『必殺仕掛人』もまた、
 現代劇、時代劇を問わず、TVドラマの1つの到達点であろうと思います。
posted by Dausuke SHIBA at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | TVドラマ