2018年09月30日

将棋界の天才達と共に歩んだわが将棋人生

 中学生でプロ棋士(四段)となり、あっという間に七段になった藤井聡太七段と、
 引退した加藤一二三九段の人気で、昨年から将棋界が盛り上がっています。

 将棋は、日本古来のゲームであり、
 相手の王様を詰めば勝ち、というシンプルなルールですが、
 勝負がつくまでの過程が複雑で長時間(覚えたて以外は30分以上は)要するので、
 勝った時のこれ以上にない快感と、負けた時の狂おしい悔しさを味わった人には、
 将棋から抜け出すのが難しいことを多くの日本人が知っています。
 
 将棋の棋戦も、江戸時代に世襲名人制が確立して以降、
 戦後は、新聞を中心に、最近ではネット系メディアもスポンサーとなって、
 実力名人制を中心に、多くの天才棋士・スター棋士が間断なく生まれています。

 それにも拘わらず、将棋は、
 将棋というゲームの存在を知っているだけという多くの人たちから、
 一部の嵌り込んだ、今でいうおたくと言ってよい、
 極端に男性に偏ったマニアックな愛好家の中で行われる古色蒼然としたゲーム
 という評価が長期間にわたり常態化していました。

 実際、私の周りの将棋好きの男達は、中学生にして扇子を常備したり、
 贔屓のプロ棋士の話を異様な情熱をもって語り合うのが何よりも楽しみで、
 (私も含めて)女性の影など微塵もない 
 (但し、そのことをほとんど気にしていない)方々ばかりでした。

 このように、社会的には長年にわたり一定の存在感がありながら、
 マイナーなおたくゲームとしてしか認知されなかった将棋でしたが、
 羽生善治名人(十九世)(若い頃は美少年)が登場したあたりから、
 女性ファンが増えて、

 羽生名人ご自身も女優の畠田理恵さんと結婚するなどという、
 将棋史上初の快挙を成し遂げ、そして今では、

 とても中学生には見えない落ち着きと老けっぷりながら、
 ときおり見せる笑顔がこよなくチャーミングということで、
 お母様くらいの女性ファンが多くいる藤井七段と、
 かつてはおたく将棋少年の多くが憧れた希代の天才で、
 いまや、アイドルのような存在となった加藤九段の活躍で、
 マニアックな将棋愛好家の居心地が多少改善された今日この頃といえます。

 ******

 このような状況の中、先日(9/24)、
 将棋棋士の瀬川晶司五段原作の映画『泣き虫しょったんの奇跡』を観てきました。
 
 この映画を観て、長い間忘れていた、
 私が将棋に熱中していたときのことを思い出してしまいました。

 そこで、今回、私が一時嵌って熱中し、
 その後つかず離れずのお付き合いをしている将棋との関わりを、
 天才たちの興亡にあわせてまとめておこうと思い立ちました。

 以下では、永世名人又はその資格者を「名人」、
 それ以外の棋士はその当時の段位で敬称します。

《1960〜1970年代:大山名人-升田九段の時代》


 映画の瀬川少年が将棋に目覚めたのは、
 中原誠名人(十六世)の時代が始まる頃で、
 谷川浩司名人(十七世)が中学生でプロ棋士になって話題になった1976年です。

 私が将棋に目覚めたのは、
 私が生まれた頃に既に5期連続で名人位を防衛して永世名人となり、
 その後、名人位を升田幸三九段に2期明け渡した後に名人位に復帰して以降、
 5期連続(その後結局13期連続)で名人位を防衛し、
 新設されたタイトル戦を次々奪取していた、
 不動の大名人である大山康晴名人(十五世)の時代(1960年代)でした。

 ******

 大山名人は絶対的な強さで、
 その後も続く升田九段の挑戦をことごとく撥ね付けていました。
 
 大山・升田を追う次世代棋士としては、
 その中で最強棋士だった二上達也八段
 打倒大山の急先鋒なるも若くして亡くなった山田道美八段
 関西の盟主でミリオンセラー歌手でもあった内藤國雄八段
 神武以来の大天才として既に伝説となっていた加藤一二三八段
 (今考えると加藤一二三八段は当時20代だったのですね)
 等の天才が次々と台頭していました。

