2017年02月12日

『愚行録』たまに陰鬱な気分に浸りたい人にお奨め

 本体ブログの主テーマになっていた
 『東京オリンピックのロゴ等の知財管理』について、
 年明けから、連載を総括した論文の作成を開始したため、
 本体ブログもこちらのミニブログも、
 すっかり更新が途絶えてしまいました。

 そこに、タイミングよく、
 いつもいただいている試写招待券が届き、
 映画を観ること自体が前回の試写以来であったので、
 頭をリフレッシュするために行かせていただきました。

******

 今回は、『愚行録』でしたが、全く予備知識がなく、試写券を見ると、
 原作が貫井徳郎のミステリーとのことで、なるほど、ミステリーか、
 と思って、神保町にある一ツ橋ホールに参じました。

 試写券の表面を引用しましたので雰囲気を感じてみて下さい。
20170207愚行録01.jpg

 主演の妻夫木君は良く知っており、
 脇役の小出恵介君は『のだめカンタービレ』で
 のだめの彼である千秋先輩に片想いする男の娘である真澄ちゃん
 を演じたのが強烈に印象に残っていますが
 (2006年だから古い話になりましたよね)、
 他の俳優は皆若く、顔も名前も全く知りませんでした。

 しかし、原作が有名なのか、俳優が人気なのかはよくわかりませんが、
 約1000席の会場が中高年の客でほぼ満席という、
 地味そうな映画の試写会にしては大変な盛況ぶりでした。

******

 どちらもエリート私大出身の、エリートサラリーマン(小出恵介)、
 その妻(松本若菜)、小学生のかわいらしい娘の
 理想を絵に描いたような家族が、
 郊外の自宅で惨殺されるという事件が起こります。

 事件の原因は被害者の大学時代の人間関係にある
 と考えた雑誌記者(妻夫木聡)が、 関係者を訪ね歩き、
 大学時代の過去と現在を行きつ戻りつしながらエピソードを重ねる過程で、、
 次第に隠された謎が浮かび上がってくるという筋立てです。

******

 全体が陰鬱な雰囲気に包まれており、エンドマークが出たとき、
 試写会場は何ともドンヨりとし気分に覆われたのでした。

 私も決してリフレッシュしたというような気分ではなく、
 不思議な映画を観た、という印象でした。

 以下に、感想をまとめます。

1.演出がどうも

 主人公たちの大学時代と現在の描き分けが十分になされていないので、
 最初はどちらの時代を描いているのかがよく解りませんでした。

 謎の原点である過去と現在を行きつ戻りつするのは、
 ミステリーの定番骨格ですから、
 2つの時代はメリハリをつけて描写すべきです。

 今思えば、殺される小出君は30代後半くらいの設定なので、
 その大学時代は、
 ちょうど『のだめカンタービレ』の学生群像が描かれた時代です。

 当時のメルクマールになるものが描写されないので、
 関係者が置かれた時代状況が理解できず、
 同じ俳優が演じる若作りだけが伝わってきてしまいます。

 例えば、小出君と絡めて、
 劇中で真澄ちゃんの登場する『のだめカンタービレ』を観る場面
 があってもよかったのかもしれません(もっと解らんか?)。

2.探偵がいない

 多くのミステリーは、殺人事件の謎を合理的に解き明かす過程で、
 殺人事件の関係者の間に渦巻くおどろおどろした情念を浮かび上がらせる
 という構造を有しているといえるでしょう。

 この合理的な解明が必ず存在するという基本骨格が、
 読者を日常に繋ぎ止める役割を演じる一方で、
 多くの場合、探偵の頭の中で推理される合理的な解明から、
 関係者のおどろおどろしい情念が、
 読者の想像力によって解き放され、
 基本骨格を揺るがすような緊迫感を生じるに至ります。

 探偵による合理的解明という日常を象徴する基本骨格と
 犯人による基本骨格を軋ませる非日常を象徴する情念とのせめぎ合いを経て、
 読者は、読む前とは日常が変って見えるという読書体験
 にミステリーを読む喜びを見出しているともいえます。

 映画においても、例えば、『砂の器』は、
 刑事を演じる丹波哲郎と森田健作が探偵となり、
 日常から1歩もはみ出さずに、事件を推理していくのに対して、
 その推理の中で、旅する親子を美しい映像で描写しつつ、
 その旅の親子に潜むおどろおどろしい情念を、
 観客の想像力の中にたっぷりと注いでくれます。

