2020年04月05日

『理科教育』を弁理士が考えてみた(その1)

 「布マスク2枚を全住所に配布する

 この国の首相は、戦後教育をたっぷりと受けて育っている筈ですが、
 コロナ禍下の政権・メディア周辺のあまりにも無責任な状況が、
 太平洋戦争敗戦前後の日本の状況と瓜二つであることを見るにつけ、
 日本人が自分の頭で考えて責任を全うすることについて
 戦後教育が全く機能しておらず、壮大な失敗であったと、
 しみじみと思わざるをえません。

 そんな中で、数学の超難問「ABC予想」を望月先生が証明したらしい
 という話を聞くと、一縷の希望というか光が見えてくる思いです。

 ******

 気が滅入る日々ですが、せめて、
 私の事務所に近いところで見た春の雰囲気を画像見物して下さい。
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 先日、私の大学時代(広島大学理学部大学院)の先輩で、
 山口大学教育学部で教授をされ昨年退官された村上清文先生から、
 村上先生が執筆者の一人である理科教育に関する論文が届き、
 「読んで感想を聞かせてくれないか」とのことで読んでみたところ、
 とても新鮮な刺激をいただいたので、
 今回は、この論文をきっかけ話として、
 理科教育について私の思っているところを書いてみます。

******

 昨年(2019年)、村上先生が上京した折に、
 大学院OBが集って飲み会をしたのですが、
 皆がほどよく酔っぱらった中で、村上先生が、
 日本の理科教育の目的は、伝統的に、
 @「科学的な見方・考え方」を養うことと、
 A「自然を愛する心情」を養うことことにあると話しだしたのです。

 それを聞いて、日本酒を飲みすぎて相当に酔っぱらっていたのですが、
 @は、理科教育だから、当然に目的としているだろうけれども、
 Aは、理科教育に似つかわしくない、やけに文学的な言い回しだな
 と、私のふやけた頭に強く印象に残ったのでした。

 そのため、本論文の最初の1行目を読んだときに、
 あの時の話のことなんだと合点がいき、
 あの時の話がいったいどう展開するのだろうと興味深いものがありました。

■論文の概要■
  論文の内容と概要は、こちらからみることができます↓
http://petit.lib.yamaguchi-u.ac.jp/G0000006y2j2/metadata/D580069000023

〔題 目〕「日常の現象から理科の見方・考え方を養う:
      水の表面で起こる現象の理科教育教材としての提案

〔掲載誌〕 山口大学教育学部研究論叢(第69巻 193頁〜202頁 2020年1月)
〔著 者〕 村上清文・和泉研二

■論文の要約■
〔要旨〕(私の理解です)
 日本の理科教育の目的は、伝統的に、
 @「科学的な見方・考え方を養う」ことと、
 A「自然を愛する心情を養う」ことことにあり、
 文科省は、これら2つの観点を内包するように、
 「理科の見方・考え方を養う」と表現している。

 しかし、文科省は、Aについて、
 ・教員に必要な具体的な教材を提示しておらず、
 ・指導要領でも抽象的な努力目標的解説に留めている。
 
 そこで、本論文は以下を論旨として展開される。
 A.Aに対する教員のための具体的な教材として、
   水に関係する日常の現象を教材とする理科の見方・考え方を提供する。
 B.Aの観点と総合的に密接不可分に結び付くと考えられる
   日常の現象としての「環境」概念を教材化する方向性を検討する。

〔構成〕(本論文の小見出を列挙してみます)
 論旨Aは、以下の2〜5及び6−1で詳述され、
 論旨Bは、以下の及び6−2で詳述されています。 

1.緒言

2.水の基礎知識
2-1.地球上の水の起源、分布及び循環
2-3.水の性質
2-3-1.形
2-3-2.表面張力
2-3-3.濡れ
⇒ 小見出番号に誤記がある(「2-2」がない)ようです。

3.水面で働く力
3-1.水の粒(分子)同士は引っ張りあっている?
3-2.メニスカスの観察
3-3.1円玉を浮かべてみよう
3-4.二枚目を縦にして
3-5.集合するわけ

