2020年01月12日

『R.U.R.』古典ロボットSFに若手演出家が臨む(その2)

 若手演出家で劇団「東京娯楽特区」を主宰する広岡凡一氏は、
 私の行政書士繋がりの大先輩の天辰先生が主宰する
 新宿の朗読劇団で活躍し始めた頃から注目しています。

 今回は「単独演出で東京娯楽特区の新作を上演するので見に来てくれ〜」
 ということでしたので、正月明け早々に、
 仙川劇場で行われた最終日(2020年1月6日)の最終公演に出向きました。

 『R.U.R.』の時代的背景とあらすじはこちらを参照して下さい。
http://patent-japan.sblo.jp/article/187026603.html

 舞台全体は、こんな感じです↓
https://www.twugi.com/account/smimal1/tweet/1214467654846574592

《舞台》
 第1幕はR.U.R.社の応接ロビー、第2幕は豪邸の1室、第3幕はR.U.R.社の跡地
 という各幕1場のほぼ室内劇という単純な舞台設定なのですが、
 原作の物語構成の面白さ、ヘレナ役に嵌る主演女優のビジュアル、
 そして広岡凡一氏の巧みな舞台美術によって、
 休憩なしの2時間を飽きることなく見続けることができました。

〔キャスト〕
 ヘレナは、自分の頭で考えているとは到底思えないブルジョアの娘で、
 自分の信念を貫くことで人間を破滅に追いやってしまう、
 かわいいだけが取り柄のお馬鹿女といえますが、こんな役は、
 それなりのビジュアルと演技力がなければできないところ、
 主演女優の佐藤愛里奈さんは嵌り役だったと思います。

 ドミンがヘレナの唇を奪う場面は、えらく時間が長く、
 ドミンはけしからんと、持っていたペットボトルを舞台に投げつけてやろうかと
 思ったほどです。

 終演直後の仙川劇場のロビーで、佐藤愛里奈さん(左)と、
 東京娯楽特区『熱海殺人事件』でヒロインを演じた木下紅葉さん(右)
 のお二人を記念撮影させてもらいました。
GEDV0123.JPG

 ドミンも、ヘレナとは信念が異なりますが、
 融通の利かない信念を振りかざすお坊ちゃんで、女性に対して免疫のない、
 これもまた、顔だけが取り柄のお馬鹿男なのですが、
 主演男優の背の高いイケメンの山田定世さんが嵌り役でした。

 東京娯楽特区は、20代の若手ばかりの劇団で、
 登場人物の多い本舞台のキャストをどう組むのかと心配しておりましたが、
 ベテランの春延朋也さん(アルクイスト役)と神保麻奈さん(乳母のナナ役)が
 有志として駆けつけてくれ、バランスのとれたキャスト構成になりました。

 春延朋也さんが登場されたとき、武田鉄矢かと一瞬驚きましたが、
 映画・TV・舞台で幅広く演じられてきており、
 実は我々にとって必ず目にする空気のような存在の俳優だったのですね。
 → http://www.takaraipro.com/members/harunobe.html

 特に、黒澤明監督の遺作『まあだだよ』に出演されていたとは驚きで、
 私は春延朋也さんを大昔から目にしていたことになります。

〔舞台美術〕
 スクリーンの隅々まで綿密に構成しなければならずコストのかかる映画と異なり、
 舞台はシンプルな道具立てで具体的構成を見立てればよく、言い換えると、
 舞台上の具合的構成は、観劇者がイメージできるように記号化すればよいので、
 美術センスがあれば、貧乏劇団でも低コストで舞台美術は設計できるといえます。

 本舞台では、民藝の大道具担当でならした広岡凡一氏のセンスが面白く、
 室内劇では、3つの大きな金属アーチを配置して出演者が移動しながら、
 あるときは窓、あるときは出入りするためのドア、
 あるときは3つを集めて狭い室内の壁に見立てるという自在さでありました。

 このような感じです↓
https://www.twugi.com/account/colorshonen/tweet/1214772918049050624

 また、第1幕の応接ロビーの受付電話スペースと、ミーティングデスク
 (といっても、大きさと形が異なるただの箱なのですが)を、
 第2幕の豪邸の一室では、乳母のナナがこれらをやおら移動し始めて、
 ヘレナが秘密技術の書かれた書類を燃やす暖炉に組みなおし、
 炎の見立ての照明効果を加えて、舞台の景色が一変したのには驚かされ、
 あまり舞台を見ない私には新鮮で、本舞台の美術演出の最大の見せ場でした。

