2018年10月21日

『あいあい傘』原田知世さん、再び時をかける

 秋に入ってから、立て続けに映画の試写券をお客様からいただき、
 感謝に堪えません。

 かつてラジオの試写会案内に応募していた頃は
 (ラジオ関東の試写会はよく当たりました)、
 映画代が浮くし、というさもしい気持ちと、
 傷のないまっさらなフィルムで美しい映像が堪能できるとの思いで、
 有り余る時間を試写会に充てる楽しみがありました
 (高校でこのようなことをやっていたので受験には苦労しました)。

 そこそこ忙しい弁理士稼業をしていますと、
 休日=「映画でも行くか」という感覚がなくなり、
 日時がその1回に決まっている試写会の方が、
 お客様との打ち合わせと同じ感覚で出向くことができ、
 映画館と違い、開場まで長蛇の列の中で立って待待つことも、
 苦行と思わなくなっている、今日この頃です。

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 今回の『あいあい傘』は、試写券を見て初めて目にしたタイトルで、
 試写券の写真をみているだけでは、誰が出演しているのかも判別がつかない
 (最近、若い女優はみな新垣結衣さんにみえてしまう)状態でした。

 しかし、見だしてから、そして見終わってびっくりしました。

 原田知世さんが本当に美しく圧倒的な存在感で、
 この映画の欠点を全て浄化して、この映画の本来の味わいを伝えており、
 舞台となる山梨の美しい田舎町にたゆたう登場人物達に寄り添うカラフルな映像と
 ラストの竹内まりやの明るい元気のでるポップな主題歌が相まって、
 後味がすこぶる良いのです。

 実際、エンドマークが出ると、
 試写会場(一ツ橋ホール)は拍手で包まれました。

 10月26日から公開ですので、是非、ご覧になることをお奨めします。

 試写券の紙面を引用しますので、雰囲気を感じてみて下さい。IMG_0001.jpg

■原田知世さん■

 『時をかける少女』で美少女=16歳の原田知世さんは時をかけて
 時を浮遊して彷徨い人になった深町君を助けるのですが、

 本作では、清楚で美しい透明感のある女性=今の原田知世さんは、再び時をかけて
 山梨の田舎町で、人生の闇に迷い込んで浮遊する哀れな男を助けて、
 山梨の田舎町に共に住み込んでしまいます。

 かつては、松任谷由美が「時をかける少女」で併走したところを、
 今回は、竹内まりやが『小さい願い』で併走してくれたということで、
 同世代の私としては嬉しい限りです
 (竹内まりやは声に衰えがないのも嬉しい)。

 本作は、実は、
 この男が置き去りにした娘が美しい女性カメラマンとなって、
 25年ぶりに父に会うために、この田舎町に写真撮影に出向き、
 果たして娘は父に会うことができるのか、というのがメインストーリーで、
 美しい娘を演じる倉科カナが主役で、男を演じる立川談春が準主役なのです。

 しかし、倉科カナはチャーミングに好演しているのですが、
 男を救う原田知世さんの美しさと切ない気持ちがストレートに伝わってしまい、
 原田知世さんが主演だったとの印象しか残らないくらい素晴らしいのです。

■物語の奥深さ■

 娘が25年間行方知れずの父に会えるのか?
 という物語の基本構成はとても良いと思いますし、
 かつての舞台が幻の名作と言われたのもよくわかります。

 この話、ちょっと怖いところもあって、
 男は、あっちの世界と根っ子では繋がっているこっちの世界に勤めていて、
 その根っ子のところに絡み取られて、
 人生の闇に迷い込んで浮遊してしまうのですが、

 彼を救ってくれたのは、やはりあっちの世界の人たちで、
 彼がこっちの世界に戻るのはとてつもなくハードルが高く、
 だからこそ、こっちの世界で根っ子を張る娘との繋がりがどうなるのか、
 最後まで答えがでないままとなります。

 それだけ、娘・・・父=男・・・玉枝の気持ちが切なく、
 見る側の心に迫ります。

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 以下は、映画をご覧になってからお読みいただく方が良いと思いますが、
 読んでも、この映画の後味が減ずることはないと思いますので、
 自己責任で読んで下さいね。

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 原田知世さんが全て浄化してくれており、
 この映画は原田知世さんに救われていると思いますので、
 どうでもよいことかもしれませんし、
 宅間孝行監督が、原田知世さんを配役しただけで許すけれども、
 一応、一言、余計なお世話を言わせてもらいます。
 
■配役■

 人生の闇に迷い込んで浮遊する哀れな男が、
 美しい謎の女性である玉枝(原田知世)と共に過ごした25年間を
 具体的には描きようがないのですから、

 人生の闇と25年の人生を、
 立っているだけで感じさせる存在感のある役者を配さなければ、
 この物語は映画としては成立しないはずです。

 『散り椿』でも素人の岡田准一を起用して失敗しており、
 本作でも、重要である男の役を、素人の立川談春に演じさせていますが、
 立川談春には無理です(舞台では、永島敏行ですから良いと思います)。

 そして、映画は舞台と異なり、生身の俳優が目の前に出てくるのではなく、
 映像の中の幻ですから、映っているだけで華があるくらいでないと、
 映画全体を背負いきれないはずです。

 『蒲田行進曲』の女優の小夏を、
 つかこうへいの舞台では、名優・根岸季衣が演じましたが、
 深作欣二の映画では、美人女優・松坂慶子(今もお美しいです)が演じて成功し、

 『マイ・フェア・レディ』のイライザを
 舞台ではミュージカルの名優ジュリー・アンドリュースが演じましたが、
 映画では吹替をしてまでもオードリー・ヘップバーンが演じましたよね。

 それと同じで、
 男の役は、草刈正雄か高橋克典あたりに演じて欲しかった。

■脚本■

 登場人物の行動の理由について、伏線を張ってはその回収をするのですが、
 小刻みに多すぎて、見ていて鬱陶しくなります。

 ミステリー・サスペンス系の物語ではないのですから、
 『桐島、部活やめるってよ』くらいに、
 娘の心情を決定づける場面だけに絞って伏線・回収作業をすべきでしょう。

■演出■

 宅間監督は本来は舞台の脚本・演出家で、
 本作も2007年に舞台化され幻の名作として知られていたとのことです。

 男の娘である美しい女性カメラマンと絡む、
 田舎町のテキヤの3人組(市原隼人・福田日出子・竹内力也)も、
 演技と絡みが舞台の感覚で、これは演じた彼らの問題ではなく、
 演出の問題であろうと思います。

 げっぷをしたり、放屁させたりして、
 品のない連中であることを演出するのですが、演出の方が品がない。

 『男はつらいよ』で、旅先の寅さんとそのテキヤ仲間は、
 決して上品ではありませんが、そのことを、品のある演出で表現しています。

 『男はつらいよ』の山田洋次・森崎東・小林俊一の演出や、
 『バトルロワイヤル』の残虐な場面を品よくまとめる深作欣二の演出を
 見習って欲しいものです。

 テキヤ仲間の役も、俳優に存在感が必要ですが、本作の3人では無理です。

 『男はつらいよ』当時の、
 渥美清・森川信のような浅草で鍛えられたコメディアンを起用できない今、
 酷な注文ですが、何とかして欲しい。

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 しかし、私なら、原田知世さんであれば、
 後ろ髪を引かれるまま、原田知世さんのところから離れませんが、
 原田知世さんの方で止めてくれないでしょうし、

 私などが、雨の中、背中に寂寥感を滲み出して佇んでいても、
 ただの『終わった人』にしか見えず(舘ひろしならいざ知りませんが)、
 原田知世さんにあいあい傘を差しだされることもないので、
 そもそも、25年間の2人の道行きが始まることもないだろうと、
 しみじみと考えてしまいました。
posted by Dausuke SHIBA at 14:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2018年09月24日

『散り椿』西島君の好演と木村大作監督の映像美を堪能

 酷暑の夏が過ぎて、ようやくまともに頭が働く季節になりましたが、
 このタイミングで、
 秋にふさわしい映画の試写券をお客様からいただきました。

 いつもありがとうございます。

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 ちょうど2年前(2016年9月10日)に『真田十勇士』を試写会で見て以来、
 久々の時代劇『散り椿』でありました。

 全体にわっさわっさと落ち着きのなかった『真田十勇士』に比べて、
 富山を舞台にした、しっとりと落ち着いた美しい時代劇でした。

 今週末(2018年9月28日)から公開されますので、
 準主役の好漢、西島秀俊君の演技と
 黒澤明監督仕込みの撮影技術者でもある木村大作監督による映像美を
 堪能していただければと思います。 

 試写券の紙面を引用しますので、雰囲気を感じてみて下さい。
IMG_0001.jpg

 但し、本作は観ていて、事件の概要と人間関係がやや解り難いので、
 以下のストーリーは事前に頭にいれて観た方が良いよいと思います。

《ストーリー》


 時は享保15年(徳川吉宗将軍の時代)。

 扇野藩のそれぞれ役職が違う若手で、互いに友人同士であった
 瓜生新兵衛(岡田準一)・榊原采女(西島秀俊)
 篠原三右衛門(緒方直人)・坂下源之進(駿河太郎)は、
 平山道場の四天王と言われ、それぞれが剣の使い手であった。

 四天王の中の瓜生新兵衛は、
 上役で榊原采女の父である榊原平蔵(榊原采女の父)の不正を訴えた。

 しかし、藩の実権を握る家老であった石田玄蕃(奥田暎二)は取り合わず、
 新兵衛を藩から追放する。

 新兵衛は、坂下源之進の妻・里美(黒木華)の姉である篠(麻生久美子)と共に、
 藩を出て、二人は夫婦となり長い放浪生活を共にする。

 その3年後、土砂降る雨の中で榊原平蔵は闇討ちに会い死亡した。

 さらに、四天王の一人である坂下源之進が藩から横領の罪を着せられて自決した。

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 映画はここから始まり、
 上記エピソードは回想として断片的に描写されます。

 篠は新兵衛との長い放浪生活の末、
 肺の病で亡くなるが、新兵衛に以下の最後の願いを託する。

 ・故郷の実家の庭の椿を自分の代わりに見てほしい。
 ・榊原采女を助けて欲しい。

 新兵衛は篠の最後の願いをかなえるべく、
 18年ぶりに扇野藩に戻り、篠の実家である坂上家に居候した。

 新兵衛は、
 篠の妹で坂上源之進の自決で未亡人となった里美から手厚いもてなしを受けるが、
 里美の弟の藤吾(池松壮亮)からは闇討ちの首謀者かもしれぬと警戒される。

 新兵衛は、榊原平蔵の闇討ちの濡れ衣を着せられていること、
 坂下源之進が腹を切らされたことを知り、
 18年前の不正事件との関係を疑い、
 その真相を再度突き止めるべく行動を起こす。

 決して快く迎え入れているわけではない坂下家との軋轢、
 闇討ちの主犯として新兵衛を逆恨みする亡き榊原平蔵の妻(富司純子)の怨念、
 今では扇野藩の重役にまで昇りつめた榊原采女との友情、
 新兵衛を抹殺しようと暗躍する石田玄蕃との対立、
 そして最愛の妻である篠の心が采女と新兵衛のどちらにあったのか。

 散り椿の静かな季節の中で、
 新兵衛は悩み苦しみながら、采女と共に、
 石田玄蕃との最後の対決に出向く。

《西島君が好演》

 西島秀俊君は、今や、
 知性に溢れた二枚目かつ演技派の代表といってよいでしょう。

 私の周りにいらっしゃる女性で(西島君より皆さま年上ですが)、
 西島君を悪く言う人を見かけないほど、好感度も抜群です。

 私が西島君を初めて注目したのはNHKの連続ドラマ
 『ジャッジ 〜島の裁判官奮闘記〜』で、
 離島の裁判所で、
 美しい妻(戸田菜穂)と娘(枡岡明)に支えられ悪戦苦闘する
 若き判事役でした。

 そういえば、この判事は大阪地裁で知的財産専門という設定で、
 西島君に演じてもらえれば本望だなと変なところで感激したものです。

 判事という仕事柄、全く感情を表に出さないにも拘らず、
 離島と家族の様々なエピソードに接したときの
 内面で生じる葛藤・感動・悲哀、そして彼自身の心の成長が伝わる
 表情の微妙な演技が素晴らしかったことが強く印象に残っています。

 西島君は、『アンフェア』での猟奇殺人者も上手でしたね。

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 本作でも、西島君は、新兵衛に、美しい自分の妻が慕っていたのは、
 実は采女ではなかったのかと嫉妬させるに相応しい
 知性と大人の落ち着きを備え、しかも、藩の重役として、
 藩の不正事件と父親の暗殺事件に関与したのではないか、
 と疑われもする影のある雰囲気にぴったり嵌っています。

 最初は、岡田君に対抗して、
 ちょん髷結っての殺陣は大丈夫かなと心配だったのですが、
 全くの杞憂で、
 最後の悪家老・石田玄蕃一味との殺陣は鬼気迫っており、
 かっこよすぎます。

《脇役の若手男優陣が好演》


 悪家老・石田玄蕃を快く思わない若き扇野藩主(渡辺大)、
 江戸から戻った藩主を警護する四天王の一人である篠原三右衛門(緒方直人)、
 帰郷した新兵衛を出迎える平山道場師範代(柳楽優弥)、
 帰郷した新兵衛に秘剣を伝授される里恵の弟の坂上藤吾(池松壮亮)、
 坂上家の下男(柄本時生)がそれぞれ出番は少しなのですが、
 皆、存在感のある素晴らしい演技をしています。

 緒方直人、渡辺大、柄本時生は、
 それぞれの親父(緒形拳、渡辺謙、柄本明)を彷彿とします。

 映画俳優も段々歌舞伎のように演技的に世襲になってきたか、
 と思ったほどです。

 中でも、緒方直人は、いろいろな秘密を抱えたまま、
 命をかけて藩主を守り抜く三右衛門を、
 とても若手とは思えない不敵な面構えで好演しており、
 緒方拳が乗り移ったかのような迫力がありました。

 試写券の右下の、およそちょん髷が似合っていない、
 つるんとした若造が坂上藤吾(池松壮亮)で、
 試写券を見たときは大丈夫かな、と思ったものです。

 しかし、藤吾を演じた池上君は、
 若輩のうちに坂上家を双肩に担うことになる毅然として実直、一方で、
 新兵衛仕込の秘剣の使い手として見せ場をつくる藤吾の二面性を淡々と演じており、
 大変によかったです。