 また、大山・升田と死闘を重ねた前世代の天才・鬼才も健在で、
 戦後の実力名人制下での初代名人である木村義雄名人(十四世)、
 その木村名人と覇を競った塚田正夫九段
 (「九段」は今と異なり、名人経験者にだけ許されており、
 当時は塚田九段と升田九段だけがもつ将棋少年にとって畏れ多い称号でした)、
 瀬川五段の遠い先達である素人上がりの花村元司八段、
 大山名人の兄弟子で熱血剛力でならした大野源一八段
 絶妙な歩の使い手で「小太刀の名手」と呼ばれた丸太祐三八段
 将棋解説の達人だった優しいおじちゃま原田泰夫八段等の、
 大ベテランもお元気でした。

 私の親の世代は、将棋名人の代名詞といえば木村名人のことであったほどに、
 木村名人は当時既に伝説の大名人でした。

 花村八段も並の素人ではなく、賭け将棋で生計を立てることができるほどの、
 プロもうかつには指せないほど強く、瀬川五段と同様に周りに促されて、
 プロの編入試験に合格して五段付け出しでプロ棋士となり、
 八段まで上り詰めた鬼才というしかなく、
 丸坊主の異様な相貌で、私には違う世界に住む人物としか思えませんでした。

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 しかし次世代の天才達が大山名人に肉薄しようにも、
 彼らには、その前に升田九段というとてつもなく巨大な壁が聳え立ち、
 大山名人の全冠制覇(五冠王)の時代が、巨人・大鵬・卵焼きと同様に
 永久につづくのでないかと思えるようでした。

 大山名人は、とにかく全冠制覇しているときの方が多く、
 王将・王位・棋聖の賞金の安いタイトルは、時々、二上八段達にとられるのですが、
 次の年には挑戦者となってタイトルを取り返してしまうので、
 二上八段達は悪夢にうなされる日々であったことでしょう。

■当時の私■

 映画では、小学生だった瀬川君が隣家の鈴木君と、
 毎日毎日飽きずにどちらかの家で将棋を指し続け、
 瀬川君のお父さんに言われて、町の将棋道場に行くようになります。

 私も小学生から中学生にかけて近所に絶好のライバルがいて、
 当時流行食品となっていた即席ラーメンを食べながら、
 彼と毎日のように将棋を指していました。

 そして、私と彼は、日曜日になると、
 私と彼の家から近い武蔵小山駅前の路地裏の
 映画の将棋道場よりも狭い場末の将棋部屋で、
 たばこの煙が濛々と立ち込める中、1日中将棋を指していたのでした。

 そこに集う怪しげなおじさん達はとにかく将棋が強く、
 私もなかなか勝つことができず、
 将棋が強いとはどういうことなのかを実感したものです。

 将棋に熱中していた小・中の頃は、私は強い方で、
 アマチュア2級の棋力があるといわれ、
 小学時代のライバルの友には圧倒的に勝ち越していましたが、
 彼は負けても負けても、私は勝っても勝っても、
 お互いに将棋を指すことが楽しく、
 映画の瀬川君と鈴木君の関係と全く同じでした。

 しかし、中学では、私が入った将棋同好会には、
 3年生の部長になかなか勝てず負け越し、
 彼が卒業して「俺の天下がくるぞー」と思ったら、
 後輩の1年生に棋力1級の強豪が入ってきて、彼には負け越しで、
 ついに私の時代が来ることはなかったのでした。

《1970〜1980年代:中原名人-米長八段の時代》

 そして、私が高校に入って大学受験で将棋から遠ざかるまで、
 大山名人が君臨し続けた後の中原名人の時代が到来します。 

 私が高校に入った頃、
 難攻不落の大山城がようやくぐらついて、これで二上・内藤・加藤時代かと思ったら、
 大山名人は中原名人に名人位を明け渡し、
 この中原名人がまたまた絶対不動の名人になってしまったのでした。