 その他、役者の演技とうまくタイミングを合わせて使用された
 電話のベル音、ドアのノック音、ロボットからの砲撃の光と音なども、
 物語のリアリティをうまくサポートしていたと思います。

〔シナリオと演出〕
 『R.U.R.』は、「人間とは何か」を、ロボットという虚構を通して、
 観る側に直接問いかけてきており、その問いかけは、後述するように、
 現在の我が国の状況を完全に予言しており、
 SF小説としての原作の構成が全く古さを感じさせません。

 本舞台は休憩なしの2時間を飽きさせなかったのですが、それは、
 原作の物語構成、舞台美術及びキャストに負うところが大きく、
 シナリオ(野月敦氏)と演出(広岡凡一氏)が、
 原作の意義を現代に繋げる独自の視点を提示するところまで練りあげている
 ようには見えませんでした。

 東京娯楽特区は、
 「古典や名作と呼ばれるような既存の戯曲を現代的に上演すること
  を目的としている。
  広岡は自身が演出する場合も含めて舞台美術全般も担当。
  翻訳劇に関しては野月が新訳を作成。
  「今使う言葉で観客に」を基本コンセプトに舞台づくりに取り組む。」
  https://www.tokyogorakutokku.com/
 としているのですから、このコンセプトをもっと掘り下げるべきでしょう。

 ******

 本舞台は、観ているうちに、物語の流れが何となくわかってはくるのですが、
 肝心な点が十分に説明されないので、以下に指摘するように、
 SFならではの仕掛けが印象に残りません。

■登場人物とロボットの描写■
 本舞台では、
 R.U.R.社の幹部の社長・経理・科学者・メンテナンス技術者等のロボット活用論者
 の社会的機能のステレオタイプな類型化(これは原作の狙いでもある)を、
 もっとメリハリをつけて行うことと同時に、
 本舞台でのロボットのイメージをもっと具体的に印象付けることが、
 必要と思うのですが、この点が決定的に欠けています。

 主要登場人物が象徴するステレオタイプな類型化された社会的機能は、
 人間的感情を含まない生産システムを象徴していますから、
 実は、本舞台で描こうとしているロボットとも重なってくるともいえるので、
 重要な要素なのです。

 ステレオタイプな社会的機能とロボットのイメージが明確なほど、
 彼らの間の恋愛感情という最も人間的でステレオタイプ化できない要素により、
 社会的機能とロボットが崩壊してしまう流れの中で、
 人間そのものの姿が浮かび上がるのではないかと思うのです。

 登場人物がメリハリつけて描かれていないため、
 ドミン・ガル博士・アルクイスト以外のR.U.R.社の幹部と
 乳母のナナの存在理由が伝わりません。

 R.U.R.社の幹部の人数をもっと絞り込み、
 狂信的宗教観に染まっているナナなどは、現代に対応するものがないので、
 無理に登場させる必要はなかったのではないか、とも思ってしまいます。

 ******

 第1幕では、幹部達が、R.U.R.社の商品としてのロボットのコンセプトを
 プロジェクターを使用して舞台に画像を映写しながら、
 ヘレナ(と観劇者)にプレゼンし、その中で、各人の信念を語らせ、
 ディスカッションさせるという演出もあったかと思います。
 
 本舞台のロボットは、
 頭にはコンピュータが埋め込まれ骨格は金属で構成されるターミネーター型ではなく、
 生物学的に培養して得られた頭脳・骨格・外観が人間そっくりの生体型
 (iPS細胞で培養された臓器のようで、結構グロテスク)であることを
 印象付けるべきです。


 現代に生きる観劇者にとっては、ロボットといえば、
 ターミネーター型の方に馴染みがあり、何も説明されないと、
 どうしてもターミネーター型を想起してしまい、本舞台の第3幕で、
 ロボットを解剖する場面でロボットが恐怖することがピンとこないからです。