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 なお、富司純子さん(私などは「藤純子」の方がピンとくるのですが)は
 今でも大変に美しく、
 息子の采女に期待するも、新兵衛を呪詛する年老いた鬼女を堂々と演じており、
 本作を引き締めています。

《映像美》

 藤沢修平の小説の舞台となる荒涼として寒々しい東北とは一味違う、
 緑生い茂る山々を背景とした清流に近い美しい富山の奥地が舞台ですが、
 これは本作の映像をそのまま説明したもので、
 黒澤明監督の映画で撮影技師として腕を磨いた、
 木村大作監督にして初めてできる描写と思います。

 黒澤明監督は、背景の美しさよりは、
 そこで蠢く武将の衣装や舞台となる城内の美術に焦点を当てますが、
 木村大作監督は、肌理に立ち入った背景そのものの美しさに惹かれているようです。

 私は、三右衛門に護衛された藩主が、鷹狩りに出かけた折に、
 藩主一行が清流に沿った林の中を馬で駆け抜けるときの、
 清流の水音、馬のいななきと足音、木々の葉音などの自然音が、
 背景の緑と混然となった映画ならではの動的な美しさに見とれてしまいました。

《辛口の注文》

 以下は、映画を観てから読まれる方が良いと思いますが、
 興味深々の方は自己責任でご自由にお読みください。

■脚本■
 本作は、闇討ちの濡れ衣を着せられたまま、
 采女と新兵衛の間で揺れ動く篠と共に藩を出奔した新兵衛が、
 亡き篠の願いをかなえ、闇討ちの真相に迫るというのが
 大枠のストーリーですが、
 @藩の不正事件と闇討ちの真相は何だったのか、
 A篠は果たして采女と新兵衛のどちらを慕っていたのか
 を大きな2つの謎としてミステリーの骨格を形成します。

 ところが、本作は、謎の発端となる出来事が、全て、
 篠が亡くなる場面以降の回想の中で、断片的に語られるだけなので、
 重要な出来事の概要が見ている方で理解し難く、
 謎の解明と肝心の「散り椿」の意味が十分に伝わってきません。

 これは脚本(小林堯史)に問題があると思います。

 小説は主人公の内心や過去の回想をいくらでも文章で説明できますが、
 映画はせりふの説明に頼るべきではありません。

 新兵衛が出奔する前の出来事は、映画の30分を割いてでも、
 時系列で具体的に描写すべきです。

 謎@に関係する事件描写だけでなく、
 謎Aに関わる若き篠、采女、新兵衛の人間関係もきちんと描写しておくべきです。

 その描写があれば、観ている方は想像力で補えるので、
 本作冒頭で具体的に描写した、
 長い放浪の果てに、疲れ切って病床にある篠が新兵衛に言付ける場面
 の方をむしろ回想にした方が、、
 あの若く美しかった篠がどのような思いで新兵衛に言付けをしたかが、
 観る側の心に迫ったのではないかと思うのです。

 そういう意味もあって、本作では、
 篠を演じた麻生久美子さんをもう少し美しく撮れなかったかと
 思います(木村大作監督は人間は描写できないと言われますよ)。

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 また、回想で謎@と謎Aの過去の出来事を説明する構成にしてしまうと、
 俳優の演技力に大きな負荷がかかってしまいます。

 そこをきちんと表現しなければ、
 その葛藤を籠めてなされるべき殺陣の迫力(それこそが時代劇の醍醐味)
 が削がれますが、後述するように、
 新兵衛の最愛の妻と長年の友の間で苛まれる心の葛藤を、
 演技力で表現することは、岡田君には無理です。

 黒澤明監督の時代劇は、展開するエピソードの順番に沿って、
 見る側は出来事を具体的に理解できるようになっているので、
 (敵も味方も)登場人物の心の葛藤に感情移入できて、
 最後の壮絶な殺陣の場面によるカタルシスが強烈であるといえます
 
 『椿三十郎』の三船vs仲代が典型ですよね。

 本作は、脚本をうまく構成すれば、
 『椿三十郎』に匹敵する面白さになったのではないかと惜しんでいます。

■ミスキャスティング■

 本作は、上述したように、脚本構成によらず、
 新兵衛の心の葛藤が見る側に伝わる必要がありますが、
 岡田君には無理です。

 岡田君演じる新兵衛は、本作の冒頭から終わりにかけて、
 試写券で大写しされているような、
 髭面に眉間にしわ寄せた表情のままで、これでは、
 いったい何を考えているのかわからない薄汚い浪人にしか見えません
 (最初のうちは、着物だけは匂わんばかりの薄汚さがリアルで、
 桜京十郎に見えてしまい困りました)。

 木村大作監督は、俳優が演技をする素晴らしい環境は設定できますが、
 俳優に演技指導することはできないのではないかと思います。

 そうであれば、
 木村大作監督にとってキャスティングは極めて重要であると思います。

 本作では、2つのミスキャスティングがあると思います。

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 1つ目は、先にも触れたように、新兵衛と采女のキャスティングです。

 私は、新兵衛を西島君、采女を岡田君に演じさせるべきだったと思います。

 本作のような、理不尽な目にあって長年の放浪で妻まで失う悲運な男であって、
 それでも人間らしさを失わない男は、
 二枚目の演技力と色気のある俳優にやらせて丁度よいのです。

 原作では、新兵衛は剣は強いが粗忽なややシンプルな性格のようですが、
 映画でキャラクターを変えても何ら問題はないと思います。 

 寡黙な(実は剣の達人である)采女の役であれば、
 岡田君でも十分に雰囲気は出せたのではないでしょうか。

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 2つ目は、悪役の家老である石田玄蕃に名優奥田暎二を当てたことです。

 本作を見る限り、この悪家老は、
 過去の出来事を暴こうとする新兵衛を謀略にかけるには、
 やることが相当に軽く、無能のように見えます。

 このような軽い悪人役に奥田暎二ではいかにも勿体ない。

 悪家老の護衛をする剣の使い手らしき役人に、
 TVで軽い悪役をこなすベテラン俳優が演じていますが、
 むしろ、こちらの俳優を悪家老にして、
 奥田暎二に悪家老の護衛役人をやせた方がよかったのではないかと思います。

 この護衛役人を、
 新兵衛と采女の二人がかりでも敵わないかもしれない雰囲気にして、
 無能の悪家老に長年仕えているが、
 どこかで死に場所を探しているニヒルな男とすれば、
 多少浮き上がるかもしれませんが、奥田暎二にはピッタリかと思います。

■殺陣■
 本作は、新兵衛の強さを演出するための、あまり意味があるとは思えない
 新兵衛の妙な太刀捌きと立ち回りの場面が多すぎるように思います。

 本作は、勝新太郎の『座頭市』シリーズや三船敏郎の『用心棒』シリーズのような
 殺陣そのものの迫力を見せる映画ではなく、むしろ、
 藤沢周平原作のように、剣の達人でありながら不遇な目に合う下っ端の武士が、
 理と情に殉じて最後にその強さを静かに爆発させるという、
 人情時代劇の流れにあると思います。

 そうであれば、本作は殺陣を前面に出さず、
 登場人物の心情描写にウェートを置いて、
 最後に本格的殺陣を展開すべきだったと思うのです。

 実際、西島君の采女についてはそのようになっていて、
 ラストまでほとんど殺陣の場面はなかったにも拘わらず、
 ラストにおいて展開された立ち回りは十分に剣の達人ぶりが伝わり、
 カタルシスがあったと思います。 

■岡田君■
 本作を観終わると、
 普段俳優をしていないタレントと、俳優を専門とする役者の違いが、
 まざまざとわかってしまいます。

 岡田君は主役なのに、準主役の西島君だけでなく、
 上記した癖のある若手の脇役に完全に食われてしまっています。

 脚本とミスキャストの影響を最も受けてしまっており、
 岡田君には同情の余地は多分にあると思います。

 しかし、岡田君も、もし役者をこのまま続けるのであれば、
 本作を繰り返し観て、タレント業と引き換えに、
 専門の俳優の演技を真剣に学んで、真の役者にならなければいけません。

 殺陣師のまねごとなどしている余裕はないものと考えるべきです。
posted by Dausuke SHIBA at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2018年06月10日

『家族はつらいよV(妻よ薔薇のように)』ますますおかしいブラック喜劇

 5月の連休明けに、お客様から本作の試写券が届き、
 とても嬉しかったのですが、試写会日が一日前の連休最終日ということがわかり
 ショックでした。

 長い連休は、郵便局もしっかり休むのですね。

 たまには映画館に直接足を運べとの天の声かと思い、
 先週、久々に映画館(新宿ピカデリー)で本作を楽しみました。

 おかげ様で、試写会ですと回収されて手元に残らない試写券が
 記念に残ることになりました。

 試写券の紙面を引用しますので、雰囲気を感じてみて下さい。

20180610『家族はつらいよV』.jpg

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 (おそらく)一流半の商社で部長職まで昇り65歳定年を5年以上過ぎて
 仕事もせずに日々を過ごすことに慣れてきっている平田周造(橋爪功)、
 周造に長年連れ添う老妻である平田富子(吉行和子)、
 周造の長男で海外に製造拠点をもつメーカーの営業課長である平田幸之助
 (西村まさ彦)、
 幸之助の妻で専業主婦の平田史枝(夏川結衣)、
 幸之助の長男で高校生の平田謙一(大沼柚希)、
 幸之助の次男で中学生の平田信介(小林颯)の3世代が住む、
 部長級で退職した周造に相応な青葉台に買った3世代住宅で生じる
 エゴも極まる好き勝手が高じて生じる自業自得の大事件をめぐる
 ドタバタブラック喜劇です。

 この3世代家族に、家を出て独立している、
 周造の長女で税理士をしている金井茂子(中嶋朋子)、
 茂子の夫(としては無能)で税理士事務所経営をする金井泰蔵(林家正蔵)、
 周造の次男でピアノ調律師の平田庄太(妻夫木聡)、
 庄太の妻で看護師の平田憲子(蒼井優)の衛星家族が絡み、
 毎度、
 周造の異なる(が同じにしか見えない)旧友(小林稔侍)と
 居酒屋の女将である加代(風吹ジュン)
 が平田一族の大騒ぎに油を注ぐことになります。
 

 周造にとっては、
 『家族はつらいよT』では、老妻富子から離婚を切り出され、
 『家族はつらいよU』では、たまたま泊めた旧友の死体と寝ていた、
 という大事件が続きましたが、今回は、長男夫婦の壮絶な喧嘩の末に、
 嫁が家出して実家に帰ってしまい、平田家は深刻な状況に陥ることになります。

 ******

 以前のブログ記事でも指摘しましたが、
 この家族の年齢構成と俳優の実年齢は異常にミスマッチしています。

 登場人物と俳優の年齢構成を表にしてみました。

Book1.jpg

 今回は、幸之助が会社の香港支店のトラブル対応のために出張した間に、
 朝の家事が一段落したのどかな時間、史枝が2階でうとうとしていたところ、
 空き巣に入られ、史枝のへそくりを盗まれるという小事件が勃発します
 (盗まれた額が、史枝の健気さと相まって泣かせます)。

 夜遅く香港から帰宅して疲れ切った幸之助が、小事件の顛末を聞き、
 「俺が大変な思いで外国で仕事している間に、
  居眠りをしてへそくりを盗まれるとはいい身分だな」
 と史枝に言い放ってしまいます。

 実世間でこれを言ってしまえば往復ビンタ百発は覚悟しなければならない
 ことを、幸之助が史枝に言ってしまったその晩に、
 史枝が出たきり戻らないという大事件に発展します。

******

 海外支店のトラブルに現地で対応するとすれば、
 普通は課長級の実務者が派遣されるでしょうから、
 幸之助は50代を目前に控えた40代後半で、部長になれるか否かという、
 会社人生で一番緊張した(か諦めきった)ポジションであろうと思われます。

 その妻である史枝は、幸之助より少し若く、
 幸之助よりも10歳ほど年下に見える庄太(妻夫木聡)に、
 高校生のときに見た新妻の史枝は匂い立つ美しさだったと言わしめているので、
 おそらく、40代半ばではないかと思われます。

 本作冒頭で、幸之助が史枝に生活費をその都度手渡している場面があるのですが、
 今時そのようなことをしている40代夫婦は、ほぼないように思いますし、
 幸之助の史枝に対する捨てぜりふ
 「誰のおかげでお前らは食っていけてるのかわかってるのか〜」は
 どうみても、団塊の世代までの感覚のような気がします。

 史枝は、一度は自分で稼いだお金で、
 学生時代にしていたフラメンコをまた練習したい、という
 健気な思いを胸にしまいつつ専業主婦をいているのですが、
 今時の40代半ばの専業主婦であれば、
 3世代住宅に住み、少なくともお金の苦労はない状況で、
 時間さえつくれば、フラメンコ教室くらいは行くであろうと思われます。

 さらに、今時の40代後半の管理職が言いそうもないセリフを、
 どうみても50代後半で定年を意識していそうな風貌である
 西村まさ彦が言うのもすごく変な感じがしますし、

 40代半ばの女性そのものの風貌の夏川結衣が、
 上記の健気な妻をとても上手に演じるので、
 これもまたすごく変な感じがします。

 本作は、俳優が醸し出す雰囲気と設定年齢のミスマッチが、
 前回にも増して変な感じなのです。

 私はこのミスマッチを批判しているわけでは全然なく、
 このミスマッチから生じる変な感じが、幸之助・史枝の夫婦喧嘩が、
 見ている側に他人ごととは思えない凄まじい迫力で迫ってくるのではないか、
 と率直に思って楽しんでいるわけです。

 とにかく、西村まさ彦は、
 鬼のような形相で、受け身の妻である夏川結衣を罵っており、
 会社勤めで人格が変わる恐ろしさをストレートにシリアスに演じています。

******

 周造は、相変わらず、青葉台の相応に高級な3世代住宅で、
 その日その日の行き当たりばったりの生活をしており、
 それ以外の社会的・政治的出来事にはほとんど関心がありません。

 実際、周造・富子は、2階のそれぞれの大きく贅沢なベッドで寝起きするのですが、
 周造は、朝は富子の隣で目覚めて、
 夜は1階の家族が集うソファで疲れて寝てしまうということが
 いちいち描かれます。

 人間、退職して5年以上過ぎれば、
 同じパターンで朝起きて夜寝る生活はうんざりするのではないかと思うのですが、
 周造は、毎週旧友の悪友とゴルフに行き、
 週に数回は近所の居酒屋で加代の接待を受け、
 日常の自分の生活スタイルは崩さず、生産性のない毎日を繰り返すことができる
 一種の狂人であるといえるのかもしれません。