4.水-空気界面が関係する日常の事例
4-1.筆や髪の毛は濡れると纏まる
4-2.水面上の泡は寄り集まる
4-3.泥団子や白玉団子を作るには水が必要
4-4.水に浮かんだ浮き草や花びらは寄り集まる
4-5.濡れ手で粟
4-6.逆さコップの水が落ちない訳
4-7.昆虫の脱出戦略

5.界面活性剤の効果
5-1.盛り上がった水はどうなる
5-2.アメンボが溺れる?

6.教材化にあたって
6-1.本教材の効果
6-1-1.科学の始まり
6-1-2.驚きと不思議さ
6-1-3.納得
6-1-4.環境教育
6-2.理科の見方における環境の位置づけ


■本論文の私の理解■

《論文の構成について》
 論旨Aと論旨Bがほとんど関連付けられておらず、
 論旨Aは2〜5及び6-1だけで一まとまりの、
 水を題材とした@「科学的な見方・考え方」の説明で、
 論旨Bは、A「自然を愛する心情」に触れながらも、
 6-2の流れで、論旨Aとは独立に展開されています。

《論旨Aについて》
 私は、会社勤務時代に界面科学を基礎とした製品開発をしていたので、
 ここに説明された事項はとても馴染みがあり、これらの事項が、
 このような形で理科教育の教材として子供達に提供され、
 その教育的効果がこのようにして評価されるのか、
 という、教育学部の先生方の教育上のテクニカルな取扱いが面白いと思いました。

 一方で、私としては、論旨Aが、
 主たるテーマである論旨Bの中でどう関係づけられるかの方に興味があったので、
 論旨Aがそのような関係づけがなされていないのが残念でした。
 
《論旨Bについて》
 本論文の著者は、「1.緒言」で、理科教育の目的として、
 @「科学的な見方・考え方」及びA「自然を愛する心情」を養うこと
 を内包するはずの、文科省が標榜する「理科の見方・考え方」には、
 「自然を愛する心情」のための具体的な姿(教材)が示されていない
 と指摘します。

 その上で、著者は「6-2.理科の見方における環境の位置づけ」について、
 以下ように説明します
 (なお、私の理解では、文科省(及び著者)は、
  「理科の見方・考え方」を
  「理科の見方」「理科の考え方」の2つに分けて考えているようです)。

 文科省は「理科の見方」をエネルギー・粒子・生命・地球の観点で整理しているが、
 「科学的な見方」にウェートが置かれ、
 「自然を愛する心情」の要素がが含まれていない。
 
 そこで、著者は、「理科の見方」に、
 「自然を愛する心情」に直結する自然科学的枠組みとしての「環境」概念を加える
 ことを提唱します。

 その理由として、著者は、以下のように考えているように思いました。

 「日本人は昔から自然環境に恵まれ自然に親しみ愛でることから喜びを享受」し、
 「喜び」と「愛」は一体であり、
 これらがかけがえのないことであるとの認識の上で、理科教育では、
 「目標として「自然を愛する心情」を養うことが受け継がれてきた」が、
 一方では、その自然環境に対する日本人の問題意識は薄かった。

 そこで、著者は、「理科の見方」に、エネルギー・粒子・生命・地球に加えて、
 自然環境に対する「科学的な見方」を組み込むことで、
 「自然を愛する心情」を養うことに繋がる「理科の見方」を構成できると考えます。

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 論旨Bは、まずは、以上の問題提起に留まっており、
 私としては、著者のさらなる深堀を期待したいというところです。

 私は、論考をさらに深堀するうえで、
 以下の事項を考察することが不可欠ではないかと思っています。

「自然を愛する心情」とは何か?
「日常の現象」とは何か?
「自然を愛する心情」⇔「日常の現象」⇔「科学的な見方」の関係は?

 これらについて、次回、私の持論をまとめてみたいと思います。

posted by Dausuke SHIBA at 15:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育
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