2020年06月13日

『理科教育』を弁理士が考えてみた(その6)理科教育は『技術・家庭』を入口とすべきだ

 5月31日に、私のところに特別定額給付金申請書が届きました。

 申請方法は、郵送、又は、
 マイナンバーカードを使用してのオンライン申請が可能とされています。
20200613特別低額給付金.jpg

 提出書類は、
 @上記項目を手書きした申請書;
 A健康保険証か運転免許証のコピー
 B預金通帳の口座情報記載頁のコピー
 だけで、これらを返送用封筒に入れてポストに投函すればよく、
 20分もあれば終わりです。

 @の申請書には、以下の項目を記入するだけです。
 ●所帯主の指名(自著) ●電話番号 ●申請日
 ●口座情報(口座名義・金融機関名・口座番号等)

 預金通帳を手元に置けば、5分程度の作業でしょう。

 この程度の作業をするのに、
 よくもマイナンバーカードを使用させようとしたものです。

******

 マイナンバーカード申請しようと考えた人の多くは、
 おそらく生まれて初めてマイナンバーカードを使用する人が多く、
 以下の作業をしなければなりません。
 A.マイナンバーカードの交付申請をしてマイナンバーカードを入手して、
 B.入手したマイナンバーカードを使用して特別定額給付金申請をする。

 しかし、A及びBの作業についての、
 総務省の所定のサイトの説明が非常に解り難く、
 説明を読んで一人で作業をすることは相当の苦痛を伴うでしょう。

 さらに、作業Aをした後、マイナンバーカードが届くのに1月を要し、
 それから、作業Bを四苦八苦してしなければなりません。、
 
 申請書が郵送されるのを待って20分で所定の書類をポストに投函する方が
 遥かに合理的です。

 なお、作業Aにおいて、マイナンバーカードを入手するには、
 所定の用紙を持参して所定の公的窓口に出向き、
 マイナンバーカードを手渡されるのですが、
 ここで驚くべきことを知ることになります。

 マイナンバーカードは、
 表面に個人番号が誰にも見えるようにむき出しに記載されており、
 窓口担当者には当然見えてしまいますし、
 万一落としてしまい、誰かに拾われた場合、
 拾った人に確実に個人番号が知られてしまいますので、
 セキュリティはないに等しいカードともいえます。
 
■理科教育は『技術・家庭』を入口とすべきだ■
 
 『理科教育』を弁理士が考えてみたシリーズでは、これまで、
 私の大学時代(広島大学理学部大学院)の先輩で、
 山口大学教育学部で教授をされ昨年退官された
 村上清文先生から届いた理科教育に関する論文について、
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その1)』では論文の内容を、
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その2)』では、
 論文の主テーマたる「自然を愛する心情を養う」ことを
 理科教育に組み込むことについて、私なりの考えをまとめ、
 教育の縦割・縄張・蛸壺の教育効果上の非効率について、
 算術・算数・数学・物理・化学を題材にして、経験論的に、
 個別に考察してきました。
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その3)算数で鶴亀算をきちんと教えるべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その4)物理は数学で考えるべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その5)化学は実学に徹すべきだ

 今回は、ここまでの考察を、
 「自然を愛する心情を養う」ことと結びつけることを試みてみます。

●生活の身近には自然はほとんど存在しない●
 私は、物心ついたときには、武蔵小山と戸越銀座に近い
 低級住宅街の真ん中で物に囲まれた環境で育っており、
 身近に自然らしい自然はなかったといえます
 
 悪ガキどもが集って遊んでいた草地や地面はあるにはあったのですが
 (『オバケのQ太郎』がまだそのようなお時代でしたね)、
 わずかに残された草地や地面はあっという間に舗装され、
 木造住宅がモルタル住宅に代わり、
 都電が廃止されて車が溢れかえるようになり・・・。

 ということで、『オバケのQ太郎』世代の私でさえ、
 そのような有様ですから、都市生活をする多くの子供たちは、
 身近に自然を見ることなど考えようもなく、
 子供たちの周囲は物と情報で充満しているというべきです。