 また、R.U.R.社の商品としてのロボットの、
 「感情と生殖能力はないが外観は人間そっくりで、
  人間の労働を代替できる作業機能のみ備える」という仕様は、
 R.U.R.社の幹部達それぞれの思想・信条が色濃く反映されており、
 ヘレナにとっては許しがたいものである筈なので、
 この辺りは、冒頭のディスカッションで、
 各人の思想・信条とロボット仕様の対応するイメージを鮮明にしておけば、
 これが伏線となって、
 第2幕と第3幕の展開が分かり易かったのではないかと思います。

■人間にとっての「労働」に代わる価値■

 本舞台では、「労働」は、R.U.R.社の社長ドミンによれば、
 人間にとって守るべき価値のあるものではなく、ロボットに代替させて、
 人間は何か別の価値あることをやるべきだということになっています。

 アルクイストも、「労働」することに喜びを見出しており、
 そのことによってロボットによる殺害から免れるわけですが、
 だからといって、彼自身がそう魅力ある人物というわけではありません。

 ヘレナに至っては、人間であること自体に価値を見出しており、
 ロボットが人間並みになると、どのようなよいことがあるのかが、
 定かではありません。

 原作も、どうやら、
 人間にとって「労働」に代わる価値を提示してはいないようです。

 そうなると、この物語は救いのない不条理な最後にならざるをえません。

 何故ならば、第3幕で、ガル博士はヘレナとガル博士(の若い頃)に似せた
 感情と生殖機能を備える疑似人間を創り出してしまうのですが、
 ヘレナやガル博士程度の疑似人間では、
 本舞台で描かれた歴史を繰り返すのは目に見えており、
 疑似人間には、殺し合いと生殖で絶滅と再生を繰り返すという、
 不毛な未来しかないことになるからです。

■ロボット工学の3原則との関係■
 アイザック・アシモフは、ロボットSFのこの不条理な最後を救済すべく、
 「ロボット工学の3原則」を発明しました:
 〔第1原則〕
  ロボットは人間に危害を加えてはならない。
  また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視してはならない。
 〔第2原則〕
  ロボットは人間から与えられた命令に従わなくてはならない。
  ただし第1原則に反する命令はその限りではない。
 〔第3原則〕
  ロボットは自らの存在を護らなくてはならない。
  ただしそれは第1、第2原則に反しない場合に限る。
 (『わたしはロボット』(1950)(伊藤哲訳、創元推理文庫、1976年)

 アシモフ以降のロボットSFでは、『鉄腕アトム』も含めて、
 ロボットにはこの原則が適用されていることが前提になっており、
 それにも拘わらず、ロボットが殺人を犯したり反乱を起こしたのは何故か、
 という点がミステリーの最大の読みどころとなっていたりします。

 考えてみると、『R.U.R.』でも、当初の仕様のロボットは、
 感情を持たせず作業機能だけがある、いわば家電製品であり
 人間の制御範囲内で作動することになっているので、
 ロボット工学の3原則が内在しているといえますが、
 ロボットに感情をもたせたため第1原則が機能しなくなったともいえます。

 従って、ガル博士が最後に創作した、
 感情と生殖機能をもつ2体の疑似人間ロボットは安全とは言えず、
 ガル博士は、これらの疑似人間ロボットに対して、
 さらにロボット工学3原則を付与しなければならなかったといえます。

 ******

 しかし、仮にロボット工学3原則を付与しロボットによる危害を回避しつつ、
 労働を作業用ロボットに代替させることができたとしても、
 「人間にとっての「労働」に代わる価値」が何なのかはわからないままです。

 この点をどう考えるかについて、原作誕生から100年後に、
 本舞台を創作する若い脚本家・演出家には検討して欲しいところです。

 アイザック・アシモフは、ここがこの人の偉大なところですが、
 「人間にとっての「労働」に代わる価値」が何なのかについて、
 一つの回答を出しています。

 それは、ロボット工学3原則に拘束されるロボットが、
 次第に人間になりたいという意思をもち、立派な政治家になり、
 人間と恋愛して結婚してセックスをし幸福を得、
 遂には死を望み安らかに死んでいく、突然変異ロボットの物語
 『アンドリューNDR114』(1992)(創元SF文庫、中村融訳)
 に書かれていますので、ご一読されることをお奨めします。