 しかし『愚行録』には、探偵が存在せず、
 探偵の頭の中で展開される合理的解明が提示されないため、
 観客側は、その合理性に潜む情念を想像する(という楽しみに浸る)
 ことができないことになり、ひたすら、
 殺人事件の裏側で起こったリアルな現実に付き合わされるだけ
 という苦痛を味わうことになります。

3.この程度の動機で一家惨殺はしないだろう

 大学時代が描写される登場人物の所属する大学は、
 早稲田大学がモデルであろう「稲大」と
 慶応大学がモデルであろう「文応大」ですから、
 どの学生もおそらくは、
 並以上の学力と高額な学費に耐えるだけの経済力を有しているはずです。

 一方、そうではあっても、確かに、
 親の社会的ステータスの違い、貧富の差、
 いじめ構造を反映する学生間のヒエラルキーなどに基づく、
 学生間に生じる感情的軋轢や、昔ながらのドロドロした男女関係はあるでしょう。

 しかし、この映画に描かれた程度の感情的軋轢や男女関係が尾を引いて、
 10数年後に一家惨殺事件を引き起こすに至るとは到底思えないのです。

 従って、この一家惨殺事件の動機にはもっと深い事情があるはずなのですが、
 映画に描かれた深い事情と、上記のエリート大学の学生の学力と経済力とが、
 どうにも結びつかないのです。

 『砂の器』の和賀英良は、狂気の天才ではあっても、
 精神を病んでいたという設定にはなっていません。

 キャストを全てスターで固めているため、
 変にシリアスにならないという映画の構造上、
 精神を病んでいるという設定が自然に回避されているともいえます。

 精神を病んでいたことが殺人の原因では、
 人権問題を相当に考慮した描写をする必要があり、
 「実は秘密のドアがあって、そこから犯人は逃げられた」
 という設定と同様に、もはやミステリーとはいえません。

 『Yの悲劇』では、遺伝的な精神疾患を前面に出していますが、
 舞台劇のように様式的(ステレオタイプ)に扱っていて、
 小説全体をデフォルメ化して漫画チックにする中での設定であり、
 その精神疾患自体を、犯罪の動機付けにはしていません。

 『半沢直樹』では、
 統合失調症を発病する半沢直樹の盟友の近藤(滝藤賢一が鬼気迫る名演)
 が登場しますが、
 ドラマ全体のミステリーの中核のような扱いはしていません。

 しかし、一昨年話題になった『ソロモンの偽証』で強く感じたのですが、
 『ソロモンの偽証』では製作者が意図せずに、
 精神を病んでいることが犯行の原因としか思えない描写をしています。

 私はこのような描写に対して、製作者はもっと気を使うべきと思っており、
 『愚行録』にも『ソロモンの偽証』と同じような印象を抱きます。

4.監督はどういう人なのか

 石川慶監督を、私は知りませんでしたが、
 東北大学物理学科卒業後、
 アンジェイ・ワイダ監督、ロマン・ポランスキー監督らを輩出してきた
 ポーランド国立映画大学で演出を学ぶ、という
 華麗な経歴の持ち主です。

 初期のポランスキーの映画は、
 ホラーでもスプラッターでもオカルトでもないのに、
 『水の中のナイフ』では背筋がぞーっとする怖さがありましたし、
 『ローズマリーの赤ちゃん』でもアメリカの都市生活の身近な孤独の中での恐怖が
 皮膚感覚で伝わり、ミア・ファーローの
 コケティッシュな美しさとエロティックさに悩殺されたものです。

 天才ポランスキーと比較するのは酷と思いますが、
 『愚行録』では、ミステリーのセンスが決定的に欠けているのに、
 ミステリーの枠組みに縛られて不自由な演出をしてしまったために、
 情念のほとばしりが観客の方に伝わらず、、
 女優達もエロティックとはほど遠い人達ばかり(監督の趣味がよいとは思えない)、
 妻夫木君は群を抜いてスターなのだから、
 スターとして扱えばよいのに、シリアスな演技派のように扱うため、
 とても浮き上がった感じがします。

******

 以上が、『愚行録』が全体に陰鬱なものであることの私なりの理由です。

 たまに陰鬱な気分に浸りたい方にお奨めの映画、
 という結論になりました。
タグ:妻夫木聡
posted by Dausuke SHIBA at 14:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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