 しかし、物と情報は、その由来を手繰っていけば、
 自然を加工したものであると言えますから、
 『理科教育』は子供たちの身の回りにある物と情報を入り口にして、
 遡った先に自然を見るという方向に進めた方が合理的であると思います。

 村上先生の論文に書かれているように、水を題材とした教育が、
 小学校から大学に至るまで広く行われているにも拘わらず、
 「自然を愛する心情を養う」ことと結びつかないのは、
 水という自然物が、実際には子供の身の回りに見える形で存在していな
 (蛇口から出てくる「水」は自然物という感じではないですよね)
 こととも関係するのではないかと思うわけです。
 
●物と情報を入り口とする教育の意義●
 一方で、現状の『理科教育』は、伝統的に、
 数学・物理・化学・生物・地学に分かれて縦割・縄張・蛸壺化しており、
 それぞれの分野の入口があまりに抽象的で、
 身近にあふれる物と情報とどう結びつくかが最後になり、
 そこからさらに「自然を愛する心情を養う」ところまで行く前に、
 生徒はウンザリして理科離れが進むという悪循環に陥るように思います。

 ところで、昔から現代にいたる中等教育の中に、
 『技術・家庭』という不思議な教科があるのですが、
 作業着を着て木工・機械・電気作業をする町工場のおじさん風の先生と、
 割烹着を着て料理や裁縫をするおばちゃま先生に指導されて、
 作業場のような教室と料理学校のような教室で、
 男子生徒・女子生徒が別々だったり一緒だったりして、
 何となくある時間が過ぎていったことだけが記憶に残る、
 本当に不思議な教科であると思います。

 考えてみれば、この『技術・家庭』』こそが、唯一、
 身近にあふれる物と情報そのものを入り口とする教科であると思うのです。

 私の手元に、何故か子供が使った『技術・家庭』の教科書
 (開隆堂『技術・家庭』上下、平成8年12月発行)があり、
 その学習項目は以下のようになっています。

 〔技術〕右向き三角1木材加工右向き三角1金属加工右向き三角1機械と熱エネルギーの利用 
     右向き三角1電気とエネルギー右向き三角1情報基礎
 〔家庭〕右向き三角1食物右向き三角1栽培右向き三角1調理右向き三角1被服右向き三角1住居右向き三角1保育
     右向き三角1消費者教育      

 ちなみに、実際の教科書は〔技術〕〔家庭〕に分かれておらず、
 各項目が入り乱れており、教科書の目次の部分を引用すると、
 以下のようになっています。
20200613技術・家庭上巻.jpg

20200613技術・家庭下巻.jpg

  『技術・家庭』は〔技術〕と〔家庭〕にはっきり分かれており、
  それぞれ繋がりの深い項目をまとめて授業した方が、
  生徒も理解や暗記がしやすい筈ですが、
  世界史で各地域の歴史を、
  時代ごとに地域をバラバラにして教えるのと同様に、
  なぜ、関連なくバラバラにして教えるのか理解に苦しみます。

******

 上記の学習項目を見てわかるように、『技術・家庭』は、
 各学習項目が、生徒の身近な物と情報の具体物から入り、
 その先に分化する数学・物理・化学・生物・地学と極めて関係が深く、
 「消費者教育」は倫理社会・政治経済と密接に関係し、
 「栽培」「保育」で「自然を愛する心情」に繋がりうるテーマを扱います。

 教科書の各項目は、図解を駆使して実に簡潔にまとめられており、
 本当によくできていると思います。

 下に引用した頁などは、ほとんど『物理』です。
20200613蛍光灯.jpg

 また、下に引用した頁は、栽培の進歩を解説していますが、
 平成8年当時に既に、化学肥料や農薬の弊害が指摘されています。
20200613栽培と生活.jpg

 化学肥料の弊害は、現在に至るも酷くなるばかりで、
 TPP協定締結は化学肥料や農薬の弊害をさらにい促進しかねません。
 現在の教科書は化学肥料や農薬の弊害をどう説明しているのでしょうか。 