《野暮な話》
 最後に、少し野暮な話をしてみます。

 『R.U.R.』は、感情と生殖機能がない人間そっくりのロボットを、
 人間の労働を代替する作業用ロボットとして普及させたら、
 人間は生殖能力が低下するまでに退化してしまった社会ができあがり、
 ある時、ロボット製造工場の不手際から、
 感情を持ったロボットが製造され普及しだしたところ、
 感情を持ったロボットは人間を支配するようになり、
 労働機能を失った人間を殺戮するに至ったという戯曲です。

 この100年前に創作された戯曲の舞台を、このたび、
 広岡凡一氏の演出で楽しませていただいたのですが、
 今となっては原作の定型的ともいえる物語が、
 現代の我が国の状況を予言してしまっているような気がします。

 現代の我が国の状況を図式的に説明してみると、2000年以降から、
 投資家に利益が還流することだけを目的にした、
 人間的要素のない単純なシステムである新自由主義経済が世界に普及、
 生産性の低い人間は安く使うとして、非正規雇用が拡大し、
 生産労働人口層の賃金を徹底的に下げ続けた結果、

 生産労働人口層の結婚と育児を成立させるための経済基盤が失われ、
 生産労働人口層の出生率が、人口全体が減るほでまでに低下し、
 年金制度の崩壊が加速し、
 高齢人口層は生きていること自体が否定されつつある一方で、

 TPP・FTA(特に食・公共インフラの民営化)により、
 日本人は今後、生存に不可欠な食の質が低下し、
 長期的に健康が損なわれるという大きなリスクがあり、

 なにも変なロボットを普及させなくても、
 日本人全体が真綿で首を絞められるがごとく死に絶えていく過程にある
 と言っても過言ではないように思います。

 「桜を見る会」「モリカケ」「TPP・FTA(特に食・公共インフラ民営化の問題)」
 「年金」「防衛」「労働環境」「公教育」「研究費削減」「統計不正」
 「政権のメディア管理」など、ありとあらゆる分野で、
 政権中枢にある官僚の質が目も当てられないほどに低下し、
 多くの日本人が思考停止してしまっている状況は、

 『R.U.R.』の舞台上で繰り広げられる、信念に基づくとして
 何の疑問もなく危険なロボットを製造する思考停止した人間と、
 無用な人間を躊躇なく殺戮していまうロボットでできた世界の、
 直接的な延長線上にあるとしか思えません。

 野暮を承知で言っておこうと思いますが、
 現代を生きる若い舞台の創作者たちには、こういった身も蓋もない現実にも、
 アンテナを張って、原作の現代的な意義を考えて欲しいと思っています。
posted by Dausuke SHIBA at 17:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台・ライブ

『R.U.R.』古典ロボットSFに若手演出家が臨む(その1)

 若手演出家で劇団「東京娯楽特区」を主宰する広岡凡一氏は、
 私の行政書士繋がりの大先輩の天辰先生が主宰する
 新宿の朗読劇団で活躍し始めた頃から注目しています。

 これまで、朗読劇団での公演において、
 『朗読劇 こころ』(2017)では女優として、
http://patent-japan.sblo.jp/article/178853282.html
 『朗読劇 三四郎』(2019)では男優として、
http://patent-japan.sblo.jp/article/186994352.html
 変幻自在の演技者として楽しませていただきました。

 さらに、広岡凡一氏には、本職のプロの劇団スタッフとして、
 劇団民藝の『ペーパームーン』では大道具担当として、
http://patent-japan.sblo.jp/article/183628250.html
 東京娯楽特区の『熱海殺人事件』では共同演出家として、
http://patent-japan.sblo.jp/article/186367542.html
 取り組まれた舞台を楽しませていただきました。

 今回は「単独演出で新作を上演するので見に来てくれ〜」ということでしたので、
 正月明け早々に、こんなマイナーな古典SFで客が入るのだろうか、
 と心配しつつ、仙川劇場で行われた最終日(2020年1月6日)の最終公演に出向きました
 (心配ご無用の上々の入りで、安心しました)。

 概要は、東京娯楽特区の案内を引用しましたので、御覧ください。
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《仙川劇場》
 仙川劇場は、4年前(2016年4月10日)、
 上述の『朗読劇 こころ』で主演したプロパフォーマーの関井さんが
 振付担当をした『北の大地の詩』を観に行ったことがあり、
 当時暇であったせいもあり、仙川劇場の周辺の写真を掲載したブログ記事を
 のんびりと書いておりました。
http://patent-japan.sblo.jp/article/175020036.html
http://patent-japan.sblo.jp/article/175028755.html

