2020年07月19日

続・将棋界の天才達と共に歩むわが将棋人生■藤井聡太の時代まで生き延びた幸運を噛締める■

 2年前に、私の小学校時代からの将棋の盟友が亡くなり、
 同じ頃に、私たちとよく似た少年時代を送った将棋棋士である
 瀬川晶司五段原作の映画『泣き虫しょったんの奇跡』を観て、
 亡き友を思い出しながら、
 仰々しいタイトルで、私の将棋歴を書き綴ってみました。
 (拙著『将棋界の天才達と共に歩むわが将棋人生』)

 私が曲がりなりにも1年に数局の将棋を指していたのは、
 10年ほど前までで、今では新聞将棋欄をみるだけという体たらく、
 「将棋人生」などとおこがましいわけですが、
 それでも、ここ数年間の藤井聡太さんの活躍は、
 久々に名人らしい名人の誕生を予感させて、
 藤井聡太さんの時代まで生き延びた幸運を噛締める今日この頃です。

 ******

 棋士の敬称は保持しているタイトル又は段位であると思うのですが、
 これらは時々刻々変わってしまうので、とても扱いずらいです。

 そこで、以下では、永世名人の有資格者は永世名人名で、
 そうでない方は、話の中の時代におけるタイトル・段位を敬称とします。

 永世名人の有資格者は以下の敬称となります。
 木村14世名人大山15世名人中原16世名人
 谷川17世名人森内18世名人羽生19世名人
 現役は谷川、森内、羽生の各永世名人です。

 ちなみに、永世名人とは、
 江戸時代からの家元名人制の世襲名人の称号でしたが、
 戦後、新聞社主催の実力名人制になったときに、
 名人位を5期保持した棋士は引退後に「永世名人」を名乗れるとしました。

 実力名人制の最初の永世名人が木村14世名人でした。

■名人らしい名人■
●木村時代→大山時代●
 私が小学生の頃は、既に、私が物心ついたときに名人で、
 多くの人が、この先も永遠に名人なのではないかと思っていた
 大山15世名人が強さもピークの時代でした。

 しかし、大山名人の盤石ぶりはその通りとして、
 その大山名人よりも前に、名人と言えばその人と言われた、
 大山名人のような盤石の名人がいた、と、
 当時の私の親の世代が伝説のように語っていた人がいました。

 その人とは、戦前から戦後にかけて不敗の名人を続けた木村14世名人で、
 ときたま、NHK将棋の時間の特別対局に登場したとき、
 私などは生き神様をみるように見入ったものです。

 当時は、木村14世名人に対峙した塚田正夫九段がまだ現役で、
 大山15世名人には升田幸三九段が各棋戦で対決を繰り返し、
 二上達也、加藤一二三、山田通美、内藤邦夫、丸田祐三等の
 綺羅星の如きスター棋士が、大山名人に挑戦する前に、
 塚田正夫九段、升田幸三九段を破らねばならないという
 オリンポスの神々の闘いが繰り広げられ、
 小学生の私には心躍るものがありました。

 当時は「九段」は名人経験者にしか与えられない段位で、
 塚田正夫九段升田幸三九段の呼称は神々しいものでした
 (お二人は、それぞれ名人位を2期保持しました。
  木村・大山の全盛時代に、
  名人位を2期保持できたのは奇跡に近かったと思います)。

●大山時代→中原時代→中原・谷川時代●
 そして、遂に大山15世名人にも衰えの兆しが、という時期に、
 華々しく登場したのが、中原16世名人で、当時の中原八段は、
 大山15世名人が13連覇した後の名人戦で大山15世名人を倒し、
 その後、名人位を9連覇して、盤石の中原時代を築いたのでした。

 将棋界の移り変わりも実に華麗で、
 盤石の中原16世名人の名人位10連覇を阻んだのは、
 何と、大山時代に徹底的に頭を押さえつけられ、
 やや影が薄くなっていた加藤一二三八段で、
 これが、加藤一二三八段の最後の光芒となり、翌年は、
 誰もが中原16世名人の覇権を引き継ぐと信じて疑わなかった谷川17世名人が
 加藤一二三八段から名人位を奪取したのでした。

 しかし、中原16世名人はまだまだ余力を残しており、
 その後、さらに10年間に渡り、
 中原16世名人vs谷川17世名人の死闘が繰り広げられたのです。

 その中原16世名人に引導を渡したのは、谷川17世名人ではなく、
 中原16世名人と同世代で、中原16世名人に対抗し続けた、
 木村14世名人に対する塚田九段、大山15世名人に対する升田九段に匹敵する
 実力者で棋界のスターとして君臨した米長邦雄九段でした。