 中原名人に挑戦するには、その前に、大山名人を倒さねばならないのですが、
 大山名人にトラウマを抱える二上・内藤・加藤各八段はなかなか勝てず、
 そうこうしているうちに、
 中原名人のライバルの米長邦雄八段が名人位以外のタイトルを制覇してきたため、
 ついに二上・内藤・加藤時代は来ることがなかったのです
 (この無念、私にはよくわかりました)。

 しかし、大山時代の升田九段に匹敵する中原時代の米長八段も、
 中原名人から名人位をなかなか奪取できず、そうこうしている間に、
 加藤一二三八段が最後の力を振り絞って中原名人から名人位を奪取、
 その翌年は若き天才谷川名人が加藤一二三名人から名人位を奪取してしまい、
 米長八段が中原名人に代わる盟主となる時代は遂に来なかったのでした。

 ******

 加藤一二三九段は、今では好々爺の老人アイドルのようですが、
 徹底的に頭を押さえつけられた大山時代を生き抜き、
 1期とはいえ、全盛時の中原名人から名人を奪取しており、
 やはりとてつもなく強い天才なのです。

 私は、NHK将棋講座で加藤一二三九段の解説もよく聞きました。

 加藤一二三九段は当時も奇行で知られ、相当に変人であることで有名でしたが、
 将棋の解説は歯切れよく素人にとても解りやすいので、
 頭のいい人はやはり凄いなということが強く印象に残っています。

■当時の私■

 このころ私は、興味が映画の方に移り、
 小・中の頃ほど将棋への情熱はなかったのですが、
 相変わらず強かったので、高校のクラスメートの将棋部の部長から、
 将棋部の対外試合に助っ人で参加するよう言われて、
 時々他流試合を楽しんでいました。

 大学生になってからは、ほとんど将棋は指しませんでしたが、
 ちょっと自慢してよいかもしれないことを含めて思い出があります。。

●東京理科大将棋部の対局で勝ってしまったこと
 
 私は実は1年間だけ東京理科大学に在籍していたことがあり、
 入学した年に将棋部でも入るかと思い、おためし対局をしてみたのです。

 そのとき、将棋部の先輩が1局手合わせしてやるとのことで、
 久々に将棋を指すことになりました。

 ところが、その将棋、私が勝ってしまったのです。

 私はその頃何も知らなかったのですが、東京理科大学将棋部といえば、
 当時から今に至るも、大学将棋界では名だたる強豪で、
 上級生部員が新入りの1年生に負けることなどあってはならないことだったのです。

 私が勝ったとき、将棋部内が騒然していたような記憶が今も残っています。

 結局、将棋部に入らず勝ち逃げしてしまいましたが、
 当時の先輩方、申し訳ありませんでした。

●卒論を書いた研究室の助教授に勝ってしまったこと

 広島大学で卒論を書いた研究室の夏合宿で、
 卒論の指導を受けた助教授と将棋を指しました。

 勝つつもりはなく、、助教授への攻撃を一切控えて守りに徹したのですが、
 助教授も攻めてこず、
 そのうちに、助教授は失着で自爆してしまい連敗してしまったのです。

 当然のことながら助教授は機嫌が悪くなり、
 研究室の先輩からひやかされ、とてもバツが悪かったことが懐かしい。

《1980〜1990年代:
 中原名人・谷川名人・羽生名人三つ巴の時代》

 谷川名人(当時八段)は、中原名人と死闘を繰り広げ、
 谷川時代が来るかに見えたのですが、
 当時六段くらいであった羽生名人(十九世)が台頭して、さらに、
 羽生世代(佐藤康光九段森内俊之名人(十八世)等)が怒涛の如く押し寄せた結果、
 谷川名人は押し流されずにいるのがやっとということになってしまいました。

