2020年06月20日

『理科教育』を弁理士が考えてみた(その8)番外編:体育ではルールをきちんと教えるべきだ

 21世紀も板についてきた筈の今日この頃に、
 教育界は戦前のまま思考停止しているのではないか、
 というような出来事が起きています。
 ●『埼玉の公立中学校で「アベノマスク着用」とプリントを配り、
   批判の声 市教委は「遺憾」

 ●『【対談】アベノマスク着用強制について
   (3)原口一博衆議院議員 山井和則衆議院議員

 ●『200616 子供たちを動員して「感謝の拍手」

 埼玉県は、東京都のベッドタウンで、
 『八つ墓村』ほどの時間が止まった田舎ではないと思うのですが。
 
 校長先生を含めて、皆さん、私よりも年下で、
 戦後教育をたっぷりと受けている筈ですが、
 やはり戦後教育は間違っていたと考えた方がよいようです。

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 村上先生の論文をきっかけに『理科教育』に理科ついて考えきましたが、
 教科として理科に直接関係しそうなことは(その1)〜(その6)で語り終え、
 前回の(その7)では番外編として、暗記を強いる教科体系は何とかならんのか
 と吠えてみました。
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その1)
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その2)』 
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その3)算数で鶴亀算をきちんと教えるべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その4)物理は数学で考えるべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その5)化学は実学に徹すべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その6)理科教育は『技術・家庭』を入口とすべきだ
 『『理科教育』を弁理士が考えてみた(その7)番外編:徒に暗記を強いる教科体系は見直されるべきだ

 今回も番外編で、世界史と体育について勝手なことを書き散らしてみます。

■世界史の読み方■
●世界史と日本史の追体験●
 私は、中学・高校の世界史・日本史が全く暗記できず、
 予備校で、ベトナム史まで覚えなければならないことにショックを受け、
 結局、世界史・日本史を選択する必要がなかった広島大学を受験しました。

 かといって、それきり世界史・日本史と無縁だったというわけではなく、
 社会人になってからですが、今から20年近く前に、
 当時、各出版社が競って出していた世界史・日本史の全集を読みました。

 世界史は、当時既に文庫本だった河出書房新社版『世界の歴史』全24巻
 日本史は、もう図書館でしか読めない集英社版『日本の歴史』全21巻/別巻1

 河出書房新社版『世界の歴史』は初版が1979年頃、文庫入りが1989年、
 集英社版『日本の歴史』は初版が1991年です。

 社会人になって、世界史・日本史を題材にした
 小説・ドラマ・映画をふんだんに読んだり見たりしていて、
 典型的には、
 小説では『三銃士』、『三国志』、ドラマではNHK大河時代劇
 映画では『クレオパトラ』『ワーテルロー』などで、
 飛び飛びのある地域・期間のことだけ詳細に知っていたので、
 上記の世界史・日本史を読んだときは、頭の中の点が繋がって、
 世界・日本と自分がようやく地続きになった気分でした。

 そして、何と言っても、暗記することに迫られずに、
 歴史の流れに身を委ねて人類の営みを追体験することは
 生まれて初めての快感でもありました。

●中国通史から読み始める●
 河出書房新社版『世界の歴史』全24巻は、
 第1巻は、全地域共通ということで最初に読みましたが、
 残りの巻は、巻の番号順ではなく、国・地域の通史になるように、
 そして、中国の通史から以下の順で読みました:

(1)第1巻:人類の誕生    (今西錦司)
(2)第3巻:中国のあけぼの  (貝塚茂樹・他)
(3)第7巻:大唐帝国     (宮崎市定)
(4)第11巻:アジアの征服王朝 (愛岩松男)
(5)第14巻:明と清      (三田村泰助)

 ここまで読んで、今度は地中海沿岸地域の通史に転進しました。

(6)第2巻:古代オリエント  (岸本通夫・他)
(7)第4巻:ギリシャ     (村田数之亮)
(8)第5巻:ローマ帝国とキリスト教(弓削 達)
(9)第9巻:ヨーロッパ中世  (鯖田豊之)
(10)第12巻:ルネサンス    (会田雄次)
(11)第13巻:絶対君主の時代  (今井 宏)
(12)第15巻:フランス革命   (河野健二・他)
(13)第16巻:ヨーロッパの栄光 (岩間 徹)
(14)第22巻:ロシア革命    (松田道雄)

 次にインド・イスラムの通史に転進しました。

(15)第6巻:古代インド    (佐藤圭四郎)
(16)第8巻:イスラム世界   (前嶋信次)
(17)第19巻:インドと中近東  (岩村 忍・他)

 ここで、辺境地域史に入ります。

(18)第10巻:西域       (羽田 明・他)
(19)第18巻:東南アジア    (河部利夫)
(20)第17巻:アメリカ大陸の明暗(今津 晃)

 そして近・現代世界史として各国・地域史が合流します。

(21)第20巻:中国の近代    (市古宙三)
(22)第21巻:帝国主義の開幕  (中山治一)
(23)第23巻:第二次世界大戦  (上山春平・他)
(24)第24巻:戦後の世界    (桑原武夫・他)

 以上から、
 近代前の中国と地中海沿岸地域の通史は同程度の期間ですが、
 中国(5冊)の方が地中海沿岸地域(9冊)よりも内容が少ない
 ことがわかります。

 これは、中国の通史では、地中海沿岸地域の通史よりも、
 登場国・地域の関係がシンプルで、
 帝国の興亡の因果関係がほとんど同じであるためです
 (読んでるとよくわかります)。