 中原16世名人に軽々と挑戦して勝利する谷川17世名人を傍目に、
 何度挑戦しても中原16世名人の牙城を崩せなかった米長九段の、
 本人もこれが最後と覚悟しての鬼気迫る執念の第51期名人戦七番勝負は、
 将棋史に残る凄まじい迫力でした。

 そして、米長九段が力を出し尽くして名人位に就いた翌年に、
 噂の若き天才、羽生八段が米長名人に挑戦し、
 既に燃え尽きていた米長名人から名人位を奪取して、
 長く続いた中原時代は終焉したのです。

●戦国時代→羽生・森内時代●
 その後、羽生19世名人、谷川17世名人、谷川17世名人と同世代の南八段、
 羽生19世名人と同世代の佐藤康光八段、森内18世名人等が入り乱れての
 戦国時代を経て、羽生・森内時代になっていきました。

●名人らしい名人●
 以上のように、木村14世、大山15世、中原16世名人の、
 実力に裏付けられた重厚感と将棋文化を体現する物腰は、
 まさに『名人』としか言いようがありませんでした。

 谷川17世名人は、何と大山15世名人がまだまだ元気で、
 中原16世名人が全盛の時に激突し、さらに、
 羽生19世名人が少し早く台頭してきたため、
 盤石の谷川時代をつくることができませんでしたが、
 戦後最強の大山・中原時代を、飛び抜けた天才として戦った中で、、
 名人の風格を自然に身に着けた、
 最後の名人らしい名人であると言えます。

■将棋界をつまらなくした現代化■
 羽生・森内以降の将棋界は、上記した、
 木村14世、大山15世、中原16世、谷川17世名人の、
 黄金時f代に比べて、とてもつまらなくなりました。

 理由は以下の3つです。

@名人らしい名人がいなくなった
 大山名人は、テレビに出演すると、
 聖人君子のようなどっしりと落ち着いた風格が漂った大名人なのですが、
 実際は、勝つためなら結構えげつなく手段を選ばない
 というようなところもあったと言われています
 (勝負師たるもの当然の心構えであって悪いことではありません)。

 中原名人は、将棋界のあこがれの美少女だった林葉直子さんと
 派手なスキャンダルを展開しましたが、
 それでも棋力には全く影響を受けず最後まで第一人者であり続けました。

 米長九段は、名人とは天から選ばれし者しかなれないのではないか、
 と嘆いていたのを、羽生19世名人の実力主義世代に半分飲み込まれながら、
 その諦観を最後の最後で打破して名人を掴み取ったと言ってよいと思います。

 また、米長九段も谷川17世名人も、兄は頭が悪いので東大・京大に行った
 と言えるほどの将棋の天才でした。

 このように、かつての名人経験者は、人格的には相当にアンバランスで、
 将棋界以外ではとても生きていけそうにない、
 ある種、得体の知れない変人ばかりといってよいと思います。

 しかし、羽生・森内以降は、
 (別に彼らの責任ではないのですが)普通の感覚の人が、
 ただ強いことだけを理由に名人になっているという感じがするのです。

 羽生19世名人は、名人をとった頃
 「強い人が名人になるのは当然のことです」などという、
 面白くも何ともない陳腐なコメントをしていたと思います。

 こんな身も蓋もないないことを聞かされては鼻白みます。

 やはり、名人たるもの、
 将棋文化の伝統を継承し体現する重要な役割があると認識すべきです。

A盤石永世名人vs飛石永世名人
 永世名人は名人位を5期保持した棋士に与えられる称号ですが、
 中原16世名人までは、「5期連続保持」して永世名人になることが
 当然のことと、多くの将棋ファンは思っていたものです。

 名人位を「5期連続保持」する実力者は、当然にさらに保持するわけで、
 「永世名人」というにふさわしい盤石ぶりであるということになります。

 しかし、谷川17世名人以降は、「5期連続保持」をすることができず、
 飛石で5期保持する永世名人しかでませんでした。

 その状況を表にまとめてみました。
盤石名人と飛石名人.jpg

 おそらく、あまり将棋に興味がない方には、
 羽生19世名人よりも先に永世名人になった森内18世名人がいたことなど
 記憶にないかもしれません。

 羽生19世名人も、表を見てわかるように、
 常時名人だったというわけではなく、
 森内18世名人、同世代の佐藤康光八段、丸山忠久八段の中で、
 タイトルが移り変わっていて、盤石とはいえません。