 前回は春の昼下りに行ったせいもあり、新宿から京王線で30分足らにしては、
 何もないところだと思ったのですが、
 今回は冬の夜だったので、景色が一変しており、
 街灯やイルミネーションに照らし出されたショッピングエリアが、
 とてもおしゃれであることがわかりました。
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 仙川劇場も、昼みるとコンクリート打ちっ放しの殺風景な外観が
 見違えるような光と影のデザインになっておりました。
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《『R.U.R.』とロボットSF》

 今から半世紀以上前のTVアニメーションの黎明期(1960年代後半)には、
 手塚治虫原作の『鉄腕アトム』、横山光輝原作の『鉄人28号』がアニメ化され、
 我国の現代SFの楚を築いた筒井康隆世代のSF作家がシナリオに取り組み、
 ロボットSFを含む質の高いSFアニメ作品が数多く制作され、
 この頃に子供時代を過ごした私には、SFは身近な存在であり続けています。

 その後、1969年に、今は亡きテアトル東京のシネラマ大画面で、
 スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(1968)を見て、
 腰を抜かさんばかりの衝撃を受けたのが本格SFの洗礼だったといえます。

 その頃から、SF小説を読むようになり、
 『2001年宇宙の旅』の原作者であるアーサー・C・クラークの
 『幼年期の終り』(1953)『都市と星』(1956)では、米国SFのスケール感に圧倒され、
 アイザック・アシモフのロボット工学3原則で行動するロボットSF(1950〜1985)の
 ミステリーとしての面白さに嵌ると、そこから過去に遡り、
 子供の頃からの身近な存在だった『鉄腕アトム』『鉄人28号』が、
 実は非常に優れたロボットSFであることを再認識したものでした。

 そして、さらに過去にさかのぼると、ロボットSFの原点として、
 小説では『R.U.R.』(1920)に、映画では『メトロポリス』(1927)に行き着くことを、
 教養としては知っていたのですが、さすがに古色蒼然としすぎているだろうと、
 読んだり見たりしないまま、現在に至ってしまいました。

 そこに、広岡凡一氏が、この古色蒼然としたロボットSFを上演するということで、
 何かの巡り合わせとしかいいようがない絶好の機会が訪れたため、
 生きてるうちに見れるだけでも御の字ということで仙川劇場に足を運んだ次第です。

《あらすじ》

 ロボットSFの古典という以上の内容的な予備知識は何もなしに観たのですが、
 今回観たままのあらすじをまとめると以下のようになります。

■第1幕■
〔舞台〕
 地中海の孤島に拠点を置く、ロボットを量産して世界に販売する
 R.U.R.(Rossum's Universal Robots)社の応接ロビー。
〔設定〕
 R.U.R.社の製造するロボットは、感情と生殖能力はないが外観は人間そっくりで、
 世界中で、人間の労働を代替する作業用ロボットとして使われだしている。

 孤島には、1週間に1度停泊する船便があり、この船便で、
 R.U.R.社とロボットに興味をもつ欧州大陸からの訪問者が後を絶たない。
〔物語〕
 ある日、R.U.R.社のオーナーの一人娘のヘレナが船便でR.U.R.社を訪れる。

 ヘレナは、人間と区別のつかないロボットに人権を認めるべきという強い信念をもち、
 R.U.R.社におけるロボットの製造実態を調査しにきた。

 しかし、ヘレナを案内したR.U.R.社の社長ドミンは、
 今のロボットの仕様だからこそ人間を労働から解放できるという強い信念をもち、
 ヘレナの信念と全く相いれない。

 R.U.R.社には、社長のドミンの他に、経理担当のブスマン、研究担当のガル博士、
 工場メンテナンス担当のアルクイストを含む6人の男の幹部がいたが、
 ロボット製造工場と研究所しかない男ばかりの殺風景なR.U.R.社に、
 忽然と現れた若く美しいヘレナに、皆が魅入った。