 このような『技術・家庭』の内容の充実をみると、理科教育の導入として、
 『技術・家庭』を1年かけてじっくりと授業してはどうかと思うわけです。

 その際、分化する各教科の伏線とすべく、

●技術・家庭専任のおじさん先生とおばちゃま先生だけでなく、
 数学・物理・化学・生物・地学・倫社・政経の各担当の先生が共同で行う;
 
●各項目を徒に抽象的にせず、さらに、
 木材・金属・繊維等の素材をマクロな物性で特長づける、
 建造物の構造レベルで力学の概念と関係づける、
 電気作業レベルで電流・電圧概念と関係づける、
 食物・栽培(農業)・調理を通じて、
 身体感覚レベルでpH、物質の三態などの化学の概念と関係づける、
 被服・住居を通じて人間工学・デザイン・環境と関係づける、
 消費者教育を通じて人間社会を律する憲法・民法概念と関係づける、
 栽培(農業)・保育を通じて、
 人間の子供と食物・環境・資源・自然哲学の関係を意識させ、
 「自然を愛する心情」を浮かび上がらせる、等によって、
 分化する各教科に繋がるようにしておく;

●技術・家庭の作業室と理科室は、同じ部屋でできるようにして、
 技術・家庭と理科教育の学びの場を地続きにしておくことも
 必要と思います。

******

 『技術・家庭』を最初に学習した経験は、
 その先で分化する数学・物理・化学・生物・地学・倫社・政経で学ぶ
 抽象的な論理体系が、生徒の日常と結びついていることを
 生徒に絶えず意識させることにもなるでしょう。

 例えば、大学院レベルの応用物理・化学系研究者は、
 実は、手先が器用で、実験器具・実験装置・実験素材を、
 自分で組み立てたり、配線したり、合成したりして、
 その研究者にしかできない実験環境を整えて独自の研究を進めます。

 他ならぬ、私の先輩の村上先生がまだ若き大学院博士課程の頃、
 何日も徹夜して、分析対象の実験系が組みあがるまで、
 マニアックに、時々ニタニタっとしながら、
 実に楽しそうに作業していた村上先輩の姿を今も忘れることができません。
 (明け方に、村上先輩のために、
  研究室の麗しき女性秘書がコーヒーを入れてくれたりして、
  私も徹夜しているというのに実に羨ましいことでありました)。

 あの村上先輩の装置と格闘する作業過程は、
 白衣を着て理科の実験をすることとは程遠い、
 まさに『技術・家庭』の実技感覚であったと思います
 (『技術・家庭』の実技を苦にしない少年・少女が理科系に向いている、
  ともいえます)。

 多くの私の前後の世代の方たちは、
 『技術・家庭』は、技術は男子だけ、家庭は女子だけだった、
 と述懐するのですが、
 おそらく、現在は、そのように分けていないでしょうから、
 技術女子、家庭男子を育て、
 徹夜明けの理系女子に、料理の達人男子がコーヒーを入れてあげる
 などという場面も増えるのではないでしょうか。

 ちなみに、教科書にはこんな写真も載っています。
20200613技術・家庭グラビア.jpg

 ということで、理科教育は『技術・家庭』を入口にして、
 その先で、今のような数学・物理・化学・生物・地学・倫社・政経
 のように縦割・縄張・蛸壺的に分けてしまわず、
 合理的に相互乗り入れして、論理の筋は通しつつ、
 必要な暗記をできるだけ要領よくできるように、
 抜本的な教育体系の改革が必要であろうと思います。

 そのような変革された教育体系の中で、
 「自然を愛する心情」を理解するという哲学的な取り組みを、
 先生と生徒が、自身の成長と共に息長く続ける、
 ということになるのではないでしょうか。
posted by Dausuke SHIBA at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育