2016年08月13日

『シン・ゴジラ』あまりに発想が貧困ではないか(その1)

 ゴジラと誕生年が同じで、あまりに子供向けになったもの以外は、
 ほぼ全作見続けているので、ゴジラについてはよく考えます。

 ガメラは空を飛べるので、アクションの自由度が高く、
 手足を引っ込めた4個の穴からジェット噴射をして、
 高速回転で闇夜の中に飛び去る場面は、平成シリーズで一段と洗練されており、
 その視覚的イメージは素晴らしい。

 さらに『ガメラ』平成シリーズでは、
 ガメラが地球の生態系全体と結びついているという
 思索的な深みも加わり、怪獣映画の一つの頂点を極めたと思います。

 樋口監督は、日本的特撮のセンスは抜群なのですから、
 ご自身で監督する場合は、伊藤和典級の発想力のある方と組んで、
 物語と絵の融合に注力した方がよいと思います。

******

 それに引き換え、ゴジラは、
 昭和シリーズで口からの火炎噴射で空を飛んだのですが、
 平成シリーズでは相も変わらず、しかも図体がでかくなった分、
 海を泳ぐ姿はかわいらしくなったのはいいとして、
 上陸すると、ノッシノッシと歩くだけなので、
 ガメラのスピード感にちょっと敵わないか、という感じがしておりました。

 しかし、これは、日本中に原子力発電所が50発もできていたことを知らなかった
 おめでたきときの私の感想でした。

 東北大震災が起きて、私は初めて、
 日本中に原子力発電所が50発もできていたという
 世にも恐ろしい事実を知りました。

 そのときに、そういえば、ゴジラがつくられなくなった時期と、
 原子力発電所の数は何か関係があるのかな、と考え、
 そのうち検討したいなと思いながら今に至ってしまいました。

 今回、ウィキペディアの記事を参考にして、以下のような表を作成しました。
図1.jpg

 これを見ると、『ゴジラ』昭和シリーズは、
 戦争と原爆投下の記憶が鮮明だった1954年の第1作から、
 その記憶の象徴としての昭和天皇と、
 戦前から活躍した東宝の監督・脚本・俳優陣が健在であった時期までは、
 東宝映画独特の垢抜けたカラーと女優の美しさを始めとして、、
 娯楽映画として洗練されながらも、あの記憶のなんともいえないドローッとしたものが
 絶えず遠景にあったように思います。

 しかし、東京オリンピック、大阪万博を経た1970年代半ばになると、
 昭和天皇も晩年に入り、
 映画黄金時代を支えた東宝怪獣映画のスタッフ・キャストも一線から消えだし、
 映画産業全体も傾いてしまい、今回作成した表の頃になると、
 もう初期のコンセプトだけではどうにもならず、
 かといって方向性をどうしてよいか路頭に迷った末に、
 『ゴジラ』昭和シリーズは打ち切られたという気がします。

 但し、優れた戦後の文明論でもある小松左京の『日本沈没』
 1973年に映画化されており、
 戦後のコンセプトから抜けきれない『ゴジラ』昭和シリーズに代わって、
 東宝特撮映画の中心になったのもこの頃です。

******

 一方で、原子力発電所の数は、
 『ゴジラ』昭和シリーズの終焉と共に増えだし、
 1980年からバブルに至って後は、半端でない勢いで増えていきます。

 『ゴジラ』平成シリーズは、原子力発電所の数が急激に増加した時期に始まり、
 一貫して、ゴジラと原子力エネルギーとの関係に強く拘った筋立てとなっています。

 ゴジラは原子力発電所の核を求めて彷徨う「歩く原子力発電所」である、という、
 今考えれば『ゴジラ』の本質を突くコンセプトを前面に出しています。

 『ゴジラ』平成シリーズの、『ガメラ』平成シリーズにはない恐怖感は、
 「ゴジラは歩く原子力発電所」であるというこの1点に尽きると思います。

 『ゴジラ』平成シリーズの最後を飾った『ゴジラvsデストロイア』は、
 歩く原子力発電所であるゴジラの体内核分裂反応を、
 ゴジラ自身も制御できず、東京に多量の放射能を撒き散らしたあげく、
 骨となって燃え尽きるゴジラの最後が描かれます。

 そして、さらに、その撒き散らされた放射能を全て吸収してゴジラジュニアが生き返り、
 第2のゴジラとなって、歩く原子力発電所の恐怖はリサイクルされるという、
 本当に今思えば恐ろしい内容となっています。

 『ゴジラ』平成シリーズの制作陣は、
 日本中に原子力発電所が急増したことを強く意識していたのだと思います。

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 『ゴジラ』平成シリーズの間に原子力発電所50発体制はほぼ出来上がり、
 ゴジラが彷徨うまでもなく、
 日本中いたるところ原子力発電所だらけになってしまったときに、
 『ゴジラ』平成シリーズは終了します。

 そしてその後のプレミアムシリーズは、『ゴジラ』昭和シリーズの末期と同様に、
 毒気を抜かれたような内容となり、いつの間にか終わってしまいました。

 『ゴジラ』平成シリーズは、もしかしたらやり過ぎたのかもしれません。
 
 『ゴジラ』は『自衛隊』との親和性が高く、
 『ゴジラ』と『自衛隊』が共存できるギリギリの内容を、
 東宝制作陣は考慮していると思うのですが、
 『ゴジラ』平成シリーズは、
 『原子力政策』との関係でギリギリの線を踏み越えたのかもしれません。

 そして東北大震災において『日本沈没』と『ゴジラvsデストロイア』は
 現実になってしまいます。

 今、『ゴジラ』全シリーズをみて、『ゴジラ』平成シリーズは、
 『ゴジラ』昭和シリーズの初期に匹敵する成果を残したと思います。

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 戦争と原爆投下の記憶をフィルムに焼き付けた『ゴジラ』第1作、
 東北大震災を予言した1973年版『日本沈没』
 (1973年版『日本沈没』の津波の場面も、東北大震災を見ずに、
 よくここまでリアルに再現した、と思えるほどの迫力があります)、
 原子力発電所の恐ろしさをまざまざと描いた『ゴジラ』平成シリーズ、
 そして、現実に東北大震災と原発事故を経た今、
 『シン・ゴジラ』は一体何を描こうとしたのか?

 『シン・ゴジラ』は思索的映画であるとして高い評価を受けているようですが、
 筆者からみると、あまりの発想の貧困さに「恥を知れ」といいたくなります。

(続く)
posted by Dausuke SHIBA at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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