 中でも、社長のドミンは、強引にヘレナの唇を奪いプロポーズし、
 ヘレナも抵抗できず、そのまま二人は結婚する。

■第2幕■
〔舞台〕
 10年後のR.U.R.社に隣接するドミンとヘレナが生活する豪邸の1室。
〔設定〕
 この10年間で、世界中で人間の労働作業はほぼロボットが代替する一方で、
 人間の生殖機能が低下したため、出生率が大きく低下する事態になっていた。
〔物語〕
 自ら労働することに喜びを見出す工場メンテナンス担当のアルクイストと、
 宗教的信念から、狂信的にロボットを否定するヘレナの乳母のナナは、
 この人間の情けない事態を嘆いた。 

 ヘレナは、ドミンを愛してはいたが、ロボットに対する自己の信念は変わらず、
 ドミンとの信念と相いれないことと、子供ができないことに苦しめられていた。

 信念を貫こうとするヘレンは、ヘレンを愛し続けるガル博士をそそのかして、
 ガル博士に、人間的感情を植え付けたロボットを量産させる。

 世界で販売されだした人間的感情を持ったロボットは人間を支配するようになる。

 この事態に気が付いたドミンとガル博士は、ロボットが自己増殖しないように、
 ロボットに生殖機能を付与する秘密技術を厳重に管理した
 (自己増殖できないロボットはいつか老朽化して寿命が尽きて絶滅するため、
  人間にとっての最後の安全装置となる)。

 一方で、ロボットの人間に対する支配志向は留まるところを知らず、ついには、
 労働生産能力のない人間は不要であるとして殺害をし始め、世界は騒然となる。

 その最中、子供ができないことがロボットの存在によると考え出したヘレナは、
 厳重に管理された秘密技術を盗み出し廃棄してしまう。

 人間を殺害し始めたロボットは、さらに自己増殖機能をも手中にするため、
 船便を占拠して、R.U.R.社がある孤島に上陸し、R.U.R.社の従業員達を殺害し、
 R.U.R.社の幹部が最後に逃げ込んだドミンとヘレナの豪邸を包囲する。

 ヘレナと幹部達が醜いのの知り合いをする中、
 ロボットは、最後には、彼らをも皆殺しにしようとするが、
 労働するすることを苦にしないアルクイストだけは生かしておく。 

■第3幕■

〔舞台〕
 ロボット市民が占拠したR.U.R.社の跡地。
〔物語〕
 ロボット市民は、生殖機能を付与する秘密技術が見つからないため、
 迫りくる自らの絶滅に怯え、ただ一人生存する人間であるアルクイストに、
 秘密技術を開発させようとするが、ロボット技術を知らない彼にはそれができない。

 絶望感に包まれたロボット市民の中で悄然とするアルクイストは、ある日、
 孤島の森の中で、
 ヘレナに瓜二つの女型ロボットと、女型ロボットに寄り添う男型ロボットに出会う。

 2体のロボットは、ガル博士が殺される前に製造した、
 愛するヘレナに似せて製造した女型と、生殖機能を補完する男型だった。

 アルクイストは、2体のロボットの存在に一縷の救いを見出す。

******

 次回は、この舞台について考えたことをまとめます。
posted by Dausuke SHIBA at 16:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台・ライブ

2020年01月04日

『朗読劇ミュージカル 三四郎』新宿より漱石に愛を込めて2(その4:第2幕〜第4幕)

 夏目漱石生誕150年を前にした2017年2月19日に、
 新宿区戸塚地域センターで公演された『朗読劇 こころ』に続き、
 劇団天辰の朗読劇公演第2弾『朗読劇 三四郎』が下記日程で行われました。

 ■日時:2019年12月8日(日)午後2時〜4時
 ■会場:漱石山房記念会館 地下1階講座室
 
 前回までに、
 ⓪当日の10日前の漱石山房記念会館でのリハーサル風景、
 @当日の、柴特許事務所から漱石山房会館までの街の風景、
 A当日の、開場前の緊張した直前練習の風景、そして、
 B開幕から第1幕までをお届けしました。

 ⓪『朗読劇ミュージカル 三四郎』新宿より漱石に愛を込めて2(予告編)
http://patent-japan.sblo.jp/article/186866016.html
 @『朗読劇ミュージカル 三四郎』新宿より漱石に愛を込めて2(その1:漱石山房記念館まで)
http://patent-japan.sblo.jp/article/186920696.html
 A『朗読劇ミュージカル 三四郎』新宿より漱石に愛を込めて2(その2:緊張の開場直前)
http://patent-japan.sblo.jp/article/186989837.html
 B『朗読劇ミュージカル 三四郎』新宿より漱石に愛を込めて2(その3:開幕から第1幕)
http://patent-japan.sblo.jp/article/186990151.html