 しかし、そういった日常は、史枝というスーパー専業主婦がいなくなることで
 幻想であったことが、本作後半の恒例の一族会議で明らかになります。

 その一族会議で、周造は、史枝がこのまま戻らなければ、
 この家を売って、自分達夫婦は介護施設に、
 幸之助は息子2人を引き取って小ぶりのマンションに、
 自分達夫婦の面倒を庄太夫婦に時々みてもらう、という
 金に飽かせた都合のよい、しかし、一族にとっては身も蓋もない
 シミュレーションを手短かにします。

 この周造のシミュレーションの内容は妙にリアルで、
 現代日本が、結局は高齢者介護のためのハードとシステムを相応に整備して、
 社会と繋がりを持たず、政治に興味のない周造でも、
 すらすらと説明できる程度に老人介護システムのある世の中になったことが
 当たり前のこととして、しかしあまりに荒涼とした景色として見る側に伝わります。

******

 上記のミスマッチな感覚と、
 金と住宅と大家族があっても、一瞬先は身も蓋もない荒涼とした現実がある
 というリアルな感覚が充満する本作は、
 やはり、日本でもまれにみるブラック喜劇として、
 山田洋次監督の晩年の代表作であるといえるでしょう。
 
 ここに述べたような本作の変な感じが、
 山田洋次監督のお年では、妄想が相当に入っているせいとみるか、
 山田洋次監督と共同脚本の平松美恵子の計算づくの設定のせいとみるか、
 どちらであっても、とても面白い映画体験を提供してくれます。

******

 西村まさ彦夏川結衣は、本作では主役ともいえますが、
 夏川結衣が、西村まさ彦とがっぷり四つの演技をしており、
 私としてはとても嬉しい。

 夏川結衣さんは、知性・愛嬌・和風・少し怖いをバランスよくもっている
 松竹の伝統を継承する美人女優と思います。

 TVドラマ『結婚できない男』(2006)は、顔とスタイルがいいことは周囲も認めるが、
 上から目線の究極のマイペース野郎である阿部寛が、あまりの嫌味ぶりに、
 3人のアラサー美女(夏川結衣、高島礼子、国仲涼子)に毛嫌いされながら、
 結局は3人から愛を告白されたあげく、母性溢れる夏川結衣の胸に飛び込むという、
 世にも贅沢な阿部寛だから許されるコメディでありました
 (私も、上から目線の究極のマイペースの部分だけは感情移入できました)。

 夏川結衣さんが何とも愛らしく美しかったです。

 また、映画『64-ロクヨン-』では、多くの演技派男優を向こうに回し、
 夏川結衣一人が女優として堂々と張り合っており、
 彼女の演技は強烈に印象に残りました。

******

 本作でも、次男の庄太が、嫁に来たばかりの史枝義姉さんは匂い立つ美しさだった、
 と述懐する場面がありますが、
 『結婚できない男』のさらに5年ほど前の夏川結衣さんのことを思い浮かべれば、
 まったくその通りであろうというものです。

 しかし、山田洋次監督は、史枝を、『男はつらいよ』のさくらのように美しく描かず、
 過去の美しさは庄太の述懐のみで見る側の想像力に委ね、
 40代半ばの覇気のないリアルな専業主婦として描きます。

 夏川結衣もそれに応え、むっちりと肉がついて体が重そうな、それでも、
 過去の美しさの片鱗は残っているという役作りををきっちりしています。

 史枝は長野の実家に帰るのですが、そこは家が存在するだけで親はすでに亡く、
 史枝は孤独であり、
 地元に残った友人の家族に歓迎されて、ようやく疲れた心が癒されます。

 『男はつらいよ』であれば、ここに寅さんが表れて、
 「お姐さん、何か悲しいことでもあったのかい?」
 と史枝に声をかけるところなのですが、
 『家族はつらいよ』ではもう寅さんがでてこないのでとても寂しい
 (本作は、寅さんの不在が如何に悲しいことなのかを感じさせる演出が
 随所に仕掛けられています)。

 そして、長野の山奥の凍てつくような雨の中、
 幸之助が東京から迎えにくるのですが、果たして、史枝は戻るのか。

 静かな人気のない家の中での、
 西村まさ彦と夏川結衣の二人だけのかけあいと、
 山田洋次監督の雨音が印象に残る演出によって、
 幸之助と史枝の気持ちが見る側に率直に伝わりとても感動的です。

 本作はそれだけで終わらせず、
 一族会議をしているエゴイスト家族の罵りあいを対比させて、
 本作のブラックぶりをさらに際立たせているように思います。。

******

 本作では、ネットと政治状況を話題にすることを意図的に避けています。

 今後、おそらくはネットと政治状況を絡めて、
 平田一族にさらにとんでもない大事件が起きることと思います。

 山田洋次監督がもう90歳に届こうかという最高齢のスタッフでありながら、
 スタッフ・キャストを含めて一番ダンディでかっこよく若々しいことに驚きます。

 あと10年はこのシリーズを続けて欲しいと念じております。
posted by Dausuke SHIBA at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2018年02月10日

『今夜、ロマンス劇場で』映画に魅入られたままの幸せな人生を送った男の物語

 集中していた仕事が一息ついた隙を見計らってくれたかのように、
 お客様から試写券をいただきました。

 仕事で頭がコチンコチンのときに、
 このようなロマンチック丸出しの映画は最良の清涼剤となりますので、
 読売ホールに駆け付けました。

 「『今夜、ロマンス劇場で』は、とてもよかったよ」などと、
 私のようなおっさんが、口に出すには恥ずかしくなるような
 臆面もない気障なタイトルですが、ラストでは、ウルウルと涙腺が締まらず、
 試写会場が明るくなってから困ってしまいました。

 試写券の紙面を引用しますので、雰囲気を感じてみて下さい。
今夜、ロマンス劇場で.jpg

 本日(2/10)からロードショーとのことなので、
 心が荒んでいる方を中心に、是非ご覧になることをお奨めします。

《ストーリー》

 カラーテレビが登場し、映画が娯楽の王様から転落する昭和35年(1960年)。
 それでも、この世とは隔絶したスター達が跋扈していた、
 夢の製造工場である映画スタジオで、
 牧野健司(坂口健太郎)は、明日の監督を夢見て助監督として下働きをしていた。

 牧野は、製造工場で製造された夥しい数の夢の残骸で、
 倉庫の隅に保管されてはいるが、誰も覚えていない戦前のモノクロ映画に魅入られ、
 ボロ映画館「ロマンス劇場」の映画館主(柄本明)に頼み込んで、
 毎日の営業終了後にその映画を自ら上映して至福の時を一人楽しんでいた。

 ある嵐の深夜に、「ロマンス劇場」でいつものようにその映画を観ていた牧野は、
 一瞬の停電が復旧した後に、
 その映画のヒロイン(綾瀬はるか)が、スクリーンの前に倒れているのを見つける。

 最初は戸惑う二人であったが、奇妙な同居生活が始まり、
 二人の心は急速に接近していくが、
 彼女は元の映画の世界に戻ってしまうのか、いったどうなるのか・・・

《脚本と演出》


 現実にはありえない物語であることを百も承知で、
 そこに観る側を引き込んでいく力技が素晴らしい。

 現実の世界で創作された物語の中の話なら納得もいくが、
 その現実の世界自体も夢か幻なのか、人生夢のごとしを、
 現実に夢を人々に提供してきた映画というロマンチックなメディアを介して、
 観客に追体験できるようにした、手の込んだ入れ子構造のシナリオになっています。
 
 ですから観る側は、リアリティを気にすることなく、
 安心して映画に心を委ねて魅入ることができます。

 ******

 牧野が魅入るモノクロ映画は、試写券からもわかるように、
 『ローマの休日』のアン王女のようなお姫様が俗世界に彷徨いでる物語ですが、
 お城での舞踏場面、お城を出て森に入り3人の日本風妖怪と冒険をする場面など、
 戦前の忘れられたモノクロ映画を彷彿とするチープな映像で構成されています。

 3人の妖怪は、竹中直人等のお馬鹿俳優3人がこれまたチープに演じています。

 綾瀬はるかも、アン王女のような本物感は全くない、やや品のないタカピー姫です。

 私も気付かないところで、映画への愛に溢れたパロディが散りばめられており、
 『ローマの休日』を始め、日本風妖怪は『狸御殿』のイメージが下敷きなのかもしれず、
 『また逢う日まで』(1950)のガラス越しのキスが、
 21世紀の若者をグッとさせることなど、今井正監督も予想できなかったことでしょう。

 ******

 牧野の目の前に現れたお姫様は、モノクロのままなのですが、
 それでは外に出せないということで、
 牧野は、お姫様を映画スタジオに連れて行きそこで化粧をさせます。

 綾瀬はるかはモノクロでもそこそこ美しいのですが、
 化粧を施すと絶世の美女となり、牧野は完全にKOされます。

 私は、綾瀬はるかの容姿にそれほど興味がなかったのですが、
 その私も目が眩みそうになったくらいで、この演出はズルイ。

 『椿三十郎』(1962)で、黒澤明監督が試みたくて諦めた、
 モノクロ画面中に真っ赤な椿を咲かせたいという色彩加工でしたが、
 カラー映像の中にモノクロ人物を歩かせるという逆の色彩加工などが、
 易々とできてしまうのですから、映画テクノロジーは進化したものです。

 ******

 全体にドタバタお馬鹿シチュエーションで大笑いした後に、
 でも我に返ると、せつない二人の心情が観る側の心に突き刺さるという
 メリハリの効いた演出ですが、
 私も大好きな『のだめカンタービレ』(2006)の武内英樹監督であれば納得です。

 今思えば、本作のテンポは、『のだめカンタービレ』における
 のだめと千秋先輩を中心とする群像の掛け合いのテンポに重なり、
 心地よいのは当然です。

******

 お姫様が雨に降られる(どれも美しい)場面が多く、
 お姫様の化粧が落ちないかと心配したのですが、
 映画のクランクアップが2017年6月6日とのことなので、
 梅雨の撮影のせいもあるのでしょうね。

 バックに『雨だれ』(ショパン)がかかっており、のだめ風でありました。
 
《キャスト》

坂口健太郎君は、背がスラーっと高く、足が長く、
 少女マンガから飛び出してきたような作業服を着た王子様のようで、
 日本の若者のプロポーションはここまできたか、と思うほどかっこいい
 (作業服をああいう風には着こなせないよ)。

 映画から飛び出した絶世の美女が彼を好きになってしまうのも無理はない、
 という「現実にはあり得ない物語」のリアリティを支えています。

 現実の世界側からみて、思い切り理想化された若者になっていることが、
 牧野とお姫様が海辺を散歩するところでよくわかります。

綾瀬はるかさんは、名前は聞いていましたが、
 水野真紀さんと混同してたりしており、ドラマで観るのは今回初めてでした。

 坂口君と釣合う背の高さで、気風の良い姉御肌の絶世の美女にぴったりです。

 そして、現実の世界側からみて、牧野にとって理想の女性であったことが、
 ラストに向けて明らかになっていき、坂口君と同様に、、
 「現実にはあり得ない物語」のリアリティを支えています。

北村一輝は、ホスト出身でホスト役が嵌るという、ホストにしか見えない個性派で、
 大河ドラマ『北条時宗』(2001)の執事役で注目したのですが、
 Wikipediaで経歴をみたら、とんでもなく面白い彼らしい苦労をしていましたが、
 真面目に役者を志望しており、改めて好感をもってしまいました。

 今回は、映画スターがまだまだこの世とは隔絶した異人であった時代の、
 小林旭・宍戸錠・鶴田浩二を足して3で割ったような典型的な映画スターの役で、
 テンションの高いお馬鹿シチュエーションを担いながらも、
 映画から飛び出したお姫様が、同じ境遇の異人と勘違いして心を許すという、
 とても難しい役を、軽々と楽しそうに演じているのがかっこ良すぎる儲け役です。

●柄本明は、ほとんど『Shall we ダンス?』(1996)の私立探偵と同じ雰囲気で、
 「ロマンス劇場」の謎の映画館主を怪演しています。

●加藤剛が出ているのです。
 映画で観るのは『砂の器』(1974)以来と思います。
 いったい何の役かと思ったのですが、とても重要な役で観てのお楽しみです。

******

 映画とは、20世紀に入って確立した現代テクノロジーに立脚した第8の芸術ですが、
 本作は、映画は現代人を本当に魅了するものだということを、
 しみじみと思い出させてくれました。

 この映画のように「映画に魅入られたままの幸せな人生を送った男」
 は実際にいたりして、淀川長治さんなどは、その典型的な人物なのでしょうね。

《玉にキズ》

 最後のエンドロールで何故「主題歌」なる、
 映画と何の関係もない歌手の歌を流すのでしょうか。

 「主題歌」は男と女の恋愛を歌っていますが、本作は、
 この陳腐な歌を遥かに超えたイメージを観る側に植え付けているので、
 本当に邪魔なだけのように思います。

《最後に》

 というわけで、『今夜、ロマンス劇場で』のスタッフ・キャストが、
 今の時代だからこそできたし、その機会を逃さず作り上げたという意味で、
 とてもいい仕事をされ、その成果はしっかりと見る側に伝わったことを、
 まずはお知らせいたしました。

posted by Dausuke SHIBA at 15:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2017年11月19日

『火花』若手男優が頑張る

 いつもなのですが、集中していた仕事が一段落した頃に、
 お客様からご褒美として試写券をいただいているようで、嬉しい限りです。

 今回は、コメディアンでもある又吉直樹の原作で、
 芥川賞を受賞した話題作『火花』でありました。

 11月23日全国公開とのことなので、5日前の土曜日に試写会というのも、
 もったいないような気がしますが、直前の話題の盛り上げにはよいのかもしれません。

 原作を読んでおらず、
 出演俳優も『イニシエーション・ラブ』で印象に残った木村文乃以外は、
 映画で観るのは初めてで、
 しかも名のあるベテランがでておらず、若手男優ばかりで、
 いただいた試写券の印象だけで試写会に臨みました。

 試写券の紙面を引用しますので、雰囲気を感じてみて下さい。
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《ストーリー》