 米長九段は、長年のライバルであった中原名人から最後に名人位を奪取し、
 中原時代に引導を渡したと同時に、翌年に羽生名人に名人位を奪取され、
 その後の羽生時代の幕開けをつくったという、
 いわば現在に通じる時代を創った偉大な天才です。

■当時の私■
 
 当時、私は企業勤めをしていてほとんど将棋を指すことはなかったのですが、
 宇都宮在住時のある年の正月、デパートで開催された将棋まつりを見に行きました。

 公開対局が中原名人vs米長九段で、
 解説が谷川名人(当時九段)と林葉直子女流五段という超豪華な顔ぶれでした。

 公開対局は、多くの将棋ファンが囲む会場に設営されたひな壇上で、
 盤を挟んで和服姿の中原名人と米長九段が対峙しており、
 水を打ったような静謐の中、背筋を伸ばした両雄が、
 気迫のこもった駒を打ち付ける音だけが響いていました。

 この荘厳で神々しい光景は今も忘れられません。

 しかも、見守るファン(あの懐かしい将棋おじさん達が多数)は、
 米長九段が中原名人からどうしても名人位を奪取できず、
 諦観すら漂う当時の米長九段の心中をよく承知しており、
 ほとんどのファンが米長九段の勝利を期待していたと思います。
 
 しかし、ファンが手に汗を握り固唾をのんで見守る中、
 米長九段は、彼らしい奇手を連発したにも拘らず負けてしまいました。

 勝負とは非情なものです。

 しかし、米長九段は、台頭する羽生世代を前にしてそこから一大奮起、
 この公開対局の翌年に、中原名人から念願の名人位を奪取して、
 棋界の頂点に立ったのでした。

 ******

 林葉直子さんは、中学生のときに、
 それはそれは清楚な美少女棋士としてデビューして、
 タイトルも数多く取り、女流棋界を牽引するスター棋士で、
 公開対局での美しいお姿に見とれてしまいました。

 その後、まさかの中原名人とのスキャンダルがショッキングでしたが、
 関係者はドロドロであったと思いますが、地味な将棋界にとっては、
 棋界を代表する大名人と美少女棋士の恋という、描きようによっては、
 映画の題材になるような華のある話題であったと思います。

 このスキャンダルは、お二人のキャリアを損なうものではなく
 恥じることではないと私は思っています。
 
《2000年代:羽生名人の時代から藤井七段まで》 
 
 この間は、私も会社勤めから特許事務所勤めに転職し、
 さらに自前の特許事務所を開設するという激動の日々を送っており、
 将棋を指すことはほとんどなくなりましたが、
 1つだけエピソードがあります。

 ******

 東京の特許事務所に勤めていた頃、
 結構シビアな状況が続いて気が滅入った時期がありました。

 気分転換と思い、秋の連休に、
 自宅から近い早稲田大学付属高校・中学の学園祭を観に行きました。

 ざわつく校内を歩いていたら、中学の将棋部の展示教室が目に留まり、
 あまりの懐かしさにふらりと入って、将棋部員と1局指しました。

 相手は学生将棋の強豪である早稲田大学の付属中学の将棋部員。

 こちらは将棋の駒を握るのも10年ぶりで、手元がおぼつかないロートル。

 勝負は見えていたかのようでしたが、何と、私が勝ってしまったのです。

 翌年の学園祭にも立ち寄って、また将棋部員と1局指しました。
 
 その時は、相手の部員の周りで、他の部員が、
 「あのおじさん結構強いぞ」とひそひそ話をしていたのが聞こえ、
 将棋部内では有名人であったようで面白かった記憶があります。

 そして、そのときも私が勝ってしまいました。
 
 私はこの2年間のたった2局の対局に心が癒され、
 仕事の転機を乗り切れたかなと思っています。

 早稲田中学の将棋部には心から感謝いたします
 (でも、早稲田大学付属中学の将棋部としてはもっと鍛錬しないとね)。


■最近の私■

 昨年(2017年)、
 わが将棋人生を共に過ごしたライバルの友の訃報が届き、
 これ以上悲しいことはありませんでした。

 彼とは、10年ほど前までは2年に1度ほど会う時があり、
 会えば「1局指すか」となり、
 彼の大学教員としての近況とか、私の会社での近況を話すこともなく、
 黙々と半日ほど指し続け、家で一緒に酒食することがあっても、
 外に飲みに行くことはついにありませんでした。

