2020年01月02日

『カウンター・ポイント』米倉涼子のV・I・ウォーショースキーを見たい!

 私のブログでは映画・TVドラマ・舞台の話題が多いのですが、
 私がブログを始めた頃から、段々本が読めなくなり、
 それでも推理小説アンソロジー(要は短編集)は読んでいたのですが、
 それすら読むのが苦痛になっている今日この頃です。

 なお、その推理小説アンソロジーも、講談社ノベルスのベスト本格シリーズ
 『本格ミステリXX』→『ベスト本格ミステリ20XX』だけはと思い、
 毎年6月頃の発刊を楽しみにしていたのですが、
 昨年(2019年)、いつも買いに行く紀伊国屋書店(新宿本店)になく、
 店員に「売り切れなんですか? 講談社に聞いてみてくれませんか?」と聞いたら、
 店員は「お客様ご自身で講談社にお聞きになった方が確実ですよ」との、
 大書店の店員とは思えない無責任な回答なので、
 私が「これこれ、わかる人を呼びなさい」と上から目線で命じたら、
 手慣れたベテラン店員が「講談社に聞いておきます」とのことで
 「最初からそう言わんか」とまでは言わないで連絡を待ちました。

 翌日、ベテラン店員から電話があり、
 「やはり今年は発刊の予定はないとのことです」との回答で、
 改めて驚きましたが、本格系推理作家の団体「本格ミステリ作家クラブ」が
 20年以上継続していた短編傑作年鑑が、
 何の予告もなく突然に発刊が止まるというのは、
 クラブ内部の紛糾か、クラブと講談社との間のトラブルか、
 これ自体がミステリになりそうな何かあってのことでしょう。

 しかし、本格ミステリ作家クラブと講談社は、
 事の顛末を何らかの形で公表しなければ、20年間読み続け、
 今後も楽しみにしていた読者に対して失礼でありましょう。

《V・I・ウォーショースキー》

 今から30年以上前、私も会社勤めで、土日にはまだ本が読める余裕があった頃、
 当時の米国ハードボイルド小説界は、既に古典となっていた名探偵
 「サム・スペイド」「フィリップ・マーロウ」「リュウ・アーチャー」の御三家に対して、
 男性探偵では「スペンサー」「アルバート・サムスン」、
 女性探偵では「キンジ―・ミルホーン」「V・I・ウォーショースキー」「ケイ・スカーペッタ
 らが、現代感覚に溢れた探偵たちとして登場しました
 (携帯電話も普及していない頃の「現代感覚」ですが)。

 私も、さてどれから読むかという状態でありましたが、
 原作者のP・コーンウェルが美人だったというそれだけの理由で、
 「ケイ・スカーペッタ」シリーズから読みだしたのですが、
 最初の6作は面白かったものの、社会性・人間関係に深みがなく、
 猟奇サスペンスの域から出られず、
 ある作から主人公を突然若返らせて主人公の成長性の要素を壊してしまうので、
 さすがに読者の捨て置き感が目障りで読まなくなりました。

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 「ケイ・スカーペッタ」シリーズの合間に、当時、既に名高かった
 女性探偵「V・I・ウォーショースキー」シリーズを一度は読まなくてはと思い。
 シリーズ第1作『サマータイム・ブルース』(1982/1985)を読んだのでした
 (出版年は原作/翻訳です)。

 なお、このシリーズのタイトルは、原題をそのままカタカナにしたのではなく、
 全作の翻訳をされている、山本やよいさんのオリジナルタイトルで、
 タイトルのバタ臭ささは、今となっては、バブル期の残り香として楽しめます。

 山本やよいさんも、シリーズ第1作の頃は、
 名前からしてキャピキャピのバブルギャルの雰囲気がしたものですが、
 今や、この方の翻訳でないとしっくりこないほどに年季が入っております。

 それ以来、必ず新作は読むというほどのめり込んでいた訳ではなかったのですが、
 「V・I・ウォーショースキー」とは、腐れ縁の長いお付き合いになりました。

 それにしても、先に挙げた男性探偵シリーズは既に途絶えているのに、
 女性探偵シリーズは、
 「キンジ―・ミルホーン」シリーズが原作者が亡くなって終わりましたが、
 「V・I・ウォーショースキー」シリーズと「ケイ・スカーペッタ」シリーズは、
 時代と共にアップデートしながら継続しているのは大したものです。