 関西で活動していた若手漫才コンビの徳永(菅田将暉)と山下(川谷修士)は、
 東京に活動拠点を移すも、関東周辺のドサ回りに明け暮れている。

 徳永と山下は、熱海の温泉街の興行で同じ舞台に立った
 先輩漫才コンビの神谷(桐谷健太)と大林(三浦誠己)に知り合う。

 ネタ創作をする徳永は、
 先輩の神谷の漫才哲学に引かれ、先輩・後輩としてノミニケーションしながら、
 山下との漫才スタイルを鍛錬し、過酷な芸能ビジネスの世界でもがき苦しむも、、
 徳永・山下の若手漫才コンビは日の目をみないまま10年が過ぎていく。

 その間、神谷も、
 徳永のことも面白がって面倒をみてくれた愛人(木村文乃)との別れや、
 大林とのコンビが存続の危機にたつほどの、身から出た錆にまみれ、
 徳永との連絡も絶ってしまう。
 
 徳永、山下、神谷、大林の運命やいかに・・・

《若手男優が頑張る》

 縦糸が、
 徳永が中学時代からの友人の山下に誘われて漫才を始め、
 若い二人が東京で日の目をみない10年間を、
 エネルギッシュに悶々と消耗するという青春ドラマで、

 横糸として、
 得体の知れない天才肌の芸人である神谷と、
 過酷な競争仲間である同世代の芸人達との交流が絡む、

 全体に群像劇といってよい構成をとっています。

 この群像劇の核となる菅田将暉桐谷健太川谷修士三浦誠己
 がとてもよいと思います。

 才能に溢れながら自分の漫才スタイルを出し切れない徳永を、
 菅田将暉が、ハンサムすぎるのが難点であること以外は好演し、

 その徳永に漫才哲学を説き、世間から完全に浮き上がっている変人を、
 桐谷健太が、かっこよすぎで演じ、

 二人の才能に振り回されながら、地道に付き添うも、
 家族の行く末を考え悶々とする山下を、川谷修士が、
 どうみてもヤクザにしかみえない一匹狼風の大林を、三浦誠己が、
 どちらも嵌り切っていて、ドラマ全体の哀愁を引き立てています。
 
《映画で語られなかった謎》

 映画は、いろいろな伏線を張りながら、謎をそのまま放置しています。

 ●徳永・山下の漫才コンビと、神谷・大林の漫才コンビが、
  活動拠点を何故、東京に移したのか。

 ●徳永・山下の漫才コンビは、東京の本丸の芸能拠点である浅草、新宿ではなく、
  なぜ渋谷を長期間にわたる活動拠点にしたのか。

 ●神谷と愛人の関係は、神谷にどのような影響を与えたのか。

 ●神谷が依頼して、徳永が10年にわたりノートに書き留めた神谷の伝記が、
  ドラマとどう絡むことになっていたのか。

 ******

 自分達の漫才スタイルが日の目をみないという現実の重みが、
 若い漫才コンビのエネルギーを消耗させるのですが、
 その現実の重みは、
 関西と東京の漫才文化の違いも大きな要因であるはずです。

 関西人である若者4人が、なぜ関西を活動拠点にできなかったのか、
 そして東京に何を求めたのかは、見る側に伝えて欲しかったと思います。

 特に、私にとっては、
 渋谷は若手漫才の蠢く拠点であるという感覚が全くなかったので、
 渋谷が、関西で受けいれられず、浅草・新宿にも馴染まない、
 若い関西系漫才コンビを受け入れる可能性に満ちているのであれば、
 そこは何らかの説明がなければ、
 観ている側にはピンとこないのではないでしょうか。

 また、渋谷は、映画が設定する2000〜2010年以降、急激に変化しており、
 その変化の芽は、2000〜2010年の間にあったはずなので、
 徳永・山下の漫才コンビが渋谷でも行き場を失う大きな要因であったろうと
 思うのです。

 同じ観点から、ラストの映画主題歌が、なぜ、
 関西・渋谷とは全く縁のなさそうな北野たけしの『浅草キッド』なのかも、
 ピンとこないところです。

 ******

 試写券の写真を見た限りでは、
 神谷の愛人は、徳永・神谷と不思議な関係にあり、

 アメリカン・ニューシネマ世代の私などは、『明日に向って撃て!』の、
 ブッチ・キャシディ(ポール・ニューマン)、
 サンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)、
 エッタ・プレイス(キャサリン・ロス)

 のトリオを思い浮かべてしまい
 (若い人には、名曲『雨にぬれても』の方がピンとくるか)
 若干ロマンチックな思いがしたのですが、

 神谷と愛人の関係はよくわからないまま、愛人はすぐに姿を消し、
 ラストで徳永は現実に直面することになってしまいます。

 ******

 徳永が10年間に書き綴った神谷の伝記は、
 徳永と神谷の全人格的な変化と密接に絡むはずなので、
 何らかの形でドラマに絡めて欲しかったと思います。

《脚本と演出がもったいない》

 この映画の脚本は、ドラマの焦点が定まっておらず、
 見る側は、10年間という時の流れ、渋谷という街の必然性、
 群像と群像の中での主人公の関係性がよくわからないまま、
 若手俳優が頑張っで演じたキャラクターが醸し出す雰囲気を楽しみ、
 ラストのモノローグの説明で主人公の心情を理解するしかない、
 という物足りない感じが残ってしまいます。

 この映画の演出も、パンが多様され、意味のない映像が多く、
 渋谷の街の描写も、最近建設された高層ビルが写り込んでしまうなど、
 あの頃の渋谷の10年という、この映画にとって重要な時間の経過が、
 あまり感じられない点が気になってしまいました。

 TVの連続ドラマであれば、10年間の時の経過は十分に表現できるのですが、
 長くても2時間の映画であれば、原作を思い切りアレンジして、
 10年間を5年間に短縮して、
 無駄な映像とエピソードは省いて、登場人物の会話を中心にした、
 リズムとテンポのある思索的な群像劇にしてしまってもよかったのではないでしょうか。
posted by Dausuke SHIBA at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2017年10月22日

『ユキエ』撮りたい映画を撮った松井久子監督デビュー作

 書こう書こうと思って、なかなか書けなかったのですが、
 観たのが9月2日でしたから、まだ記憶はある程度定かと思います。

 私のブログ指南をしてくれている友人が、
 彼の尊敬している芥川賞作家の吉目木晴彦さんのトークショーと、
 芥川賞受賞作『寂寥郊野』(1993)を映画化した『ユキエ』(1997)の上映会が、
 9月2日に小田原であるので行きませんか、と誘ってくれたのがきっかけでした。

 小田急ロマンスカーでのんびりとした近郊の旅ができ、
 映画とトークショーを楽しみ、帰りは小田原で軽く一杯呑んで
 とてもよい一日を過ごすことができました。

 なお、吉目木晴彦さんは、現在、
 私が広島大学の学生の頃に、クラブの友人達の憧れの女子大であった、
 安田女子大学文学部の教授をされていますので、
 今回の記事では、敬意を籠めて吉目木先生と呼ばせていただきました。

******

 友人から話を聞いていて一度は読んでおこうと思いながら、結局、
 原作は読まないままこの日を迎えてしまいました。

 当日は、『ユキエ』を監督した松井久子さんと吉目木先生の
 トークショーでしたが、松井監督のお名前も初めて伺い、
 これまでに監督された映画も見ておらず、
 従って『ユキエ』は全く予備知識なしで観ることになりました。

 この映画とトークショーの催しは、
 松井久子監督の映画に共感してきた主催者(ハッピーまな鶴プロジェクト)と、
 小田原が吉目木先生の生まれ故郷であるという縁繋がりの市役所文化政策課とが、
 意気統合したところで行った共同事業であったようで、
 お役所的な仰々しさのないとてもファミリアな雰囲気でした。

 パンフレットを引用しましたので雰囲気を感じ取ってみて下さい。
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《ストーリー》

 太平洋戦争で日本が負けた終戦後に、
 日本に進駐した米軍兵であったリチャードと看護婦であったユキエは、
 縁あって結ばれ、ルイジアナに家庭を築きました。

 映画は、リチャードとユキエが、高校生になった二人の息子と共に、
 幸せな生活を送っていた1970年代の描写から始まります。

 20年後の現在(映画が製作された1990年代)、
 ユキエに記憶障害の兆候となるおかしな行動が目立ちはじめ、
 職をなくし失意の中にあるリチャードは、愛する妻を心配し、
 既に家を離れて独立した息子達も、家族や許嫁を連れて、
 ルイジアナの実家を訪問した折にその事実を知り、
 心乱れます。

 ユキエ自身も、自分に生じた異変に苦しむ中、
 リチャードとユキエの互いの愛と絆への信頼は揺るがず、
 静かで愛情深い母親を巡って、父親と対立する息子達も、
 それぞれの思いでユキエを支えます。

 そうした波乱含みの日常が過ぎて、結局、
 ユキエは自分だけの世界に閉じこもりきりとなるのですが、
 自宅のベランダの安楽椅子に座るそんなユキエを、
 リチャードも椅子に座って見つめ続けている、というところでエンドマークがでます。

《映画》

 映画は、フラッシュバックで断片的に描かれる
 ユキエの若い頃の記憶の中の日本以外は、全編が、
 ルイジアナ(ニューオリンズを擁する米国南部の州)の郊外を舞台としています。

 ユキエは四国(山陰だったかな?)の田舎育ちで、
 リチャードとの結婚で家を勘当されており、
 ルイジアナでの日本人女性たちとの交流以外は天涯孤独の境遇です。

 息子達以外の家族関係が全く描かれないので、
 具体的にはわからないのですが、リチャードも、
 ロートルの元軍人であることに経済的・人脈的な利益がほとんど何もない、
 米国人らしい壮絶に孤独な境遇です。

 二人が深い深い愛情で結ばれ、
 ともかくも互いがかけがえのない存在であることだけは
 ストレートに観る側に伝わってきます。

 リチャードが、夜中に、
 隣で寝ているはずのユキエがいなくなったのに気づき、探し回った挙句、
 真っ暗な沼の畔で、帰れなくなって佇んでるユキエを見つけ、
 駆け寄って抱きしめる場面などは、
 最近、涙腺がとみに弱っている私は、涙がこらえきれず、
 友人が隣に座っている手前、とても困ってしまいました。

 映画が終わった後で、隣の友人に、
 これはよくできたラブ・ストーリーだ、と感想を言ったのですが、
 映画の内容をよく知っている社会派の友人は意表を突かれたようでした。
 
倍賞美津子

 ユキエを演じたのは、映画制作時に52歳だった倍賞美津子さん。

 倍賞美津子さんは、倍賞千恵子さんの妹で、1970代年には、私にとっては、
 倍賞千恵子さんが、『寅さんシリーズ』の妹さくら役で人気絶頂で、
 マドンナ女優に引けをとらない清純・清楚な美人女優のイメージであったのに対して、
 倍賞美津子さんは、その『寅さんシリーズ』と2本立てで併映された
 松竹主演デビュー作『喜劇 女は度胸』(1969)の印象が強烈な
 肉食系のグラマー女優というイメージでした。

 この映画の冒頭の1970年頃は、私にとっては、
 そんな倍賞姉妹が活躍した、『寅さんシリーズ』と併映の喜劇を楽しみながら
 高校生活をしていた、おめでたき時代でありました。

 倍賞美津子さんは、その後も、アントニオ猪木と結婚したり、
 ムンムンとする色気が充満した硬派の日本を代表する女優といえます。

 この映画では、家族が日本語に堪能ではなく、
 彼女も英語がそう達者ではないという設定で、さらに、
 記憶障害(アルツハイマー)に侵され自分の世界に籠っていく
 という静かな役どころであり、
 163cmと日本では大柄な倍賞美津子さんも、
 米国人の夫と息子に囲まれると、とても小柄で、
 そして、同年代の松井監督がこの上なく彼女を美しく撮るので、
 知的で物静かでかわいらしい、私がかつてみたことがない倍賞美津子さんでした。

 ユキエがルイジアナで唯一心を許す日本人女性の友人を、
 この映画と同じ頃公開された『Shall we ダンス?』で、
 小粋なダンスのおばあちゃん先生をしていた草村礼子さんが演じています。

《吉目木先生のお話》

 映画終了後のトークショーで、
 原作者の吉目木先生の話を聞きましたら、原作の『寂寥郊野』は、
 1960年代後半に実際にルイジアナで生活をしていた吉目木先生が目にした
 戦争花嫁を題材にしていたということがわかりました。

 敗戦後に駐留米国兵と結婚して米国に移住した日本女性が、
 水商売関係を中心に多くいた、という話は、
 私も母親からよく聞いていましたが、
 ここでその話を聞くことになるとは思いませんでした。
 
 映画では、ユキエを診てもらった病院で、
 リチャードが、医者に二人の経緯をチラッと話しただけだったので、
 そこまで思いを馳せることができませんでしたが、
 映画『赤い天使』(1966)などで、
 従軍看護婦も大変な目にあったことがを描かれており、
 ユキエも相当に大変な過去があったように思います。

 但し、戦争花嫁は、
 戦後の日米の外交・経済交流において、誇りをもって懸け橋となり、
 他の国の戦争花嫁も含めた世界的な連帯を今でももっていて、
 彼女たちの子供、孫の世代がこの連帯の中心になりつつある、
 ということで、吉目木先生から、私の戦後の認識が現代に繋がり、
 目から鱗が取れたようなの貴重なお話を伺うことができました。

松井監督

 松井監督は、お若い頃はどれほどであったことか、と思わせるような、
 今でも大変に美しい女性でした。

 パンフレットによれば、雑誌ライター、俳優のマネージャー、
 テレビドラマのプロデューサーを経て、『ユキエ』で映画監督デビュー
 と、女優をしていても不思議ではない美貌と相まって、
 天に二物も三物も与えられている人がいるのを目の当たりにした気分でした。

 その松井監督が、トークショーの開始早々に「この映画はラブ・ストーリーです」
 と話され、隣りの友人が「柴先生が言ったとおりでしでしたね!」
 と驚いておりました。

******

 「私にも写せます」の頃の8mm映画全盛時の1975年頃には、
 私も8mm映画を撮っていたので、先輩?として言わせてもらえば、
 映画を撮ってみたかったという松井監督の気持ちはよくわかります。

 記号論的な話になりますが、
 8mm映画を生まれて初めて撮る人の出来上がったフィルムは面白いです。

 男が初めて撮ると、自分の好きな映画のように撮ります。

 私の大学の同期で、黒澤明と志村僑と宮口精二が好きな、
 要は『七人の侍』(1954)フリークであった男が、
 普段着のズボンのベルトに棒を差して歩き、
 自転車に乗って棒を振りかざして襲ってくる野伏せりとチャンバラする
 という世にもバカバカしい5分程度の8mm映画を、
 『剣鬼一人旅』と銘打ち、フィルムロールを大事そうに抱えていました。