 純粋に将棋を指すひと時を楽しむことができた、かけがえのない友であり、
 『泣き虫しょったんの奇跡』を観ている間、
 彼との貴重な時間をもう持つことができないという喪失感を、
 改めて思い起こしまい、涙が次から次から溢れ出て困ってしまいました。
posted by Dausuke SHIBA at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ

2018年09月24日

『散り椿』西島君の好演と木村大作監督の映像美を堪能

 酷暑の夏が過ぎて、ようやくまともに頭が働く季節になりましたが、
 このタイミングで、
 秋にふさわしい映画の試写券をお客様からいただきました。

 いつもありがとうございます。

******

 ちょうど2年前(2016年9月10日)に『真田十勇士』を試写会で見て以来、
 久々の時代劇『散り椿』でありました。

 全体にわっさわっさと落ち着きのなかった『真田十勇士』に比べて、
 富山を舞台にした、しっとりと落ち着いた美しい時代劇でした。

 今週末(2018年9月28日)から公開されますので、
 準主役の好漢、西島秀俊君の演技と
 黒澤明監督仕込みの撮影技術者でもある木村大作監督による映像美を
 堪能していただければと思います。 

 試写券の紙面を引用しますので、雰囲気を感じてみて下さい。
IMG_0001.jpg

 但し、本作は観ていて、事件の概要と人間関係がやや解り難いので、
 以下のストーリーは事前に頭にいれて観た方が良いよいと思います。

《ストーリー》


 時は享保15年(徳川吉宗将軍の時代)。

 扇野藩のそれぞれ役職が違う若手で、互いに友人同士であった
 瓜生新兵衛(岡田準一)・榊原采女(西島秀俊)
 篠原三右衛門(緒方直人)・坂下源之進(駿河太郎)は、
 平山道場の四天王と言われ、それぞれが剣の使い手であった。

 四天王の中の瓜生新兵衛は、
 上役で榊原采女の父である榊原平蔵(榊原采女の父)の不正を訴えた。

 しかし、藩の実権を握る家老であった石田玄蕃(奥田暎二)は取り合わず、
 新兵衛を藩から追放する。

 新兵衛は、坂下源之進の妻・里美(黒木華)の姉である篠(麻生久美子)と共に、
 藩を出て、二人は夫婦となり長い放浪生活を共にする。

 その3年後、土砂降る雨の中で榊原平蔵は闇討ちに会い死亡した。

 さらに、四天王の一人である坂下源之進が藩から横領の罪を着せられて自決した。

 ******

 映画はここから始まり、
 上記エピソードは回想として断片的に描写されます。

 篠は新兵衛との長い放浪生活の末、
 肺の病で亡くなるが、新兵衛に以下の最後の願いを託する。

 ・故郷の実家の庭の椿を自分の代わりに見てほしい。
 ・榊原采女を助けて欲しい。

 新兵衛は篠の最後の願いをかなえるべく、
 18年ぶりに扇野藩に戻り、篠の実家である坂上家に居候した。

 新兵衛は、
 篠の妹で坂上源之進の自決で未亡人となった里美から手厚いもてなしを受けるが、
 里美の弟の藤吾(池松壮亮)からは闇討ちの首謀者かもしれぬと警戒される。

 新兵衛は、榊原平蔵の闇討ちの濡れ衣を着せられていること、
 坂下源之進が腹を切らされたことを知り、
 18年前の不正事件との関係を疑い、
 その真相を再度突き止めるべく行動を起こす。