 このように、飛石永世名人は盤石な名人という印象が残らず、
 羽生19世名人をメディアが大きく取り上げるのは、
 他の格下タイトルのトータル保持数だけに着目してのことに過ぎない
 ことがよくわかります。

B将棋タイトルの賞金額による格付け
 かつては、将棋タイトルは、
 江戸時代からの家元名人制を戦後引き継いで実力名人制となった
 「名人」(朝日新聞・毎日新聞主催)を頂点とし、
 最高段位の象徴である「九段戦」を引き継ぐ「十段」(読売新聞主催)
 がこれに続き、その下に、
 戦後に各新聞社が主催した七番勝負二日制の「王将」「王位」、
 さらにその下に、五番勝負一日制の「棋聖」が主要タイトルとされ、
 伝統と格式に応じたタイトル戦内容に基づいて格が決まっていました。

 しかし、読売新聞が「十段」を廃止して、
 「業界」最高賞金額のタイトル「竜王」を創設し、
 何故そのような慣行になったのかはわからないのですが、
 今では、新聞・ネット名メディアは、
 伝統と格式ではなく、賞金額の多寡によって、
 竜王→名人→王将→王位→棋聖のような順で格付けをしています。

 このような札束の高さでタイトルの格付けを、
 新聞社自らがしてしまっては、
 将棋ファンとしては白けかえってしまいます。

 そもそも、飛車の裏に過ぎない「竜王」が何で「名人」「王将」
 よりも格上になるのか、全く意味がわかりません
 (チェスの最強の駒である「クイーン」が「キング」よりも格上
  という話ならわからないでもないのですが)。

■藤井聡太の時代が来る■
 藤井聡太七段のことを語ろうと思いますが、
 その前に、将棋の段位の仕組みについて簡単に説明しておきます。

《順位戦と名人戦》
 将棋連盟に所属する棋士の実力と給料は、
 朝日新聞と毎日新聞が共催する「順位戦」の成績と紐づけられています。

 順位戦は、「C級2組」「C級1組」「B級2組」「B級1組」「A級」
 に分かれ、各組は10〜20人程度でリーグ戦を行います。

 棋士は、三段になるまではアマチュア扱いで40人程度の「奨励会」に所属し、
 「奨励会」を勝ち抜くと四段になり、
 正式にプロ棋士として給料生活者となり「C級2組」に所属し、
 「C級2組」で勝ち抜くと、
 「C級1組」に昇級して五段になり、ここで勝ち抜くと、
 「B級2組」に昇級して六段になり、ここで勝ち抜くと、
 「B級1組」に昇級して七段になり、ここで勝ち抜くと、
 「A級」に昇級して八段になり、ここで勝ち抜くと、
 「名人戦」の挑戦者になります。

 従って、名人戦の挑戦者になるには、A級に所属しなければならず、
 名人戦の挑戦者は必ず八段以上であるということになりますから、
 A級八段というのは、オリンポスの神々に例えてもよい、
 将棋界の頂点に位置する棋士であることを意味することになります。

 棋士の給料は、順位戦の所属する組によって決まり、
 段位とは直接紐づけられていません。

 即ち、棋士は、各組のリーグ戦で一定の下位に留まると、
 降格しますが、段位は変わりませんから、
 A級八段はB級1組に陥落すると給料が減りますが八段のままです。

 毎年負けばかり混んだ八段は、最後はC級2組まで陥落して、
 奨励会から昇級したばかりの四段や、
 C級1組から降格した五〜九段の人たちとリーグ戦を戦うことになります。

《棋士の段位》
 棋士の段位は、上記のように、原則、各組への昇級と同時に昇段し、
 A級に昇級したときには必ず八段になります。

 しかし、棋士の段位は、ある時期から、
 順位戦以外のタイトル戦でタイトルを取ったり、
 一定の通算勝利数に達すると昇段するという規定が加わりました。

 例えば、B級2組に在籍し本来は六段である棋士が、
 他の棋戦での活躍に応じて、
 B級2組に在籍中に七段になることも今ではありえます。

 その典型が、藤井聡太七段です。

 この「七段」という段位はそうそうとれるものではなく、
 七段になれないまま引退する多くの棋士がおり、一方で、
 A級に昇級できず七段のまま引退する棋士も多いことを考えると 
 藤井聡太七段が、他の棋戦で如何に尋常でない活躍をし、かつ、
 すんなりとタイトル保持者になれるほどに図抜けて強いことがわかります。

 しかし、藤井聡太七段が名人戦の挑戦者になるには、
 「B級2組」のリーグ戦を勝ち抜き「B級1組」に昇級し、さらに、
 「B級1組」のリーグ戦を勝ち抜き「A級」に所属しなければならないので、
 少なくともあと2年は辛抱しなければなりません。