 「V・I・ウォーショースキー」シリーズは、
 作者のサラ・パレッキー(才気溌剌の私より7つお姉さん)が、
 この30年以上の激動のアメリカ社会に真正面から向き合い、
 女性探偵の本拠地であるシカゴを本舞台としながらも、
 巨悪の社会的背景とそこに暗躍する人間関係を、
 大きな地理的・時間的スケールで俯瞰した上で、
 男勝りながら美人で愛嬌もあるV・I・ウォーショースキー(愛称「ヴィク」)を
 情け容赦なく巨悪に立ち向かわせて、どんどん頁数が増えてしまい、
 シリーズ第10作になるころには、ハヤカワ文庫で2000頁近くまでになったため、
 私も覚悟して読みだすようになりました。

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 米国のハードボイルド小説は、何だかんだ言っても、
 男性作家の作品は昔ながらのハードボイルドなのですが
 (「アルバート・サムスン」シリーズは少し毛色が異なるかな?)、
 女性作家の作品は、主人公の成長と人間関係が、
 少女漫画としか言いようがありません(というか、
 「風と共に去りぬ」の昔から、我が国の少女漫画の方が、
 米国の女性作家の感覚に影響されているわけですが)。

 登場する相応にかっこよい男たちはヴィクと関係をもつことも多く、 
 そのうち「今彼」「元彼」が入り混じって(パレッキーは誰も死なせないので)、
 それだけでも話が複雑になり面白さが持続します
 (しかし、女性作家の男の扱いは厳しく、これらの男たちは、
  ヴィクと関係している間はとても魅力的なのですが、
  ヴィクとの関係が冷めた途端に友達化・俗物化してしまいます)。
  
 ヴィクは、毎作、何度死んでも不思議ではない危機に陥りますが、
 周りのレギュラーメンバーが、精神的にも物理的にもヴィクを支えており、
 ヴィクの加齢と共に、これらのレギュラーメンバーとの人間関係に深みがでて、
 新作を読むたびに、ヴィクは、私の人生に併走してくれているような気になります。

 私にとってのヴィクは、映画でいえば、
 『ブリジット・ジョーンズの日記』のブリジット・ジョーンズのような、
 現代社会を併走する戦友のような気分になります↓
 http://patent-japan.sblo.jp/article/177571046.html

《シリーズ第17作『カウンター・ポイント』》

 そうは言っても、短編集すら読むのに難儀している身にとって、
 一時ほどではないですが、それでも700頁前後ある大作は、
 手に取るのも億劫という状態でしたが、
 昨年9月に、私の旧友が生前葬をするから来てくれと大騒ぎするので、
 新宿から九州福岡市まで日帰り強行軍したときに、
 書店にあったシリーズ第17作『カウンター・ポイント』(2015/2016)
 を、新幹線の中で、本当に久々に読むことにしました。

 本作は、シリーズ第2作『レイクサイド・ストーリー』(1984/1986)の直接の続編で、
 『レイクサイド・ストーリー』で謎の死を遂げたヴィクのいとこで
 ホッケー界のスーパースターだったブーム=ブームの過去の人間関係を背景にして、
 ヴィクの高校時代の「元彼」がヴィクに調査依頼をしてくるところから始まります。

 ヴィクの本拠地であるシカゴを舞台に、
 腐敗しきって悪臭芬々とする学校・協会・警察・土建業者・政界の巨悪に
 ヴィクが立ち向かうのですが、
 ヴィクの周りのレギュラー・メンバーも皆巻き込まれ大変なことになります
 (レギュラー・メンバーにとっては毎度の迷惑大騒動です)。

 久々のヴィクとの対面となりましたが、
 いざ読みだすと、夥しい数の登場人物の名前(当然皆カタカナ)が覚えられず、
 前回読んだシリーズ第13作『ウィンター・ビート』(2011/2011)から
 間をあけてしまったこともあり、例えば、
 「今彼」のジェイクはいつ「今彼」になったのか知らなかった、というように
 人間関係がよく思い出せない状態で、なかなか読み進まず、
 夜寝る前に5〜10頁ずつという情けないペースで、
 4か月かかりましたが、昨年(2019年)末に読了した次第です。

 ヴィクは、50代の雰囲気で、前回からあまり年取った感じではなく
 (八千草薫さんがこの30年間60代前後だったようなものですが)、その代わり、
 私の御贔屓の最高齢(90代の設定)のレギュラーメンバーである
 コントレーラス氏を、健在ながらも年相応にヨボヨボにしたり、
 「元彼」の一人だった筈の新聞記者を、業界主流から外れやや老けた感じにしたり、
 「今彼」の音楽家のジェイクは、ヴィクのして欲しいことを全部してくれる等
 (パレッキーは楽しそうに好き放題に書いております)、
 やはり「V・I・ウォーショースキー」シリーズは面白いことを再認識しました。