 決して快く迎え入れているわけではない坂下家との軋轢、
 闇討ちの主犯として新兵衛を逆恨みする亡き榊原平蔵の妻(富司純子)の怨念、
 今では扇野藩の重役にまで昇りつめた榊原采女との友情、
 新兵衛を抹殺しようと暗躍する石田玄蕃との対立、
 そして最愛の妻である篠の心が采女と新兵衛のどちらにあったのか。

 散り椿の静かな季節の中で、
 新兵衛は悩み苦しみながら、采女と共に、
 石田玄蕃との最後の対決に出向く。

《西島君が好演》

 西島秀俊君は、今や、
 知性に溢れた二枚目かつ演技派の代表といってよいでしょう。

 私の周りにいらっしゃる女性で(西島君より皆さま年上ですが)、
 西島君を悪く言う人を見かけないほど、好感度も抜群です。

 私が西島君を初めて注目したのはNHKの連続ドラマ
 『ジャッジ 〜島の裁判官奮闘記〜』で、
 離島の裁判所で、
 美しい妻(戸田菜穂)と娘(枡岡明)に支えられ悪戦苦闘する
 若き判事役でした。

 そういえば、この判事は大阪地裁で知的財産専門という設定で、
 西島君に演じてもらえれば本望だなと変なところで感激したものです。

 判事という仕事柄、全く感情を表に出さないにも拘らず、
 離島と家族の様々なエピソードに接したときの
 内面で生じる葛藤・感動・悲哀、そして彼自身の心の成長が伝わる
 表情の微妙な演技が素晴らしかったことが強く印象に残っています。

 西島君は、『アンフェア』での猟奇殺人者も上手でしたね。

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 本作でも、西島君は、新兵衛に、美しい自分の妻が慕っていたのは、
 実は采女ではなかったのかと嫉妬させるに相応しい
 知性と大人の落ち着きを備え、しかも、藩の重役として、
 藩の不正事件と父親の暗殺事件に関与したのではないか、
 と疑われもする影のある雰囲気にぴったり嵌っています。

 最初は、岡田君に対抗して、
 ちょん髷結っての殺陣は大丈夫かなと心配だったのですが、
 全くの杞憂で、
 最後の悪家老・石田玄蕃一味との殺陣は鬼気迫っており、
 かっこよすぎます。

《脇役の若手男優陣が好演》


 悪家老・石田玄蕃を快く思わない若き扇野藩主(渡辺大)、
 江戸から戻った藩主を警護する四天王の一人である篠原三右衛門(緒方直人)、
 帰郷した新兵衛を出迎える平山道場師範代(柳楽優弥)、
 帰郷した新兵衛に秘剣を伝授される里恵の弟の坂上藤吾(池松壮亮)、
 坂上家の下男(柄本時生)がそれぞれ出番は少しなのですが、
 皆、存在感のある素晴らしい演技をしています。

 緒方直人、渡辺大、柄本時生は、
 それぞれの親父(緒形拳、渡辺謙、柄本明)を彷彿とします。

 映画俳優も段々歌舞伎のように演技的に世襲になってきたか、
 と思ったほどです。

 中でも、緒方直人は、いろいろな秘密を抱えたまま、
 命をかけて藩主を守り抜く三右衛門を、
 とても若手とは思えない不敵な面構えで好演しており、
 緒方拳が乗り移ったかのような迫力がありました。

 試写券の右下の、およそちょん髷が似合っていない、
 つるんとした若造が坂上藤吾(池松壮亮)で、
 試写券を見たときは大丈夫かな、と思ったものです。

 しかし、藤吾を演じた池上君は、
 若輩のうちに坂上家を双肩に担うことになる毅然として実直、一方で、
 新兵衛仕込の秘剣の使い手として見せ場をつくる藤吾の二面性を淡々と演じており、
 大変によかったです。

 ******

 なお、富司純子さん(私などは「藤純子」の方がピンとくるのですが)は
 今でも大変に美しく、
 息子の采女に期待するも、新兵衛を呪詛する年老いた鬼女を堂々と演じており、
 本作を引き締めています。

