2017年11月19日

『火花』若手男優が頑張る

 いつもなのですが、集中していた仕事が一段落した頃に、
 お客様からご褒美として試写券をいただいているようで、嬉しい限りです。

 今回は、コメディアンでもある又吉直樹の原作で、
 芥川賞を受賞した話題作『火花』でありました。

 11月23日全国公開とのことなので、5日前の土曜日に試写会というのも、
 もったいないような気がしますが、直前の話題の盛り上げにはよいのかもしれません。

 原作を読んでおらず、
 出演俳優も『イニシエーション・ラブ』で印象に残った木村文乃以外は、
 映画で観るのは初めてで、
 しかも名のあるベテランがでておらず、若手男優ばかりで、
 いただいた試写券の印象だけで試写会に臨みました。

 試写券の紙面を引用しますので、雰囲気を感じてみて下さい。
IMG_0001.jpg

《ストーリー》

 関西で活動していた若手漫才コンビの徳永(菅田将暉)と山下(川谷修士)は、
 東京に活動拠点を移すも、関東周辺のドサ回りに明け暮れている。

 徳永と山下は、熱海の温泉街の興行で同じ舞台に立った
 先輩漫才コンビの神谷(桐谷健太)と大林(三浦誠己)に知り合う。

 ネタ創作をする徳永は、
 先輩の神谷の漫才哲学に引かれ、先輩・後輩としてノミニケーションしながら、
 山下との漫才スタイルを鍛錬し、過酷な芸能ビジネスの世界でもがき苦しむも、、
 徳永・山下の若手漫才コンビは日の目をみないまま10年が過ぎていく。

 その間、神谷も、
 徳永のことも面白がって面倒をみてくれた愛人(木村文乃)との別れや、
 大林とのコンビが存続の危機にたつほどの、身から出た錆にまみれ、
 徳永との連絡も絶ってしまう。
 
 徳永、山下、神谷、大林の運命やいかに・・・

《若手男優が頑張る》

 縦糸が、
 徳永が中学時代からの友人の山下に誘われて漫才を始め、
 若い二人が東京で日の目をみない10年間を、
 エネルギッシュに悶々と消耗するという青春ドラマで、

 横糸として、
 得体の知れない天才肌の芸人である神谷と、
 過酷な競争仲間である同世代の芸人達との交流が絡む、

 全体に群像劇といってよい構成をとっています。

 この群像劇の核となる菅田将暉桐谷健太川谷修士三浦誠己
 がとてもよいと思います。

 才能に溢れながら自分の漫才スタイルを出し切れない徳永を、
 菅田将暉が、ハンサムすぎるのが難点であること以外は好演し、

 その徳永に漫才哲学を説き、世間から完全に浮き上がっている変人を、
 桐谷健太が、かっこよすぎで演じ、

 二人の才能に振り回されながら、地道に付き添うも、
 家族の行く末を考え悶々とする山下を、川谷修士が、
 どうみてもヤクザにしかみえない一匹狼風の大林を、三浦誠己が、
 どちらも嵌り切っていて、ドラマ全体の哀愁を引き立てています。
 
《映画で語られなかった謎》

 映画は、いろいろな伏線を張りながら、謎をそのまま放置しています。

 ●徳永・山下の漫才コンビと、神谷・大林の漫才コンビが、
  活動拠点を何故、東京に移したのか。

 ●徳永・山下の漫才コンビは、東京の本丸の芸能拠点である浅草、新宿ではなく、
  なぜ渋谷を長期間にわたる活動拠点にしたのか。

 ●神谷と愛人の関係は、神谷にどのような影響を与えたのか。

 ●神谷が依頼して、徳永が10年にわたりノートに書き留めた神谷の伝記が、
  ドラマとどう絡むことになっていたのか。

 ******

 自分達の漫才スタイルが日の目をみないという現実の重みが、
 若い漫才コンビのエネルギーを消耗させるのですが、
 その現実の重みは、
 関西と東京の漫才文化の違いも大きな要因であるはずです。

 関西人である若者4人が、なぜ関西を活動拠点にできなかったのか、
 そして東京に何を求めたのかは、見る側に伝えて欲しかったと思います。

 特に、私にとっては、
 渋谷は若手漫才の蠢く拠点であるという感覚が全くなかったので、
 渋谷が、関西で受けいれられず、浅草・新宿にも馴染まない、
 若い関西系漫才コンビを受け入れる可能性に満ちているのであれば、
 そこは何らかの説明がなければ、
 観ている側にはピンとこないのではないでしょうか。

 また、渋谷は、映画が設定する2000〜2010年以降、急激に変化しており、
 その変化の芽は、2000〜2010年の間にあったはずなので、
 徳永・山下の漫才コンビが渋谷でも行き場を失う大きな要因であったろうと
 思うのです。

 同じ観点から、ラストの映画主題歌が、なぜ、
 関西・渋谷とは全く縁のなさそうな北野たけしの『浅草キッド』なのかも、
 ピンとこないところです。

 ******

 試写券の写真を見た限りでは、
 神谷の愛人は、徳永・神谷と不思議な関係にあり、

 アメリカン・ニューシネマ世代の私などは、『明日に向って撃て!』の、
 ブッチ・キャシディ(ポール・ニューマン)、
 サンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)、
 エッタ・プレイス(キャサリン・ロス)

 のトリオを思い浮かべてしまい
 (若い人には、名曲『雨にぬれても』の方がピンとくるか)
 若干ロマンチックな思いがしたのですが、

 神谷と愛人の関係はよくわからないまま、愛人はすぐに姿を消し、
 ラストで徳永は現実に直面することになってしまいます。

 ******

 徳永が10年間に書き綴った神谷の伝記は、
 徳永と神谷の全人格的な変化と密接に絡むはずなので、
 何らかの形でドラマに絡めて欲しかったと思います。

《脚本と演出がもったいない》

 この映画の脚本は、ドラマの焦点が定まっておらず、
 見る側は、10年間という時の流れ、渋谷という街の必然性、
 群像と群像の中での主人公の関係性がよくわからないまま、
 若手俳優が頑張っで演じたキャラクターが醸し出す雰囲気を楽しみ、
 ラストのモノローグの説明で主人公の心情を理解するしかない、
 という物足りない感じが残ってしまいます。

 この映画の演出も、パンが多様され、意味のない映像が多く、
 渋谷の街の描写も、最近建設された高層ビルが写り込んでしまうなど、
 あの頃の渋谷の10年という、この映画にとって重要な時間の経過が、
 あまり感じられない点が気になってしまいました。

 TVの連続ドラマであれば、10年間の時の経過は十分に表現できるのですが、
 長くても2時間の映画であれば、原作を思い切りアレンジして、
 10年間を5年間に短縮して、
 無駄な映像とエピソードは省いて、登場人物の会話を中心にした、
 リズムとテンポのある思索的な群像劇にしてしまってもよかったのではないでしょうか。
posted by Dausuke SHIBA at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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