 しかし、
 つっつと歩く姿が『七人の侍』の久蔵(宮口精二)に、
 棒の切っ先を地面すれすれに這わせながら中腰で走る姿が、
 『七人の侍』の勘兵衛(志村喬)にそっくりで、
 やはり人間は夢を持って何か実現させることが重要だと感心してしまった、
 あまり残しておきたくもなかった遠い記憶があります。

 一方で、普段あまり映画を観ない女性が初めて8mm映画を撮ると、
 視線が定まらない船酔いしたような映像が出来上がります。

 映画というのは、自分で何かを撮りたいという意志がないと、
 出来上がった映像が何とも珍妙なものになるという、
 記号論的な面白さがあります。

 そんな女性が、撮影に慣れて自分で撮りたいと思うものを取り出すと、
 男ならばまず撮れないであろう感性豊かな映像が出来上がるときがあり、
 感動したことがある、というのもはるか昔の遠い記憶です。

******

 『ユキエ』の冒頭で、
 ユキエが丹精込めて作り上げたであろうルイジアナの自宅のキッチンを
 カメラが舐めるように移動撮影する場面があります。

 ユキエの想いが籠った、ソフトフォーカスがかかって、
 淡く美しい色彩の食器や器具が整頓されている佇まいが、
 見る側に提示されます。

 とても素人臭い映像と思いましたが、
 この映像は、松井監督が初めて撮った映画で本当に撮りたかったのだろうなあ、
 と遠い記憶がよみがえるような気持ちがしました。

 このような女性の気持ちが籠った映像は、
 男の監督は撮ろうとしないし、撮れないと思います。

 黒澤明監督であれば、生活感を出そうと、実際に皿を使い込んで汚れをつける、
 というようなことになりかねません。

 松井監督も、若い男の助監督をこき使って、
 食器と器具を納得いくまで並べ替えたと思いますが、
 映画監督はそれでいいいのです。

******

 原作はおそらく、思索的で内省的な描写が主体になるであろうし、
 今回の主催者もそうでしたが、映画に期待する側は、
 戦争花嫁、アルツハイマー、人種差別などの社会的テーマに焦点を当てがちですが、
 松井監督はほとんどラブ・ストーリーの部分だけを取り出しており、
 ビジュアルに徹して、
 社会的なテーマはあくまで二人の愛情の純化を際立たせるための背景として
 扱っているように見えます。

 松井監督が、本来は社会的現実と切り結ぶべきTVのプロデューサーだからこそ、
 初めて社会的現実を背景として客観化できたのであり、
 映画畑にどっぷり浸っていた映画監督は、このような背景化はぜずに、
 もっと背景自体に焦点を当てておどろおどろしいものにするように思います。

 松井監督が話していましたが、この映画を撮った頃は、
 話題になる恋愛映画といえば『失楽園』(1997)くらいで、
 女性が見たいと思う映画がなかったと嘆いておられましたが、
 全くその通りと思います。

 映画も男の世界で、特に男尊女卑の傾向がある団塊の世代の代表でもある
 『失楽園』の森田芳光監督などは(好きな映画監督ではあるのですが)、
 あまり品の良いとは言えない女性の描き方しかできず、
 松井監督の仰ることはよくわかります。

 ユキエの夫であるリチャードは、
 女性が言って欲しいこと・して欲しいことを、全て言ってしてくれる、
 おそらく女性が理想とする男性として描かれています。

 過去にトラウマがありそうな元軍人で、
 一本気でありながら知的で、妻にどこまでも易しい、
 初老ながら二枚目であるという俳優を、
 いったいどこから見つけてくるのでしょうね。
 
 オーディションにはロバート・ボーンも来たというのに、
 ロバート・ボーンを採用しなくても、それ以上にピッタリの俳優を選ぶのですから、
 松井監督のプロデューサーとしての眼力は大したものです。

 有能な女性監督や女性プロデューサーが映画やTVドラマを制作すると、
 このような、女性に言って欲しいこと・して欲しいことを、
 全て言ってしてくれる、理想的な男性が登場してくる気がして仕方ありません。

 例えば、
 『マイ・インターン』(2015)のロバート・デ・ニーロや、
 『ドクター・クイン』(1993-1998)のクイン先生の夫になる最強の二枚目とかが
 典型です。

 こういった観点から、誰か、女性監督論をまとめてくれないかなと思うくらいです。

 吉目木先生は、松井監督に脚色は全てお任せしますと言っておられ、
 シナリオの新藤兼人さんも、松井監督が当初誰かに監督をさせようとしたのを、
 自分で撮りたい映画を撮れと背中を押してくれたとのことで、
 そしてこのような美しい映画を残すことが出来たと思えば、
 松井監督の周りにも、心だけは理想的な男性が多くいらしたのでありましょう。
 

《ミステリーとしての『ユキエ』》

 何と言っても、ユキエとリチャードが、何故深い愛情で結ばれるに至ったかは、
 『ユキエ』の最大のミステリーです。

 松井監督には、この時代の日本であるからこそ、
 『ユキエ』の最大のミステリーについて回答する映画を撮って欲しいと思います。

 駐留軍の米国軍人と日本人女性とが結婚して米国に移住したカップルは
 5万組に及ぶといわれています。

 戦勝国の米国軍人であれば、帰国して米国人女性と結婚することもできたでしょうに、
 何故、かくも多くの米国軍人が敗戦国の女性と恋に落ちて結婚するに至ったのか、
 について、ユキエとリチャードを通して描くことは、
 あの頃の前夜の雰囲気に生きる現代の若い日本人にとって、
 戦争というものを考えるよいきっかけになるのではないかと思うのです。

 新藤兼人さんが99歳まで現役監督をしていたことを考えると、
 松井監督はまだまだお若く、
 松井監督の同世代の時間だけはまだある団塊男達に金を出させて
 映画の資金を調達したらよいと思います。

 シナリオは、松井監督よりも一回りお若い、
 吉目木先生に是非お願いしたいと思います。
posted by Dausuke SHIBA at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2017年06月11日

『マイ・インターン』女性の言って欲しいことを全て言ってくれる男達

 この5月に事務所を移転したのを機に、
 本体ブログをリニューアルする予定でいるのですが、
 忙しさにかまけてなかなかすることができません。

 本体ブログの『Essay』は、こちらのミニブログに移転しようと思っていますが、
 最近、仲間由紀恵さんの身辺で起きたお馬鹿な事件を知って、
 以前本体ブログの『Essay』で書いた記事を思い出してしまいました。

 折角の機会ですので、今回はこの記事を移転してみました
 (レイアウト等の関係で少し修正しています)。

 何故、この記事を思い出したかは、
 最後まで読んでいただけるとわかると思います。

 2015年の秋に書いた記事ですので、そのときの気分のままです。

******

 今年の秋に、久々に映画『マイ・インターン』を見に行きました。

 行きつけの「新宿ピカデリー」は全回満席であったため、
 日本橋三越の近くのCOREDO室町に入っている
 TOHOシネマズ日本橋まで行ってきました。

 日本橋をウロウロするなどというのも何十年ぶりで、
 青空の下、オリンピックロゴのフラッグが並び、
 女性が1日いても飽きないようなにオシャレな気持ちのよい街並みになっていました。
図1.jpg

 『マイ・インターン』は、
 新宿ピカデリーで『進撃の巨人(第一部)』を見たときに目にした、
 ロバート・デ・ニーロと、アン・ハサウェイの
 ツーショットポスターが何ともかっこよかったので、
 楽しみで、実際、期待通りお奨めの絶品でした。

■物語■
 レトロな外観ながら現代的内装のビルで、
 ファッションサイトを運営する社長のジュールズ(アン・ハサウェイ)は、
 忙しすぎることから、会社全体を把握しきれず、運営に綻びが見え始めていた。

 危機感を抱く専務(40才際前後の毒にも薬にもならない男)に、
 社長を雇って経営を任せるべきだと提案され、ジュールズはショックを受ける。

      §§§

 そこに、70歳ながらそつのない老ビジネスマンのベン(デ・ニーロ)が、
 会社のシニア・インターン制度に応募してきた。

 ジュールズは、制度を企画したことすら忘れており、
 ITに完全に取り残された時代遅れの老インターンを厄介者扱いして遠ざける。

 しかし、社内外の危機に見舞われるジュールズを、老練な営業力で助けるベンを、
 ジュールズは心の支えとして他の誰よりも頼りにしていくようになる。

 ジュールズの多忙は、さらに愛する夫と娘とで営む家庭まで危機に陥れるが、
 やはり頼れるのはベンだけという状況に・・・。

 ベン(ロバート・デ・ニーロ)とジュールズ(アン・ハサウェイ)を映画パンフレットから引用しました。
IMG_0001.jpg

■ロバート・デ・ニーロ(ベン)■
 かっこよすぎです。

 あのアメリカン・ニューシネマの名作『タクシー・ドライバー』(1976)で
 不気味な運転手を演じ、どの映画でもアクの強すぎるデ・ニーロですが、
 年を重ねて、
 彼女の家に行ったら奥から父親のデ・ニーロが笑みを浮かべて迎えに出てきた、
 というようなシュールなシチュエーションで、
 チャーミングな訳の分からないロートルオヤジを演じています。

      §§§

 今回も、定年までは凄腕の電話帳メーカーの営業販売部長で、
 退職後は妻に死なれ家族とも離れてやや空しい日々を送りながらも、
 ジュールズの会社のシニア・インターンに思いを込めて応募し、
 ジュールズを助ける一方で、
 一回りほど年下の会社の健康トレーナーを口説いたり、
 ビジネススーツとビジネスバッグがきまり、
 会社の毒にも薬にもならないジーンズスタイルの若手社員に憧れられたりと、
 ど真ん中のはまり役です。

 ジュールズが深夜まで仕事をしているオフィスで、
 部下として共に残り、夜食を食べながら、
 ベンがジュールズに、何故この会社に応募したかをしみじみと語る場面は、
 心にこみ上げてくるものがあります。

■アン・ハサウェイ(ジュールズ)■
 ジーンズを履いても通常の女性の足よりも細い、という信じられないスタイルで、
 ビジネスシーンのブランドファッションを次々と着こなしていました。

 『プラダを着た悪魔』(2006)で、デ・ニーロよりもさらに不気味な
 メリル・ストリープのファッション会社社長に苛め抜かれた、
 あの可憐な田舎娘が、こんなにも都会的にブラッシュアップされるのかと、
 感慨深いものがありました。

■ナンシー・マイヤーズ(監督)■
 懐かしい『赤ちゃんはトップレディがお好き』(1987)で脚本・制作をした、
 ジュールズを地で行くような美人のベテラン女性監督。

 毒にも薬にもならないおたく坊やたちを率いる女性社長ジュールズが、
 ひたすら美しく、聡明かつ人生に立ち向かう女性として描かれる一方で、

 彼女の公私を包容力豊かに厳しくも暖かく支えるベンだけではなく、
 ジュールズのために専業主夫となる愛すべき夫といい、
 女性が言って欲しいことやって欲しいことを全部してくれる男たちが配置され、
 女性の映画に期待するツボが全て抑えられているところはさすがです。

■日本版『マイ・インターン』■
 この映画を日本で制作したら、
 どういうスタッフ・キャストになるかを考えてみました。

《ジュールズ》
 30代で美人でスタイルがよく、演技力もある好感度の高い女優となると、
 やはり今が旬の仲間由紀恵で決まりでしょう。

《ベン》
 しかし、ロバート・デ・ニーロに匹敵する存在感があり、
 品がよく、かつコメディ演技に長けた日本男優の選考は難航しました。

 内野聖陽が年季を積めばピッタリなのですが、いかんせん若すぎます。

 佐藤浩市もまだ若すぎ、舘ひろしは軽すぎ、
 北大路欣也も元凄腕の営業部長の雰囲気がでそうにありません。

 ということで悩んでいたのですが、思いついた人がおり、
 この方を中心にすると、周りの配役・設定も自然に決まりました。

《監督》
 堤幸彦は『天空の蜂』(2015)で、
 自ら育て日本を代表する美人女優となった仲間由紀恵に
 何と酷い役をやせたのかを反省すべきです。

 また『トリック』(2014)や『イニシエーション・ラブ』(2015)
 での森田芳光に相通じるやや品性に欠ける女性感覚を、
 ナンシー・マイヤーズの脚本をじっくり味わって叩きなおす必要があります。

■日本版『マイ・インターン』のキャスト・スタッフ(案)■
 表をクリックすると鮮明に見ることができます。
日本版『マイ・インターン』.jpg
posted by Dausuke SHIBA at 09:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2017年06月05日

『ちょっと今から仕事やめてくる』山本周五郎の時代劇としてみるといいかも

 公開(2017年5月27日)の1週間前に、イイノホールで、
 お客様にいただいた試写券で試写会を観て来たのですが、
 仕事にかまけてなかなかブログにアップできませんでした。

 まだ上映されているようなので間に合ったという感じです。

******

 試写会に行く前に全く予備知識はなく、試写券を見たときは、
 タイトルがとぼけたており、今風イケメンが並んで写っているので、
 チャラけた恋愛ドラマかと思い、私もいい年をしたおじさんであり、
 試写会でもなければまず見に行くことはないな、と思っていました。

 試写券の写真を引用しますので、雰囲気を想像してみて下さい。
ちょっと今から仕事やめてくる01.jpg

 しかし、実際に映画が始まると、
 これはシリアスな山本周五郎の時代劇だということになりました。

******

 大店の商家に、故郷の親と別れて丁稚奉公している杉作が、
 商家の年長の手代と番頭に徹底的に苛められ、
 橋の下で首を括ろうとしているところを、
 通りかかったいなせな兄さんに助けられます。

 以後、杉作と、どこの誰ともわからない兄(あに)さんとの交流が続きます。

 しかし、番頭の苛めは止まらず、信頼していた小番頭にも裏切られ、
 杉作はまた橋の下に行くのですが、どこからともなく現れた兄さんから、
 「丁稚をやめて故郷に帰ったらどうか」と救いの言葉を掛けられるも、
 兄さんはそのまま姿を消してしまいます。