■本朗読劇の幕場は以下の通りです。
 《第1幕 上京》
  第1場 上野のお花見
  第2場 貴社の中の三四郎
  第3場 名古屋の宿
  第4場 東京に向かう東海道線の車中
 《第2幕 東京帝国大学(赤門)》
  第1場 池の二人の若い女
  第2場 リボン
 《第3幕 新学期》
  第1場 佐々木与次郎
  第2場 広田先生の家
  第3場 仲良くお掃除
 《第4幕 団子坂・菊人形》

 今回は、第2幕から最終の第4幕までをご紹介します。

******

《第2幕第1場・第2場》
 
■三四郎は、東京帝大理科大学の研究室に、
 地元の知り合いの従弟である野々宮を訪ねて、
 東京生活についていろいろとアドバイスを受け、望遠鏡談義に興じる。
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 三四郎を演じる松澤君は、法学部大学院の24歳の学生さんで、
 『朗読劇 こころ』でも重要な脇役を演じましたが、
 今回は主役に抜擢されました。

 顔は明治の二枚目で、声もよく通り、はまり役なのですが、
 背が高すぎて、当初の下駄履きの予定が、草履でも違和感なしとなりました。

 野々宮を演じる野口君は、劇団「東京娯楽特区」で演出の広岡さんにしごかれている
 20歳の学生さんですが、舞台に立って、髭を生やした野々宮になった途端、
 目力のある迫力のある演技をしていました。

■三四郎は、野々宮の研究室を出た後、東京帝大工科大学の近くの池端で、
 看護婦と散歩する美禰子を見ることになる。
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 美禰子を演じる土田さんは、元々モデルさんで現在はミュージカル女優
 ・少し前の彼女→https://ameblo.jp/wkn829nkw/
 (天辰座長・松澤君とはこの頃からのおつきあいなのですね)
 ・今はTwitterが拠点です→https://twitter.com/2wkn_nkw9?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

 美禰子役はこのくらい花のある女優でないと成立しないのですが、
 天辰座長はとっておきの隠し玉の美女を用意していたのですね。

 看護婦を演じた飯長さんは、人形衣装作家(https://wearme.exblog.jp/30117848/
 で、お芝居の活動もされているとのことです。

■三四郎は、再び野々宮と合流して、池の景色と雲談義に興じる。
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■しかし、三四郎の頭の中は美禰子のことばかり。
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《休憩》
 
■来場された方々の平均年齢が高めなので、天辰座長が、
 ここで、ストレッチ体操をしましょうと呼びかけ、全員で体を動かすことに。
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《第3幕第1場・第2場・第3場》
 
■三四郎は、新学期が始まった東京帝大法科大学に出席して、
 原作では最後まで友としてつきあうことになる与次郎と出会う。
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 与次郎を演じた広岡悠那さんは、
 『朗読劇 こころ』でのオーバーアクションが注目された演技派で、
 今回は念願の男役ができると、気合が入っておりました。

 広岡さんは、またの名を広岡凡一、劇団「東京娯楽特区」の主催でもあり、
 2020年1月5・6日には、初めての単独演出となる、
 カレル・チャペックのロボットSFの古典『R.U.R』が公演されます
 → https://www.tokyogorakutokku.com/blank-4

■三四郎は、与次郎の紹介で、英語講師の広田先生と会うことに。
 三四郎が、広田先生の自宅に訪ねると、
 広田先生が東海道線で乗り合わせた怪しい男であることがわかり、
 再び哲学問答に付き合わされることに。
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 広田先生を演じる伊藤博之さんは、芝居・踊り・女装バレエ・・・と多彩な趣味で、
 明治の怪しいインテリにぴったり嵌ります。

■三四郎と与次郎は、広田先生の自宅を掃除する羽目になるが、
 そこに、やはり掃除の手伝いに駆り出された美禰子と会うことに。
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《第4幕》