《映像美》

 藤沢修平の小説の舞台となる荒涼として寒々しい東北とは一味違う、
 緑生い茂る山々を背景とした清流に近い美しい富山の奥地が舞台ですが、
 これは本作の映像をそのまま説明したもので、
 黒澤明監督の映画で撮影技師として腕を磨いた、
 木村大作監督にして初めてできる描写と思います。

 黒澤明監督は、背景の美しさよりは、
 そこで蠢く武将の衣装や舞台となる城内の美術に焦点を当てますが、
 木村大作監督は、肌理に立ち入った背景そのものの美しさに惹かれているようです。

 私は、三右衛門に護衛された藩主が、鷹狩りに出かけた折に、
 藩主一行が清流に沿った林の中を馬で駆け抜けるときの、
 清流の水音、馬のいななきと足音、木々の葉音などの自然音が、
 背景の緑と混然となった映画ならではの動的な美しさに見とれてしまいました。

《辛口の注文》

 以下は、映画を観てから読まれる方が良いと思いますが、
 興味深々の方は自己責任でご自由にお読みください。

■脚本■
 本作は、闇討ちの濡れ衣を着せられたまま、
 采女と新兵衛の間で揺れ動く篠と共に藩を出奔した新兵衛が、
 亡き篠の願いをかなえ、闇討ちの真相に迫るというのが
 大枠のストーリーですが、
 @藩の不正事件と闇討ちの真相は何だったのか、
 A篠は果たして采女と新兵衛のどちらを慕っていたのか
 を大きな2つの謎としてミステリーの骨格を形成します。

 ところが、本作は、謎の発端となる出来事が、全て、
 篠が亡くなる場面以降の回想の中で、断片的に語られるだけなので、
 重要な出来事の概要が見ている方で理解し難く、
 謎の解明と肝心の「散り椿」の意味が十分に伝わってきません。

 これは脚本(小林堯史)に問題があると思います。

 小説は主人公の内心や過去の回想をいくらでも文章で説明できますが、
 映画はせりふの説明に頼るべきではありません。

 新兵衛が出奔する前の出来事は、映画の30分を割いてでも、
 時系列で具体的に描写すべきです。

 謎@に関係する事件描写だけでなく、
 謎Aに関わる若き篠、采女、新兵衛の人間関係もきちんと描写しておくべきです。

 その描写があれば、観ている方は想像力で補えるので、
 本作冒頭で具体的に描写した、
 長い放浪の果てに、疲れ切って病床にある篠が新兵衛に言付ける場面
 の方をむしろ回想にした方が、、
 あの若く美しかった篠がどのような思いで新兵衛に言付けをしたかが、
 観る側の心に迫ったのではないかと思うのです。

 そういう意味もあって、本作では、
 篠を演じた麻生久美子さんをもう少し美しく撮れなかったかと
 思います(木村大作監督は人間は描写できないと言われますよ)。

 ******

 また、回想で謎@と謎Aの過去の出来事を説明する構成にしてしまうと、
 俳優の演技力に大きな負荷がかかってしまいます。

 そこをきちんと表現しなければ、
 その葛藤を籠めてなされるべき殺陣の迫力(それこそが時代劇の醍醐味)
 が削がれますが、後述するように、
 新兵衛の最愛の妻と長年の友の間で苛まれる心の葛藤を、
 演技力で表現することは、岡田君には無理です。

 黒澤明監督の時代劇は、展開するエピソードの順番に沿って、
 見る側は出来事を具体的に理解できるようになっているので、
 (敵も味方も)登場人物の心の葛藤に感情移入できて、
 最後の壮絶な殺陣の場面によるカタルシスが強烈であるといえます
 
 『椿三十郎』の三船vs仲代が典型ですよね。

 本作は、脚本をうまく構成すれば、
 『椿三十郎』に匹敵する面白さになったのではないかと惜しんでいます。

■ミスキャスティング■

 本作は、上述したように、脚本構成によらず、
 新兵衛の心の葛藤が見る側に伝わる必要がありますが、
 岡田君には無理です。

 岡田君演じる新兵衛は、本作の冒頭から終わりにかけて、
 試写券で大写しされているような、
 髭面に眉間にしわ寄せた表情のままで、これでは、
 いったい何を考えているのかわからない薄汚い浪人にしか見えません
 (最初のうちは、着物だけは匂わんばかりの薄汚さがリアルで、
 桜京十郎に見えてしまい困りました)。