 故郷で心が癒えた杉作は、兄さんの行方を捜す旅にでますが・・・

******

 時代劇であれば、頼れる法的制度はなく、
 無学の杉作はこの兄さんでもいてくれなければ、
 そのまま首を括るしかありません。

 しかし、現代劇でそのまま時代劇をやっては拙いのではないでしょうか。

 広告代理店で上司の部長(吉田鋼太郎)による過酷なパワハラを受ける
 主人公の青年(工藤阿須加)は大学出で、そう貧しいわけではなく、
 人並にパソコン・スマホを使いこなせ、
 仕事もまずまず努力しただけの成果は出せる程度の能力を有しています。

 そうであれば、パワハラがこれだけ話題になっている現代で、
 その対抗策についてはネットに溢れており、
 法テラス等の相談機関もあるのですから、
 この青年が相談機関に行くくらいの設定があってもよいはずです。

 あれだけの派手なパワハラ(TVではかっこいい役が多い吉田鋼太郎が、
 思い切り感じの悪いデタラメ部長を楽しそうに演じています)は証拠に残し易く、
 失業保険の知識が少しでもあれば、ああいう辞め方はしないはずです。

 若者がミステリアスな兄さん(福士蒼汰)を追って、
 同じ専門職の道を歩むことを示唆して映画は終わります。

 青年にとって、このような専門職を目指すことは正解と思いますが、
 この専門職の現実も踏まえて、
 青年が覚悟を決める社会的視点も欲しいところです。

******

 監督の成島出は、
 昨年話題になった『ソロモンの偽装』も平板なミステリーにしていましたし、
 本作も、兄さんの素性を明らかにする過程を、
 青年と、兄さんの過去を知る孤児院の園長との会話を中心に説明してしまうので、
 せっかく小池栄子が園長を演じているのに、
 勿体なくも、平板なストーリーにしてしまっています。

 ということで、本作は山本周五郎の時代劇だと思って見ると、
 あまり余計なことを考えずに、
 のめり込んでみることが出来る良心作であると思います。
posted by Dausuke SHIBA at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2017年05月08日

『家族はつらいよ1&2』山田洋次監督が開き直ったブラック喜劇

 4月に入ってから事務所の移転作業で、
 ブログの更新が止まってしまいましたが、
 5月の連休に入って一段落したところに、
 お客様からご祝儀の試写券をいただきました。

 『家族はつらいよ』(2016年3月12日公開)も、
 昨年(2016年)3月上旬に試写会に行かせていただき、
 とても面白かったので、このたびの節目の時に
 『家族はつらいよ2』を試写会で観ることができるのは、
 とても嬉しいことでした。

 『家族はつらいよ』は、
 今さら山田洋次の『男はつらいよ』のロートル版を観るのも、
 こちらがつらいよと思い、最初は気が進みませんでしたが、
 予想外に良かったので、試写券をいただいたお客様に、
 以下のような感想を送らせていただきました。

******

 『家族はつらいよ』は、
 あちらに片足を突っ込んでいる山田洋次監督ならではの、
 相当にシュールかつブラックな、喜劇といえば喜劇で、
 ここまでいくと開き直って爽やかな気持ちになれるというものです。

 遅咲きで、私から見るとまだ新しい老け役の橋爪功と、
 実年齢が彼より五つ以上年上で、40代を30年以上していた吉行和子との、
 60代後半の設定の夫婦、

 橋爪功と吉行和子の夫婦との実年齢差は親子といえそうでも、
 60代後半の夫婦の長男とは思えない西村雅彦と、
 西村雅彦の妻にしては若い夏川結衣との、
 40代の設定の夫婦、

 60代後半の夫婦の次男の設定としては妥当だけれども、
 実年齢80代の吉行和子の次男かよ、としかいいようのない、
 妻夫木君とそのフィアンセの蒼井優との「若い」カップル、

 こんな家族ありえねェ! という感じで、
 山田洋次監督は、もう、
 キャストの年齢リアリティなどどうでもよいという雰囲気です。

 さらに、山田洋次監督は、吉永小百合以外は、
 女優を美しく撮ることもどうでもよくなっているとしか思えない、
 風吹ジュンと中嶋朋子の無残なメイク。

 俳優たちも、それを楽しんでいるかのように、
 凄まじい迫力の舞台劇を演じています。

 舞台は陽光もうららかな、横浜郊外の相応の高級住宅街ですが、
 コダックフィルムを使用してここまで地味でくすんだ色彩は、
 意図的かなと思います。

 美人女将(風吹ジュン)の美味しそうな居酒屋料亭に入りびたり、
 長年連れ添って老いた妻に離婚届を突き付けられた頑固親父が、
 ついに卒倒して病院に担ぎ込まれ、
 ブラックな笑いのシチエーションに続いて、最後の、
 妻夫木君と蒼井優の新婚(にしては・・・)の旅立ちも、
 新しい世代を爽やかに送り出しているとはとても思えません。

 久々に鬼気迫るブラック喜劇は本当に楽しめました。

******

 『家族はつらいよ2』のブッラクぶりも健在で、
 この3世代家族の異様な雰囲気を、引用した試写券の写真で感じてみてください。

IMG_0001.jpg

 今回は、離婚の危機を乗り越えた橋爪功と吉行和子の夫婦が、
 オーロラ見学の海外旅行を計画するも、
 一人で伸び伸びしたい橋爪功が駄々をこねて同行せず、
 吉行和子が清々とした気分で、
 セレブの老人会仲間と旅立つところから始まります。
 
 吉行和子の留守中に、橋爪功は、
 かねてから橋爪功の暴走運転に腹を据えかねて、
 橋爪功に免許返上を迫る西村雅彦と夏川結衣の夫婦に対して、
 醜い言い争いをしながらも、
 性懲りもなく自家用車を繰り出して美人女将と浮気デートを開始し、
 行く先々で車の破損事故を起こすという、
 天罰が当たるのも仕方がないデタラメ生活を送ります。

 そして、車の事故がきっかで、
 故郷の広島の高校時代の老いさらばえた学友(小林稔侍)と出会い、
 この学友を交えた久しぶりの同級生仲間との飲み会をきっかけに、
 またもや、この3世代家族がとんでもない事件に巻き込まれます。

******

 大企業の管理職を終え、横浜の郊外に3世代が生活できる家を建て、
 おそらく年金もたっぷりともらい、
 息子と娘の3人の子供たちも無事結婚し、孫も相応に育っている、、
 戦後の日本人が到達した理想を体現しているはずの家族なのですが、
 それぞれが超エゴイストの俗物の塊であり、ひたすら老醜を曝け出し、
 彼らの友人達を含めて、夢も救いも身も蓋もありません。

 そして、前回も今回も、彼らに迫りくる死を相当に意識した
 シチュエーションが組込まれています。

 あの名作『家族』(1970年)で否定的に描かれた、
 大阪万博に浮かれた日本人の成れの果てを、
 山田洋次監督が長寿を活かして情け容赦なく描いた
 といえるかもしれません。

 今後も、何も新しいものを生み出さず、
 ひたすらエネルギーを消耗して生きていく老人達の哀れにも滑稽な姿を、
 山田洋次監督には悪趣味に描いてもらい、
 橋爪功さんと吉行和子さんには元気に演じ続けて欲しいと願っております。
posted by Dausuke SHIBA at 15:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2017年02月12日

『愚行録』たまに陰鬱な気分に浸りたい人にお奨め

 本体ブログの主テーマになっていた
 『東京オリンピックのロゴ等の知財管理』について、
 年明けから、連載を総括した論文の作成を開始したため、
 本体ブログもこちらのミニブログも、
 すっかり更新が途絶えてしまいました。

 そこに、タイミングよく、
 いつもいただいている試写招待券が届き、
 映画を観ること自体が前回の試写以来であったので、
 頭をリフレッシュするために行かせていただきました。

******

 今回は、『愚行録』でしたが、全く予備知識がなく、試写券を見ると、
 原作が貫井徳郎のミステリーとのことで、なるほど、ミステリーか、
 と思って、神保町にある一ツ橋ホールに参じました。

 試写券の表面を引用しましたので雰囲気を感じてみて下さい。
20170207愚行録01.jpg

 主演の妻夫木君は良く知っており、
 脇役の小出恵介君は『のだめカンタービレ』で
 のだめの彼である千秋先輩に片想いする男の娘である真澄ちゃん
 を演じたのが強烈に印象に残っていますが
 (2006年だから古い話になりましたよね)、
 他の俳優は皆若く、顔も名前も全く知りませんでした。

 しかし、原作が有名なのか、俳優が人気なのかはよくわかりませんが、
 約1000席の会場が中高年の客でほぼ満席という、
 地味そうな映画の試写会にしては大変な盛況ぶりでした。

******

 どちらもエリート私大出身の、エリートサラリーマン(小出恵介)、
 その妻(松本若菜)、小学生のかわいらしい娘の
 理想を絵に描いたような家族が、
 郊外の自宅で惨殺されるという事件が起こります。

 事件の原因は被害者の大学時代の人間関係にある
 と考えた雑誌記者(妻夫木聡)が、 関係者を訪ね歩き、
 大学時代の過去と現在を行きつ戻りつしながらエピソードを重ねる過程で、、
 次第に隠された謎が浮かび上がってくるという筋立てです。

******

 全体が陰鬱な雰囲気に包まれており、エンドマークが出たとき、
 試写会場は何ともドンヨりとし気分に覆われたのでした。

 私も決してリフレッシュしたというような気分ではなく、
 不思議な映画を観た、という印象でした。

 以下に、感想をまとめます。

1.演出がどうも

 主人公たちの大学時代と現在の描き分けが十分になされていないので、
 最初はどちらの時代を描いているのかがよく解りませんでした。

 謎の原点である過去と現在を行きつ戻りつするのは、
 ミステリーの定番骨格ですから、
 2つの時代はメリハリをつけて描写すべきです。

 今思えば、殺される小出君は30代後半くらいの設定なので、
 その大学時代は、
 ちょうど『のだめカンタービレ』の学生群像が描かれた時代です。

 当時のメルクマールになるものが描写されないので、
 関係者が置かれた時代状況が理解できず、
 同じ俳優が演じる若作りだけが伝わってきてしまいます。

 例えば、小出君と絡めて、
 劇中で真澄ちゃんの登場する『のだめカンタービレ』を観る場面
 があってもよかったのかもしれません(もっと解らんか?)。

2.探偵がいない

 多くのミステリーは、殺人事件の謎を合理的に解き明かす過程で、
 殺人事件の関係者の間に渦巻くおどろおどろした情念を浮かび上がらせる
 という構造を有しているといえるでしょう。

 この合理的な解明が必ず存在するという基本骨格が、
 読者を日常に繋ぎ止める役割を演じる一方で、
 多くの場合、探偵の頭の中で推理される合理的な解明から、
 関係者のおどろおどろしい情念が、
 読者の想像力によって解き放され、
 基本骨格を揺るがすような緊迫感を生じるに至ります。

 探偵による合理的解明という日常を象徴する基本骨格と
 犯人による基本骨格を軋ませる非日常を象徴する情念とのせめぎ合いを経て、
 読者は、読む前とは日常が変って見えるという読書体験
 にミステリーを読む喜びを見出しているともいえます。

 映画においても、例えば、『砂の器』は、
 刑事を演じる丹波哲郎と森田健作が探偵となり、
 日常から1歩もはみ出さずに、事件を推理していくのに対して、
 その推理の中で、旅する親子を美しい映像で描写しつつ、
 その旅の親子に潜むおどろおどろしい情念を、
 観客の想像力の中にたっぷりと注いでくれます。

 しかし『愚行録』には、探偵が存在せず、
 探偵の頭の中で展開される合理的解明が提示されないため、
 観客側は、その合理性に潜む情念を想像する(という楽しみに浸る)
 ことができないことになり、ひたすら、
 殺人事件の裏側で起こったリアルな現実に付き合わされるだけ
 という苦痛を味わうことになります。

3.この程度の動機で一家惨殺はしないだろう

 大学時代が描写される登場人物の所属する大学は、
 早稲田大学がモデルであろう「稲大」と
 慶応大学がモデルであろう「文応大」ですから、
 どの学生もおそらくは、
 並以上の学力と高額な学費に耐えるだけの経済力を有しているはずです。

 一方、そうではあっても、確かに、
 親の社会的ステータスの違い、貧富の差、
 いじめ構造を反映する学生間のヒエラルキーなどに基づく、
 学生間に生じる感情的軋轢や、昔ながらのドロドロした男女関係はあるでしょう。

 しかし、この映画に描かれた程度の感情的軋轢や男女関係が尾を引いて、
 10数年後に一家惨殺事件を引き起こすに至るとは到底思えないのです。

 従って、この一家惨殺事件の動機にはもっと深い事情があるはずなのですが、
 映画に描かれた深い事情と、上記のエリート大学の学生の学力と経済力とが、
 どうにも結びつかないのです。

 『砂の器』の和賀英良は、狂気の天才ではあっても、
 精神を病んでいたという設定にはなっていません。

 キャストを全てスターで固めているため、
 変にシリアスにならないという映画の構造上、
 精神を病んでいるという設定が自然に回避されているともいえます。

 精神を病んでいたことが殺人の原因では、
 人権問題を相当に考慮した描写をする必要があり、
 「実は秘密のドアがあって、そこから犯人は逃げられた」
 という設定と同様に、もはやミステリーとはいえません。

 『Yの悲劇』では、遺伝的な精神疾患を前面に出していますが、
 舞台劇のように様式的(ステレオタイプ)に扱っていて、
 小説全体をデフォルメ化して漫画チックにする中での設定であり、
 その精神疾患自体を、犯罪の動機付けにはしていません。

 『半沢直樹』では、
 統合失調症を発病する半沢直樹の盟友の近藤(滝藤賢一が鬼気迫る名演)
 が登場しますが、
 ドラマ全体のミステリーの中核のような扱いはしていません。

 しかし、一昨年話題になった『ソロモンの偽証』で強く感じたのですが、
 『ソロモンの偽証』では製作者が意図せずに、
 精神を病んでいることが犯行の原因としか思えない描写をしています。

 私はこのような描写に対して、製作者はもっと気を使うべきと思っており、
 『愚行録』にも『ソロモンの偽証』と同じような印象を抱きます。

4.監督はどういう人なのか

 石川慶監督を、私は知りませんでしたが、
 東北大学物理学科卒業後、
 アンジェイ・ワイダ監督、ロマン・ポランスキー監督らを輩出してきた
 ポーランド国立映画大学で演出を学ぶ、という
 華麗な経歴の持ち主です。