■広田先生・野々宮・三四郎・美禰子は、
 文京千駄木の団子坂の菊人形を見に行くが、見物の群衆の中で、
 三四郎と美禰子は、広田先生らとはぐれてしまい、
 静かな広場の石橋の近くで、二人だけのデートをすることに。
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 雲談義に花を咲かせながら、ぬかるみの飛石伝いに歩く二人だが、
 美禰子は、飛石に足を取られそうになり、
 先を行く三四郎が手を差し伸べているその懐に飛び込んでしまう。
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■三四郎の腕の中に抱かれた美禰子が「ストレイシープ・・・」と呟いたところで、
 前編の了となります。

■原作では、まだ前半の段階で、
 三四郎は、これから美禰子に本格的に翻弄されるのですが、
 三四郎が新しい世界でさらなる人生の波に揺さぶられであろう予感の中で
 終わらせるのも余韻が残りとても良いと思います。

■最後の出演者全員による御挨拶と、振付の尾上先生のご挨拶。
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■出演者と観劇された方のTwitterも紹介します。
 榎本舞咲さん→https://twitter.com/mayanikoniko/status/1207226451495280640
 土田若菜さん→https://twitter.com/2wkn_nkw9/status/1203835304852873216
 観劇者の方
  →https://twitter.com/kurochanf/status/1203685955225280513/photo/1

《半世紀ぶりの『三四郎』》

 天辰座長との腐れ縁で、前回の『朗読劇 こころ』に続いて、
 今回の『朗読劇 三四郎』
 (ブログ上は『朗読劇ミュージカル 三四郎』にさせていただきました)
 を、勝手気ままにブログ記事とさせていただきました。

 天辰座長と出演者の皆様には深く感謝申し上げます。

 夏目漱石の小説は、もう半世紀近く前になりますが、
 私が高校・浪人の頃に、いまだに未読の『明暗』以外を読んでおり、
 何と言っても現代国語の試験勉強が楽だったことを思い出しました。

 また、半世紀ぶりに、朗読劇として声を通して接すると、
 夏目漱石の小説を最初に読んだときの印象がまざまざと蘇るだけでなく、
 その蘇った部分をみると、改めて、
 夏目漱石の小説に見た私の心情がわかるような気がします。

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 私は、夏目漱石の小説は好きですが、中でも、
 前期三部作『三四郎』『それから』『門』が好きで、
 後期三部作『彼岸過迄』『行人』『こころ』よりも強く印象に残っています。

 前期三部作までの夏目漱石の小説は、、
 小説と時事評論がないまぜになったエッセイに近かったり、
 社会風刺の色彩が強い群像劇であったり、
 『虞美人草』では現代にも通じる強烈な個性の女性を登場させたりと、
 小説の可能性を色々と試行錯誤して習作として腕を磨いていた、
 というようにも思えます。

 その準備の上で前期三部作が開始され、その第1作の『三四郎』が、
 田舎から上京した若い大学生の瑞々しい青春小説だったことが、
 ちょうど同年代で読んだ私の心を直接響かせることになりました。

 三四郎の心理が、色彩感覚(それもフランス映画のような原色感覚)
 溢れる言葉の連なりと、魅力的な女性像の上で描写されており、
 小説として非常に洗練されていると思います。

 前記三部作の『それから』『門』にも、
 この色彩感覚溢れる瑞々しい描写が十分に残されていると思うのです。

 『それから』のラストの万華鏡のような色彩描写は本当に美しく、
 いまだに強烈に印象に残っています。

 前記三部作は、
 精神的に若く、ストレイシープ状態が続く若きインテリを主人公にしており、
 三四郎は独身なので当然ですが、
 代助と宗助は不倫相手と同棲しているわけですから、
 女性がミステリアスな恋愛の対象として憧憬する要素が大きく、
 三四郎・代助・宗助から見た女性たちが魅力的なのは必然ともいえます。

 後期三部作になると、手紙を多用する物語の構成がパターン化して、
 重要な心理描写が手紙を通して描写され、夫婦間には互いを憧憬する要素がなく、
 前記三部作にあるような色彩感覚と瑞々しさは失われているように思います。

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 私が夏目漱石を集中的に読んでいた同じ時期に夢中になった
 黒澤明監督の映画や、村上春樹の小説にも同じような感じをもちますが、
 この話をしだすと長くなりますので、また別の機会に。
posted by Dausuke SHIBA at 16:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台・ライブ