 木村大作監督は、俳優が演技をする素晴らしい環境は設定できますが、
 俳優に演技指導することはできないのではないかと思います。

 そうであれば、
 木村大作監督にとってキャスティングは極めて重要であると思います。

 本作では、2つのミスキャスティングがあると思います。

 ******

 1つ目は、先にも触れたように、新兵衛と采女のキャスティングです。

 私は、新兵衛を西島君、采女を岡田君に演じさせるべきだったと思います。

 本作のような、理不尽な目にあって長年の放浪で妻まで失う悲運な男であって、
 それでも人間らしさを失わない男は、
 二枚目の演技力と色気のある俳優にやらせて丁度よいのです。

 原作では、新兵衛は剣は強いが粗忽なややシンプルな性格のようですが、
 映画でキャラクターを変えても何ら問題はないと思います。 

 寡黙な(実は剣の達人である)采女の役であれば、
 岡田君でも十分に雰囲気は出せたのではないでしょうか。

 ******

 2つ目は、悪役の家老である石田玄蕃に名優奥田暎二を当てたことです。

 本作を見る限り、この悪家老は、
 過去の出来事を暴こうとする新兵衛を謀略にかけるには、
 やることが相当に軽く、無能のように見えます。

 このような軽い悪人役に奥田暎二ではいかにも勿体ない。

 悪家老の護衛をする剣の使い手らしき役人に、
 TVで軽い悪役をこなすベテラン俳優が演じていますが、
 むしろ、こちらの俳優を悪家老にして、
 奥田暎二に悪家老の護衛役人をやせた方がよかったのではないかと思います。

 この護衛役人を、
 新兵衛と采女の二人がかりでも敵わないかもしれない雰囲気にして、
 無能の悪家老に長年仕えているが、
 どこかで死に場所を探しているニヒルな男とすれば、
 多少浮き上がるかもしれませんが、奥田暎二にはピッタリかと思います。

■殺陣■
 本作は、新兵衛の強さを演出するための、あまり意味があるとは思えない
 新兵衛の妙な太刀捌きと立ち回りの場面が多すぎるように思います。

 本作は、勝新太郎の『座頭市』シリーズや三船敏郎の『用心棒』シリーズのような
 殺陣そのものの迫力を見せる映画ではなく、むしろ、
 藤沢周平原作のように、剣の達人でありながら不遇な目に合う下っ端の武士が、
 理と情に殉じて最後にその強さを静かに爆発させるという、
 人情時代劇の流れにあると思います。

 そうであれば、本作は殺陣を前面に出さず、
 登場人物の心情描写にウェートを置いて、
 最後に本格的殺陣を展開すべきだったと思うのです。

 実際、西島君の采女についてはそのようになっていて、
 ラストまでほとんど殺陣の場面はなかったにも拘わらず、
 ラストにおいて展開された立ち回りは十分に剣の達人ぶりが伝わり、
 カタルシスがあったと思います。 

■岡田君■
 本作を観終わると、
 普段俳優をしていないタレントと、俳優を専門とする役者の違いが、
 まざまざとわかってしまいます。

 岡田君は主役なのに、準主役の西島君だけでなく、
 上記した癖のある若手の脇役に完全に食われてしまっています。

 脚本とミスキャストの影響を最も受けてしまっており、
 岡田君には同情の余地は多分にあると思います。

 しかし、岡田君も、もし役者をこのまま続けるのであれば、
 本作を繰り返し観て、タレント業と引き換えに、
 専門の俳優の演技を真剣に学んで、真の役者にならなければいけません。

 殺陣師のまねごとなどしている余裕はないものと考えるべきです。
posted by Dausuke SHIBA at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画