 初期のポランスキーの映画は、
 ホラーでもスプラッターでもオカルトでもないのに、
 『水の中のナイフ』では背筋がぞーっとする怖さがありましたし、
 『ローズマリーの赤ちゃん』でもアメリカの都市生活の身近な孤独の中での恐怖が
 皮膚感覚で伝わり、ミア・ファーローの
 コケティッシュな美しさとエロティックさに悩殺されたものです。

 天才ポランスキーと比較するのは酷と思いますが、
 『愚行録』では、ミステリーのセンスが決定的に欠けているのに、
 ミステリーの枠組みに縛られて不自由な演出をしてしまったために、
 情念のほとばしりが観客の方に伝わらず、、
 女優達もエロティックとはほど遠い人達ばかり(監督の趣味がよいとは思えない)、
 妻夫木君は群を抜いてスターなのだから、
 スターとして扱えばよいのに、シリアスな演技派のように扱うため、
 とても浮き上がった感じがします。

******

 以上が、『愚行録』が全体に陰鬱なものであることの私なりの理由です。

 たまに陰鬱な気分に浸りたい方にお奨めの映画、
 という結論になりました。
タグ:妻夫木聡
posted by Dausuke SHIBA at 14:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2016年11月06日

『オケ老人!』杏がかわいらしい素朴な手作り映画

 突貫工事の仕事の一段落が見えてきたところに、
 お客様から『オケ老人!』の試写招待券をいただきました。

 有楽町朝日ホールは私にとっては初めての会場でした。

 もう夜が早くて暗くなった夕方6時前、
 週末の和んだ人込みが楽しい銀座界隈の、
 ひときわ瀟洒な有楽町マリオンビルの11階、
 試写会場としてはとてもオシャレな雰囲気でした。

 『オケ老人!』というタイトルからは、
 中味が全く想像できなかったのですが、
 試写券が届く前にお客様から、
 「オケ」はオーケストラのことで、杏が主人公、
 老人役で左とん平と小松政夫が出ていると聞いて、
 そういえば杏の映画は見たことが無く、
 老人役のお二人は、失礼ながら、まだ生きておったか、
 と思ったくらいで、もしかしたら面白いのかもしれない、
 というのが事前の予感でした。

 試写券を引用しましたが、こんな感じです。
IMG_0003.jpg

 とてもほのぼのとした、後味のよい映画でした。

 11月11日(金)から上映ですので、
 秋の夜長に心を温める時間をすごせますから、
 是非観賞されることをお奨めします。

******

 個性豊かなメンバーで構成される素人楽団が、
 当初は演奏も心もバラバラでスタートし、
 中心人物の悪戦苦闘の末、最後に一つにまとまって、
 練習を重ねた思い入れある曲を演奏しきる、
 という映画やTVドラマは、
 『スウィングガールス』や『のだめカンタービレ』を始めとして、
 名作が多いのですが(ちなみに、私は上野樹里が大好きです)、
 本作も小粒ながらその伝統を彩る一つになると思います。

 北関東(足利市がモデル)の高校に務める若くて一途な教師(杏)が、
 市内のクラシックコンサートで「梅が丘シンフォニー」の演奏に感動し、
 趣味で続けたバイオリンに本格的に磨きをかけようと、
 「梅が丘シンフォニー」に入団しようとするところから映画は始まります。

 ところが、杏は、間違えて市内の老舗オーケストラである
 「梅が丘交響楽団」を訪れてしまいます。

 「梅が丘交響楽団」は、
 あの世とこの世の境にいるような老人ばかりの素人楽団で、
 杏は「しまった」と思いつつも、
 バンマスの老人(笹野高史)の強引な誘いを断り切れず、
 入団させられてしまいます。

 そこから、杏の悪戦苦闘がはじまります。

 オケ老人達のあまりの下手さに、杏は、
 退団を決意して「梅が丘シンフォニー」に入団します。

 しかし、笹野高史が心臓発作で倒れて代役指揮者を頼まれたり、
 笹野高史の孫で杏の生徒でもある女子高生(黒島結菜)と
 その年下のボーフレンド(萩原利久)、
 杏が片想いする同僚の年下の草食系先生(坂口健太郎)に助けられたリ、
 など、スッタモンダあった挙句、杏は「梅が丘交響楽団」に戻り、
 指揮者としてオケ老人達と苦難の道を歩むことになります。

 そして、2年間、あの世の方に行くメンバーを見送りつつ、
 奮闘努力の甲斐あって、
 市の公民館で、オケ老人達とオーケストラ演奏会に臨むことになります。

******

 『スウィングガールズ』は脚本・演出共にそつがなく、
 若さにあふれたアップテンポなエネルギーが充満していましたが、
 本作は、どちらかといえばかつての8mmフィルムの学生映画のような、
 素朴な手作り感があり、各場面とストーリーの流れは
 ステレオタイプで独創性があるとは思えないのですが、
 映画に対する愛に溢れた、多くのちょこっとした小技演出を
 存分に楽しむことができます。

 出だしの、杏が楽団を間違えてしまうエピソードでは、
 やけに整った綺麗な市民会館のセットと、
 映画的とはとても思えない平面的なカメラアングルの中で、 
 大ベテランの左とん平、小松政夫、笹野高史だけでなく
 藤田弓子(私の高校の先輩です)とか、石倉三郎とかの、
 まだまだこの世に未練たっぷりの怪しい老人たちが、
 背景と異様にミスマッチして登場し、
 かわいらしくもぎこちないヘタウマ演技の杏と、
 ぎくしゃくした会話を始めます。

 その後の、
 杏が笹野高史に陥れられてお馬鹿な罠に嵌るエピソードとか、
 杏が住むマンションの自宅の模様替えのエピソードとか、
 杏が「梅が丘シンフォニー」でのしごきに苦しむエピソードとか、
 が、結構わざとらしく突っ込み所のあるギクシャクした演出で描かれますが、
 
 見舞いに行った杏と入院中の笹野高史とのしみじみした会話、
 演奏が少しずつ様になって、杏とオケ老人達との一体感が生じていく過程、
 山に囲まれたひなびた足利市のコマ撮り定点撮影による時の経過ショットとか、
 これらのエピソードの間を繋いでいくことによって、
 次第に映画らしくなり、テンポはズレっぱなしなのにもかかわらず、
 淡々とした落ち着いたまったり感が、見ていてとても心地よいのです。

******

 杏は、本作が主演第1作ということでしたが、
 私は、評判になった『ごちそうさん』も見ておらす、
 『真夏の方程式』に出ていたことも全く忘れており、
 先入観なしの初対面みたいなものでした。

 杏は、どちらかといえばファニーフェイス、
 コケティッシュでスレンダー、八頭身のモデルのような長身で、
 不器用そうに百戦錬磨の老人俳優達と掛け合う姿が、
 とてもかわいらしく、素敵です。

 役名はあるのですが、「杏」という方が似合っており、
 怪優達との競演で主演を張るという緊張の中、
 劇中の悪戦苦闘と共に力演して最後まで演技を全うしていく姿に、
 映画ののクライマックスと重ね合わせて感動してしまいます。
 
 杏は、とてもよい映画で初の主演を果たせて、本当によかったと思います。

******

 そして、やっぱりです。

 このブログ記事を書くために脚本・監督の細川徹のことをウィーキペディア調べたら、
 彼は、成城大学の映画サークル出身(ということは大林宣彦監督の後輩)
 であることがわかりました。

 今46歳なので、ぎりぎりフィルムの8mm映画を作ったかもしれません。

 宮藤官九郎の盟友で、相当にオタクっぽい活動をしているようですが、
 宮藤官九郎よりもずっと品がよくて、暖かい感じがします。

 それと、本作は、笹野高史と孫との掛け合いが少しあるだけで、
 オケ老人達の家族との交流などほとんど描かれず、
 杏に至っては、親兄弟の写真も場面も一切なく、
 現時点の杏の人格とオケ老人達その他の登場人物との掛け合いだけを
 見せています。

 このようにベタベタした感覚が全くないのは、
 学生映画の特徴を引きずっている、かっこよく言えば、
 ハードボイルドに徹しているといえます。
 (杏とつりあう親の役を誰がやるのか、というのも難問で、
 杏の部屋に置いてある写真に渡辺謙が写っている、
 などという演出をせざるをえないか)。

 大林亘彦大森一樹の8mm映画第1、第2世代が一線から後退しつつある中、
 細川監督が、
 映画への愛に溢れた8mm映画世代を引き継いでくれたら嬉しいのですが。
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posted by Dausuke SHIBA at 17:05| Comment(1) | TrackBack(0) | 映画

『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』頭を空っぽにできる必需映画

 パソコンを使用していて、漢字変換に時間がかかったり、
 ネット動画が動かなくなったりしだすと、
 Windows10から、数百メガバイトの一時ファイルがあるので消去せよ、
 というメッセージが発せられ、適当なソフトでファイルのクリーンナップをすると、
 使い勝手が戻ったりします。

 私の頭も、複数の案件を同時に進行させたり、その間に、
 お客様から様々なお話をいただいたりすると、
 頭に一時ファイルが充満し、それ以上働かなくなるときがあります。
 
 そういうとき、私の場合は、DVDや映画で、
 脳内の一次ファイルのクリーンナップをするためにお馬鹿ドラマを見ます。

 ついこの間までは、
 DVDで観ていた『Doctor X』が最良のお馬鹿ドラマでしたが、
 第3シリーズまで見終わったあと、
 新シリーズをTVで見れないため、大変に困っています。

 先日、突貫工事の仕事で頭がウニ状態になった際に、
 救いの神というべきか、11年ぶりに
 『ブリジット・ジョーンズの日記』の新作が公開されたので、
 新宿ピカデリーまで這って見に行きました。

******

 今回は第3部で、第2部を見たのはもう一昔前。

 その間、リーマンショック、東北大震災を始め、
 ブリジット・ジョーンズも私も、なんとも波乱万丈な時を過ごしたのですが、
 あのどうしようもなかった負け組アラサーのタカピーだった彼女が、
 アラフォーのTVプロデューサーとして登場し、
 第2部でTV局員だったかなと訝しく思うも、
 ブリジット・ジョーンズよ、よくぞ無事だった!
 と訳の分からない戦友気分に浸ってしまいました。

 今回も、お馬鹿ストーリーの極致で、相変わらず、
 緊張感を押し隠していることが丸見えの、訳知り薄笑いをしながら
 (何で彼女はあんな顔ができるの? かわいいとは思いますが)、
 空気を読みまくるも、全くのピントのずれた対応で、
 最悪の状況に突入するであろう状態を作りだしては、
 見ているこちらが顔と耳を覆い隠すも、その通りの、
 最悪の状況に突入してしまう彼女をみて、
 完全に頭を空っぽにすることができました。

 このあたりのコメディ感覚は、
 かつて、寅さんが、さくらの見合いの場面で、
 完全に場違いな、あ〜、それを言ったらおしまいよ、
 という話をベラベラし出して、
 さくらの見合いをぶち壊してしまうパターンと同じですね。

******

 TVプロデューサーとして仕事はまずは順調ながら、
 完全な男ひでりで燻っていたブリジット・ジョーンズが、
 交通事故死した過去カレのヒュー・グラントの葬儀に参加するところ
 から始まるのですが、ヒュー・グラントの大量の元カノが参列して、
 最悪のお馬鹿葬儀になります。

 その葬儀で元カレのマークと出会い、
 「焼けぼっくいに火がついた」状態から、最後のモテ期に突入し、
 さらにヒョンなことからIT長者との二股愛に発展し、
 最後の奥の手で勝ち組になると思いきや、それが裏目にでて、
 考える限り最悪の状況に。

 しかし、それにも関わらず、彼女のモテ期を支える男性達から、
 女性が言って欲しいことを全部言ってもらい、危機を乗り越え、
 結局はハッピーエンドの大フィナーレ。

 しかし、彼女の未来に暗雲が立ち込めるようなニュースが新聞に載り・・・
 (それも粋なハッピーエンドであるとはいえるのですが)。

 今回は、本作のパンフレットが制作されていないということで、
 公式サイトからの引用写真で、
 彼女が二股愛に陥る元カレとIT長者をご確認下さい。
図1.jpg

 こういう、脚本・演出がタップリと練り込まれていて、
 脚本・演出の良し悪しなど気にせずに、純粋に馬鹿笑いしていればよい、
 というのは映画を観ることの至福といえます。

 かつては、シュワちゃんやスタローンの映画が、
 頭を空っぽにして楽しめたのですが、彼らも老けてしまい、
 こちらも燻っていましたが、
 そこに、10年以上の空白を経て、元気な彼女に再会できたのは嬉しい。

 昨年の『マイ・インターン』もそうでしたが、
 笑いに知性があるので、何とも後味がよく、
 心からブリジット・ジョーンズのハッピーエンドに
 おめでとう! を言えました。

 堤幸彦よ、同じ知的コメディを作れる感性をもっているのだから、
 もっと面白い映画を作ってよ!
posted by Dausuke SHIBA at 16:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2016年10月08日

『グッドモーニングショー』中井貴一の狂気が光る疑似TVドラマ

 お客様からいただいた試写招待で、先日、
 『グッドモーニングショー』を観にニッショーホールに出向きました
 (本作は、本日(10/8)からロードショー公開されています)。

 昨年に事務所を開設して以来、週日と土日のメリハリが消滅し、
 映画館に行く気力が萎えているのですが、
 自分の嗜好とは関係なく無差別に観ることになる試写会には、
 何故か自然に足が向くというのは不思議な感覚です。

******

 実直な報道局アナウンサーだったのに、
 不本意にもバラエティMCに異動になって、
 無能の烙印を押されたあげく降板の危機にある、
 TV局のサラリーマンアナウンサー役を、
 中井貴一が、鬼気迫って演じています。

 映画は、その彼が、朝3時に起きて、
 クタクタになって夕方帰宅するまでを描いています。

 彼は、バラエティ番組「グッドモーニングショー」のスタジオ現場に
 いつものように出勤して前打合せをして本番に臨みますが、
 妻(吉田羊)と息子(大東駿介)の問題、
 わけありの共演者(長澤まさみ)の問題、
 プロデューサー(時任三郎)に降板を告げられての心の動揺、
 と見ていて気の毒になる状況の中、気力で乗り切ろうとします。

 しかし、そこに朝一番で、
 人質をとってのレストラン立て籠もり事件が発生し、
 犯人から彼が指名されて、直接の取引をする羽目になります。

 真面目だけが取り柄のTV局サラリーマンアナウンサーが、
 犯人との交渉を経て次第に狂気を帯びた行動をとりだし、
 全てが終わって、我に返って帰宅すると、
 決して暖かくは迎えてくれない妻に、それでも安息を感じる
 という、一応「澄田慎吾」という名前なるも、名前にほとんど意味のない、
 匿名とも思える人物を、中井貴一が見事に演じ切っています。