●藤井聡太七段は久しくいなかった名人らしい名人になるだろう●
《藤井聡太七段の活躍》
 将棋もIT化の波が押し寄せ、一時、棋戦の最中に席を立った棋士が、
 将棋ソフトの助けを借りたのではないかと疑われる、
 かつてはあり得なかった漫画のようなゴタゴタが起きています
(「将棋ソフト不正使用疑惑騒動」)。

 豊島現名人はITを積極的に活用する棋士として有名ですが、
 そのこと自体は悪いことでは全くありませんが、如何せん、
 ITプログラマーのお兄さんが将棋名人をしているようにしか見えず、
 名人らしい名人は遠くなったものだと思っていました。

 そこに、忽然と現れたのが、中学生棋士だった藤井聡太さんでした。

 「藤井君」などと「君付け」で呼ぶことが憚られ、
 「藤井さん」と「さん付け」で呼ばずにはいられない、
 中学生とは思えない落ち着きっぷり、老けっぷり、謙虚ぶりで、
 将棋ソフトは当然に活用している筈ですが、
 その雰囲気を全く感じさせないところが、
 将棋ファンのおじさんたちには泣けてくるところです。

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 先日、棋聖戦を制して、史上最年少のタイトルホルダーになりましたが
 高校生になった藤井聡太七段の落ち着きっぷり、老けっぷり、謙虚ぶりは
 まったく変わらず、名人らしい名人になることが約束されていると
 心から思った次第です。

 「棋聖」戦は、五番勝負一日制の格下タイトルで、
 藤井聡太七段にとって、
 この程度のタイトル保持は単なる通過点に過ぎませんが、
 やはり「七段」でタイトルを保持したことにとても意味がある
 (とてもかっこいい)と思います。

 「棋聖」は、大山15世名人や中原16世名人は、
 おまけかついでのように保持していましたが、
 打倒大山・中原を目指すA級棋士や、六段までの若手棋士が
 全力を傾けて挑戦すると奪回できてしまうことが多く。
 A級棋士がとるには軽すぎ、
 六段までの棋士がとると役不足のような感じでしたが、
 今回、藤井聡太七段がとると丁度よく収まっている感じがします。

《渡辺九段・木村王位頑張れ!》
 先に書きましたが、
 やはりプロ棋士は「名人」を1期でも取らなければ歴史に残りません。

 「竜王」を何十期保持しようが、「名人」1期の方が格段に重みがあります。

 先の表にまとめたように、名人位を一度でも保持して九段になった棋士
 (塚田正夫九段、升田幸三九段、加藤一二三九段、米長邦男九段、
  佐藤康光九段、丸山忠久九段、佐藤天彦九段、豊島将之九段)
 は歴史に残りますが、

 藤井聡太七段に「棋聖」を奪回された渡辺九段のように、
 既に竜王を9連覇を含めて11期保持し、盤石竜王になっても、
 おそらく人の記憶には残らないと思います。

 渡辺九段は、「棋聖」のような安物タイトルに固執せず、
 現在戦っている、豊島名人との名人戦を勝ち抜いて、
 なんとしても名人を奪回し、
 3年後の挑戦が予定されている藤井聡太八段との名人戦に備えるべきです。

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 木村王位が、昨年、45歳にして悲願のタイトル奪取したときは、
 心から嬉しく思いました。

 将棋解説していたときの木村九段は、TVで見ると、
 落ち着いたベテランの雰囲気を漂わせていましたが、
 王位を奪取した時の写真を見ると、
 おでこから下は結構お若く、かわいらしい感じがし、
 女性ファンが多いのも理解できました。

 今回の、藤井聡太七段を挑戦者に迎えての王位戦は、
 かつて、米長名人が、
 前年に、悲願の名人位を中原16世名人から奪取して、
 その翌年に、羽生八段を挑戦者に迎えた名人戦を彷彿とします。

 木村王位は、米長名人のように燃え尽きてはいないと思いますので、
 ここは、藤井聡太七段に立ち塞がって見せ場をつくって欲しいものです。

 昨年の王位戦では、挑戦者であった木村九段が、
 豊島王位に対して、出だし2連敗の絶望的な状況から、
 執念の逆転勝利を重ねてタイトルを奪取しています。

 昨年の王位戦を再現すべく、木村王位には頑張って欲しい。

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 これからの藤井聡太の時代を老後の楽しみにしたいものです。
posted by Dausuke SHIBA at 15:05| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