 従って、中国史を通読すると、暗記することを意識しなくても、
 記憶に残り易いということになります。

 私が、前回のブログで、世界史は、中国史をまず学習して、
 中国史を世界史の地域的・時間的座標軸にして、
 他の国・地域史を学習すると、暗記の負荷が大きく軽減する
 と主張しましたが、上記がその根拠であり実践結果です。

 ******

 河出書房新社版『世界の歴史』は、著者として、歴史専門の学者だけでなく、
 第1巻が京大霊長類研(河合雅雄さん)、京大理学部系の研究者、
 第22巻が医師(松田道雄さん)、第24巻が仏文学者(桑原武夫さん)
 第23巻が哲学者(上春平さん)など、当時の著名文化人が参加しており、
 教科書的な歴史の記述と異なる、とてもユニークな世界史になっています。
 
●日本史を読んだ感想●
 集英社版『日本の歴史』は、たまたま書店にあったものを買ったのですが、
 日本史は元々が通史なので、
 当初はどれを読んでも大差ないかと思っていました。

 しかし、集英社版『日本の歴史』は、中世・近代になるに従って、
 いわゆる左翼史観が強くなるのがよくわかりました。

 左翼史観とは、政治的支配層中心の視点ではなく、
 百姓のような庶民階級が歴史の原動力であるという視点を重視します。

 当時(1990年代)は、
 左翼史観がNHK大河時代劇にも反映されだした時代のように思います。

 しかし、左翼史観の歴史の何が残念かと言えば、面白くない、
 ということに尽きます。

 例えば、戦国時代は武将の時代で、
 最後の東西対決で雌雄が決し、徳川家康が天下統一するまでの、
 ダイナミックな日本全体の動きが面白いのですが、
 集英社版『日本の歴史』は、百姓・町民の頑張りの記載が多く、
 今一つ乗り切れませんでした。

 日本映画で、日本の百姓を最もリアルに描いたのは黒澤明監督の『七人の侍
 と言われていますが、評論家の佐藤忠男さんが、百姓の
 「卑屈さ、貧相さ、へっぴり腰、臆病、無智、へつらい顔、だらしなさ
 (日本人が百姓を演じると、演じているように見えないほど嵌まる
  と言われるせいもあるのですが)
 があまりにリアルに描かれすぎて、率直に楽しめなかったのだが、
 それでも、この映画の面白さには抗しがたいものがあると言っています
 (『黒沢明の世界』第十章(佐藤忠雄、三一書房、1969年)。

 『七人の侍』の侍たちは、
 軍略家・武術家としてのプロの軍人的な要素だけでなく、
 教養・礼儀・規律・包容力ある人間としての魅力を備えており、
 これらが総合して魂を揺さぶるダイナミックな時代活劇を織りなすのですが、
 リアルな百姓には魂を揺さぶる面白さを見出しようがない、
 ということなのかもしれません。

 おそらく庶民階級に重きを置く左翼史観も同様で、
 左翼史観では、日本史を面白く描くことが難しいのかもしれません。

■体育はルールをきちんと教えるべきだ■
 私が中学・高校の頃は、体育の授業は、
 体操着に着替えてグランドに出ると、体育の教師が、
 「今日は、野球をやるぞ〜」
 「今日は、サッカーをやるぞ〜」
 「今日は、ハンドボールをやるぞ〜」
 とか言って、クラスをチームに分けて試合を始めるのですが、
 きちんとルールを教えてもらった記憶がありません。

 私は、将棋・映画が好きなインドア派でしたので、
 卓球以外のスポーツには全く興味がなく、
 上記の野球・サッカー・ハンドボールなど集団スポーツのルールが
 いまだによくわかりません。

 例えば、サッカーで、敵方が蹴飛ばしたボールがライン外に出ると、
 味方はスローインできるのですが、
 味方の誰が、どこからスローインできるのかが、
 どういう理屈で決まっているのかについて、私はいまだに知りません。

 ******

 ルールをよく知っているクラスメートにくっついて、
 何となく45分が経過して体育実技の時間は終わり、
 特段問題が生じるわけではないのですが、
 困った問題が起きるのは中間・期末試験においてです。

 中間・期末試験では保健体育もペーパー試験がなされ、
 各スポーツのルールを知らないと解けない問題が出たりするのです。

 中間・期末試験は、当然に、英国数理社を中心に勉強し、
 保健体育などは一夜漬けの最後の2時間程度しか勉強しないので、
 各スポーツのルールなど全く頭に入りません。

 体育の授業で実技ばかりしていないで、
 実技するスポーツのルールを座学で授業して、
 中間・期末試験で生徒に保健体育に時間を費やさせるべきではありません。

 スポーツのルールは、そのスポーツの歴史とも密接に関係するので、
 スポーツのルールを学習することは、
 スポーツの歴史を学習することに等しいともいえ、
 私のようなインドア派には、そちらの方が興味がもてるというものです。

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 社会は法的ルールに則って運用されるべきで、
 その典型でありモデルとなるのが、ルールに従ってスポーツすることだ、
 ということはよく言われますが、教育の現場が、
 スポーツのルールをきちんと教えずに実技中心の授業をすることは、
 上記のスポーツの意義を生徒に全く教える気がないということにもなります。

 冒頭に紹介した、戦前のまま思考停止しているような教育の現場の在り方と
 相通じているように思えます。
posted by Dausuke SHIBA at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育