 この映画は、中井貴一の演技を楽しむことが正しい見方かもしれません。

 試写券の紙面を引用しますので、雰囲気を感じてみて下さい。
IMG_0001.jpg

 TV局を舞台に、そこで蠢く変人たちを描いたTV局物ドラマは、
 日本ではあまりつくられなくなっているように思いますが、古くは、
 シドニー・ルメット監督の映画『ネットワーク』(1976)が懐かしく、
 私は、なんといっても、
 3人の隠し子が発覚するスターキャスターを田村正和が演じ、
 その愛人でもあるサブキャスターを浅野温子が演じる
 TVドラマ『パパはニュースキャスター』(1982)が大好きで、
 さらに最近では、
 バラエティ番組の学者コメンテーターとして出演した上田先生(阿部寛)の目の前で
 殺人事件が発生する、
 TVドラマ『トリック(新作スペシャル)』(2005)も印象に残るお馬鹿ぶりでした。

 TV局物ドラマは、TVドラマで描くと、当然のことながら、
 TV局の場面が自然であまりに日常に溶け込んだいるため、そこに
 ドラマの創作キャラクター(映画畑の役者が演ずることが多い)が入り込むことで、
 ギクシャクした場違いの面白さが、TVのテンポの中で増幅する、
 という仕掛になっているように思います。

 ところが、TV局物ドラマを映画が取り扱うと、
 役者の演技とセットによってTV局現場を再現することになるため、
 不自然さを直感してしまうことと、
 映画の横長のワイドなフレームが、TVの狭いフレームに比べて、
 間がありすぎて、画面が締まらなくなる感じがしてしまいます。

 その代わり、映画では、
 TV局という狭い空間に蠢く変人たちの集団による群像劇を展開させて、
 映画の枠組みに着地させて観客を引き込むことが多いように思います。

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 本作も、最近のスタジオ現場はそうなのか、と少し驚いたのですが、
 スタジオ内に、バラエティ部門と報道部門が同居して、
 各部門がその場で情報交換して、
 その時々でお馬鹿ネタと報道ニュースの編成を随時行い、
 1つのモニター装置を交代で各部門が占拠しあうという様子を描いています。

 そこには、各部門の上級管理職、プロデューサー、技術・演出スタッフ、
 番組キャスター等、番組成立に関わる多様な変人たちが交錯しており、
 従来のように、中井貴一を中心にした群像劇にしてもよかったように思いますが、
 本作は、どうもそこに興味はなかったようで、
 スタジオ現場の描写よりも、スタジオ現場から引きずり出されて、
 事件現場で右往左往する実直なサラリーマンキャスターのこっけいさを描きたかったようです。

 しかし、そうしてしまうと、
 スタジオ現場の再現が不十分で(役者が演じているようにみえてしまう)、
 画面の締まらなさが事件現場の緊迫感を阻害する、
 といった映画がTV局物を取り扱うときの欠点が目立つことになります。

 そのような意味で、本作の君塚良一の脚本と演出については、
 脚本の練り込みが弱く、、
 映画とTVの構造の違いをあまり真剣に考えていないような気がします。

******

 本作は、脚本・演出の脆弱を、中井貴一の演技が相当に救っていると思います。

 実際、中井貴一以外の役者は上手とはとても思えない、というよりは、
 中井貴一の演技が圧倒的に格違いで、他の役者が霞んでしまっています。

 家庭、スタジオ、事件現場の描写が迫力がなくしっくりとしない中で、
 中井貴一だけは、創作されたキャラクターとして、
 家庭、スタジオ、事件現場の全てから浮き上がった場違いの面白さを感じさせる
 強烈なエネルギーを発散しており、
 これは、脚本と演出が予定していなかったのではないかと思います。

 実際、中井貴一が、しだいに狂気を帯びていく過程での、
 他の役者のリアクションが全くついていっておらず、
 事件現場で犯人として中井貴一と渡り合う芸達者の濱田岳との掛け合いすら、
 事件現場がやけに綺麗に清潔感があって違和感があったりします。

 これは、共演の役者や美術スタッフの問題ではなく、
 脆弱な脚本・演出の下での指示の問題であろうと思います。

 ということで、本作は、
 中井貴一の演技に一見の価値があるので、観賞されることをお奨めします。

******

 本作中で描かれる「グッドモーニングショー」という番組は、
 本当に面白くなさそうな番組で、TV局の現場がこうであれば、
 それもかくありなんという感じだけはよく伝わりました。

 本作を制作するフジテレビが絶不調であることは話題になっています。

 まさかとは思いますが、本作が、
 自己検証ドラマとして制作され、本作をフジテレビで放映するとなれば、
 ブラックユーモアというしかなく、
 その線を君塚良一監督が狙っているのだとすれば、どうなることか、
 ちょっと楽しみといえます。
タグ:中井貴一
posted by Dausuke SHIBA at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2016年09月18日

『真田十勇士』堤幸彦監督は脚本家を選ぶべきだ

 お客様から、『レッドタートル』の試写券と共に同封して送ってただいた
 『真田十勇士』の試写券を握りしめ、
 9月13日の夕方、ニッショーホールに出向きました。

 とぼけた作風が持ち味で、TV・映画『トリック』シリーズを代表作とする
 堤幸彦はとても好きな監督の一人で、、
 昨年公開の『イニシエーション・ラブ』も、
 稀代の傑作ミステリーである原作をその通り映画化するという難題を見事なしとげ、
 サスガ! と唸ったものです。

 しかし、昨年公開の『天空の蜂』と、これに続く大作風味の本作を見ると、
 堤幸彦監督は脚本家を選んで仕事をした方がよいと思います。

 『天空の蜂』は、巨大ヘリが乗っ取られ、
 原子力発電所上空に滞空飛行させ、8時間後に墜落するまでの、
 犯人と巨大ヘリ設計者の頭脳戦を描いた東野圭吾原作のミステリーですが、
 アクション映画とも、社会派映画とも、ミステリー映画ともつかぬ
 中途半端な脚本と、見るに堪えない演技力の主演陣のおかげで、
 堤幸彦監督は持ち味を全くだせないままに、
 討死したような映画になってしまいました。

 『真田十勇士』は、真田幸村を支える豪傑集団としてよく知られ、
 映画、TV(水も滴る沢村征四郎の黎明期のTVドラマが懐かしい)
 で何度も映像化されてきました。

 今回の堤幸彦版も、十勇士が集結するところから描き、
 大坂夏の陣で、真田幸村が討死し、豊臣家が滅びるところまでを、
 金がかかっているように見える合戦シーンが結構リアルで、
 歴史時代劇風に再現し、それなりに滅びの美学のような趣が
 前面にでています。

 が、実は、十勇士によるスパイ大作戦ばりの大救出作戦が進行して、
 同時代の歴史にトリックを咬ませるという、
 堤幸彦監督ならではの軽妙なヒネリを絡ませており、
 そこが、大きな見どころで、
 『天空の蜂』よりは楽しめる仕上がりになっています。

 9月22日よりロードショーとのことなので、
 おっかなびっくりしたい方にはお奨めです。

 試写券の紙面を引用しますので、雰囲気を感じてみて下さい。
IMG_0001.jpg

 でもね、脚本はもっとしっかり練り上げるべきだろうと思うのです。

 前宣伝では、
 真田幸村が実は「腰抜け」だったという意外性を強調しています。

 これは、真田幸村が高潔な知将であることがよく知られていることあって
 の意外性なのであって、
 真田幸村がそもそもどのような武将なのかを知らず、
 NHKのドラマも見ていない観客には、どう意外なのかが全くわかりません。

 また、劇中でも、
 真田幸村が伝説的な知将であると巷で知れわたっていることを
 幸村自身に説明させ、
 その幸村自身が「実は俺は腰抜け」だと解説していてるので、
 その時代状況のリアリティが全く伝わってこないのです。

 そして、幸村は、そのような状況で既に功成り名遂げているため、
 そこから十勇士が、幸村の男を上げるといっても、
 残りは大阪冬夏の陣しかなく、幸村自身の伸び代が小さく、
 そこは観客もよく知ってるよという話で、
 大阪冬夏の陣の中継放送に付き合わされているだけで、
 幸村の吹っ切れ状態に乗ってわくわくするという高揚感がないのです。

 これは、完全に脚本の構成の問題のように思います。

******

 本来は、幸村を中心とした表の歴史エピソードと、
 十勇士による大救出作戦の裏の歴史エピソードを密接に絡めて、
 映画全体を歴史ミステリーに転換させることをしなければならないところ、
 『天空の蜂』もそうでしたが、前篇と後編のように分離して構成しているため、
 全く勿体ないことになってしまっています。

 真田十勇士自体が、半ば架空の存在で、
 講談等でよく知られているといっても、
 実際にその中味を知っている観客などそう多くはないはずなので、
 いっそ、表のエピソードだけに焦点を当て、『七人の侍』のように、
 十勇士が集結するまでのエピソード、
 架空の存在が幸村の下にはせ参じ虚実が融合するまでのエピソード、
 大坂夏の陣で散っていくまでのエピソードを、
 オーソドックスに丁寧に描き、
 それこそ大作仕立てにしてもよかったのではないでしょうか。
 
 あるいは、十勇士による大救出作戦に焦点を絞って、
 大坂夏の陣が始まるあたりから物語を開始して、
 スパイ大作戦並の緻密な戦略実行そのものを見せ、
 歴史の裏エピソードを構築してもよかったのかもしれません。

 本作も主演陣が軽量級で、脚本の腕力が試されるところですので、
 『天空の蜂』や本作の脚本家のようなTV、演劇を畑とする人には、
 荷が重いように思います。

 堤幸彦監督が、優れた脚本を得て、
 本領を発揮する映画を観てみたいと切に祈っています。
タグ:堤幸彦
posted by Dausuke SHIBA at 17:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2016年09月10日

『レッドタートル ある島の物語』無常観漂うフランスアニメ

 今回もお客様から試写券を郵送いただき、
 郵送された翌朝の土曜日の9時に試写会場の一ツ橋ホールに駆け付けました。

 いつもありがとうございます。

 『シン・ゴジラ』『後妻業の女』と、俗物まみれの映画が続き、
 自宅でも俗物極まる『DoctorX』を楽しみにしている中、
 穢れた心を見つめ直す静かな時間をいただいた気がしました。

 『レッドタートル ある島の物語』は、
 9月17日からロードショーとのことなので、
 ご覧になることをお奨めします。

******

 大嵐の海の中に投げ出された人のよさそうな男が、
 絶海の孤島に漂着し、この島から脱出を試みるも、
 彼に惚れた赤い大ウミガメに阻まれ、さらに、
 この大ウミガメの求愛を受け入れて結ばれた末、、
 大ウミガメとの愛の生活を続けてこの孤島で生涯を終える、
 という無常観漂うフルアニメーション・ドラマです。

 試写券の紙面を引用しますので、雰囲気を感じてみて下さい。
レッドタートル.jpg

 男の容姿も、ウミガメを含めた自然描写もリアルで美しく、
 最初は、これは俳優による実写でもよいのに、
 何故アニメーションにしたのか不思議に思っていました。

 この映画は、男の島での行動を淡々と描くことに徹しでおり、
 前半はこの男が一人で、後半はウミガメと間にできた息子と共に、
 美しく荒々しい自然に逆らうことなく、
 3者の間の愛情だけを絆にして生活する様子を、、
 台詞を一切排して映像と音楽だけで淡々と描写していきます。

 アメリカ映画であれば、主人公が、絶海の孤島で工夫しだして、
 小屋を建てたり、火をおこしたり、記録を残したり、
 息子とバスケットボールを始めたり、
 といった知的創作活動を始めるものです。

 男は、最初に島を脱出するために筏を作る以外は、
 一切の知的創作活動をせず、文字も書かず、
 大ウミガメと息子との言葉によるコミュニケーションもいたしません。

 そしてセックスの要素は暗示はされますが、結局は排されてしまいます。

 俳優が演じると、ドラマから、
 ここまで知性とセックスの要素を排除することができないので、
 アニメーションにした意味があったのです。

 描写が淡々とし過ぎて、前半でうとうとしてしまうのですが、
 その静かな描写を受け入れて共に過ごすことが、
 この映画の素直な見方なのかもしれません。

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 この映画は、オランダ出身のアニメ作家である
 マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督が、、
 スタジオジブリの制作と全面的なバックアップの下で、
 8年をかけて完成させたそうです。

 主人公に、知性とセックスと言葉を排して、
 自然と愛だけで人生を送らせるなど、
 いかにもフランス映画らしい無常観ですが、
 今どき、こんな浮世離れしたアニメーションを
 8年もかけて完成できるなんて、羨ましい限りであり、
 1時間20分のこの贅沢につきあうことができるというのも
 世知辛い日本にあって贅沢なことといえるでしょう。

******

 土曜日早朝の試写ということもあり、
 いつもほどの入りではありませんでしたが、
 比較的若い人が多かったように思います。

 試写が終わり、前の席からはるか後方の出口まで歩く間、
 4組ほどの連れの方々から
 「いったい何を言いたいのかよくわからなかった」
 という同じ趣旨のつぶやきが聞こえてきました。

 フランス映画には、「去年マリエンバードで」の昔から、
 アメリカ映画にはありえない瞑想的な傾向がありますから、
 たまには見た後「???」体験もよいと思います。

******

 俗物代表の一人としては以下のように考えました。

 大ウミガメも、男に知性が全くなければ相手にしてはおらず、
 絶海の孤島で、黙々と筏を作り、
 邪魔しても邪魔しても孤島からの脱出にトライする
 男の知性と勇気に惚れたのではないかと思います。

 この男も大ウミガメのとりこにはなったものの、
 大ウミガメと生活して結構ストレスが溜まったのではないでしょうか。

 あの世に行く前に、日本人であれば、
 「『DoctorX』の最新作を見たかった・・・」
 と心の中で無念たらたらつぶやいたのかもしれませんね。

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 最後に不満点。
 こんなフランス映画らしいフランス映画のタイトルを、
 何故『レッドタートル』などという無粋なカタカナ英語にするのかなあ・・・

 原題『La Tortue rouge』を活かして
 『ルージュの海亀』くらいの方が、この映画の趣がでたのではないでしょうか。
タグ:ジブリ
posted by Dausuke SHIBA at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画