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 私も弁理士になってから10年が過ぎ、事務所を開いて5年が立ちますが、
 考えてみれば、ヴィクと同じフリーランスという観点で読んだのは
 今回が初めてで、ますますヴィクに親近感が湧きました(というか、
 身につまされます)。

 ヴィクは、今回もそうですが、
 毎度、本業の探偵業務とは関係のない事件に巻き込まれており、
 これだけ大変な思いをして全く収入にならないので、
 物語の合間合間で、生計を立てるための本業をまめにこなしていく
 という、女性作家ならではの現実的な設定に親しみがもてました。

 パレッキーは、ヴィクの現実的な生活感を滲みだす一方で、
 巻き込まれた事件で知り合いになった(品の良い)大金持ちから、
 ヴィクに対して予期せぬ報酬が支払われるという、
 私が夢見てしまいそうなハッピーエンドを用意しています。

《米倉涼子のV・I・ウォーショースキーを見たい!》

 これだけ面白い「V・I・ウォーショースキー」シリーズですが、
 何故か、米国では1回しか映画化されていません。

 シリーズ第2作『レイクサイド・ストーリー』が、
 1991年に『私がウォシャウスキー』として映画化されており、
 主演のキャサリン・ターナー(『白いドレスの女』(1981)には悩殺されました)
 は全くの嵌り役で、ヴィクのイメージそのままで、
 シリーズ化してもよさそうだったのですが、これ1作で続きませんでした。

 この記事を書くときに、Wikipediaを読んではじめて知ったのですが、
 何と、松坂慶子さんがV・I・ウォーショースキーを演じていたんですね。
 NHKがドラマ化した『女にも七人の敵』(1996))ですが、
 何となくわかるといえばわかるのですが、さすがにトホホですね。

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 私は、米倉涼子のV・I・ウォーショースキーを見たいです。

 米倉涼子は、申し分のない美貌とモデル並のスタイルでありながら、
 色気はあくまで武器で、ビジネスライクなハードボイルドの雰囲気がだせる
 我が国では数少ない拳銃片手のアクションが似合う女優で、
 V・I・ウォーショースキーのキャラクターにぴったりです。

 「モリカケ」「桜を見る会」の騒動をみてわかるように、
 『ドクターX』の東帝大学医学部のデタラメ学部長の蛭間(西田敏行)が
 まともに見えるほどに、現実社会の崩壊が進行してしまっては、
 さすがの『ドクターX』も時代に追い越された感じがします。

 テレビ朝日にやる気があるのであれば、
 『新聞記者』(2019年)のような疑似ノンフィクション的フィクションではなく、
 サラ・パレッキーのような視点で、
 魅力的な女性探偵が、我が国の社会の矛盾に切り込むエンタメ路線を、
 米倉涼子主演で開拓して欲しいものです。

 「V・I・ウォーショースキー」シリーズで扱う米国の社会的現実を
 そのまま我が国に置き換えても意味がないので、
 あくまでキャラクターと人間関係を取り込ませてもらって、
 我が国の社会的現実に即したオリジナルストーリーにしたほうが、
 原作の意図に即するように思いますから、
 サラ・パレッキーも協力を惜しまないのではないでしょうか。

 エピソードの一つとして、
 世界的な巨大スポーツ興行団体IOhCが、我が国で展開した、
 巨額のスポーツマネーが動く商標の違法ライセンス事件を、
 米倉ウォーショースキーが、
 弁理士(西島秀俊)とその秘書(石田ゆり子)と組んで追及する、
 というのがあれば、私としては、全面的に協力したいと思っています。

 IOhCの日本支部の会長の裏金スキャンダル、
 IOhCのエージェンシー委員会の会長と開催都市の女性市長との因縁の裏バトル、
 IOhCによるスポーツ興行の跡地を巡るカジノ疑惑などを絡めれば、
 サラ・パレッキーもやる気を出すのではないでしょうか。

 最後に私なりのイメージキャストをしてみましたので、時間潰しにご一読を。
20200103『カウンター・ポイント』米倉涼子版VIウォーショースキー.jpg
posted by Dausuke SHIBA at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) |